砦の塔のように守ってくださる方によって
虐げられている人に、
神は、
マタイ8:28~34
苦しめられている人の砦となってくださり、 求める者をいつまでも放っておかれることはない方なのですね。
悪霊につかれ、自分では助けを求めることさえもできない人を、
そのように、イエスは、 ご自身の死によって死んだものとして、 罪、「的はずれ」な在り方から別な在り方が出来る自由な者に。 〔聖である霊〕と呼ばれる方は、 今日も。
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完全な知恵と知識を持つ方によって生きる
主の律法は完全で、
魂を生き返らせる。詩19:8
知識と知恵の宝はすべて、
キリストの内に隠されています。コロサイ書2:3
マタイ21:18~22
ロマ書6:1~11(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句2/4;月)
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方の
律法、みおしえは完全で、
私たちの魂を生き返らせ、
主のあかしは確かで、
わきまえのない者を賢くする、のですね。
この方の中に、
また、人となられた御子である神イエス・キリストの内には、
知識と知恵の宝がすべて、隠されているのだそうですから。
この方は、
葉は良く茂っているけれども実がないいちじくの木のように(マタイ21:19)、
外見上は知識や知恵があるように見えて、
実は実がない人のようではないのだそうですから。
だから、この方に信頼して失望に終わることはない、
ほかの救い主を求める必要もないのですね。
この方は、
私たちを罪に対して死んだものとし、
わたしたちが、罪、「的外れ」の中にとどまり、
「的外れ」の中で生きる者ではなくしてくださるのですから。
この方は、受け入れる者を、
キリストの死にあずかるバプテスマによって
キリストとともに葬り、
キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえらされたように、
いのちにあって新しい歩みをするようにしてくださるのだそうです。
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
キリストとともに十字架につけられらものとし、
「旧い」私とし、
「的外れ」のからだが滅びて、
これからは罪、「的外れ」の奴隷ではなくしてくださるのだそうです。
キリストとともに罪、「的外れ」に対しては死んだものとし、
神に対しては、キリスト・イエスとともに生きる者に(ロマ6:1~11)。
私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受け、
死んで葬られ、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語り、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の父である神の右の座に帰られたイエス。
そのイエスが派遣してくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
〔父である神〕の御思いを心に置いていただき、
その御思いによって生きる、
この方の知識と知恵によって生きる者に。
今日も。
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来て、そして、見なさい、と。新しい契約を。
来て、
神の御業を仰げ、
人の子らになされた恐るべき御業を。詩66:5(2/3の週の聖句)
見よ、
わたしがイスラエルの家、ユダの家と
新しい契約を結ぶ日が来る、
と主は言われる。エレミヤ31:31
あなたがたが近づいたのは、
新しい契約の仲介者イエスです。ヘブル書12:22、24
マタイ17:1~9
詩82(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句2/3;Ⅰ日曜)
「さあ、来て、神の御業を仰ぎ見よ」と
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は言われるのですね。
私たちをご自身の子にするためになされた
大きな、恐るべき御業を見よと。
それは、
〔御子である神〕イエスの仲介によって成った
新しい契約なのだそうです。
モーセを通して結ばれた旧い契約では、
だれ一人、神の基準に達することができず、
私たちの「的外れ」、背きが明らかになるばかりでした。
そのことを、
イスラエルの歴史において明らかにしたうえで、
〔父である神〕は、イエスによって新しい契約の手続きを完了され(ヨハネ19:30)、
私たちにこれを受け取るようにと提示していてくださるのですね。
御子イエスが受けられた十字架刑での処刑によって、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わったもの、死んだものとしてくださり、
受け入れる者にもう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣して、
この方の働きで、
私たちの心に、ご自身の御思いを置き、書きしるして、
受け入れる者がご自身と同じ思いを思い、
一つ心になるようにと(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。
このイエスは、
御顔は太陽のように輝き、
御衣は光のように白く、
〔父である神〕から、
「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。
彼の言うことを聞きなさい」とお声がかかった方、
死人の中から新しい霊のからだに復活された方なのですから(マタイ17:1~9)。
あの古い契約の時のシナイ山では、
燃える火、黒雲、暗闇、嵐、
ラッパの響き、ことばのとどろきで、
モーセでさえも、
「私は恐れて、震える」というほどだったのだそうです。
しかし、今、私たちが近づいているのは、
シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、
無数の御使いたちの大祝会、
天に登録されている長子たちの集会、
万民の審判者である神、
全うされた義人たちの霊、
さらに、新しい契約の仲介者イエス、
それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血、
なのですから(ヘブル12:18~24)。
私たちも、神の御子イエスによって、
また、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
神と心を一つにする者、
神の会衆(詩篇82:1)の中に立つ者にしていただけるのだそうですから。
今日も。
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嘆きを踊りに、憂いを喜びの賛美に
あなたは私の嘆きを踊りに変え、
感染性の重い皮膚病をわずらっている
黙示録15:1~4
天の神、主、
ツァラアト(感染性の重い皮膚病、この場合は、多分、ハンセン病)に冒されていた
それで、そのうちの一人は、
私たちも、やがては、
「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。
ちょうど、ひとりの人によって罪(的外れ)が世界に入り、
神の恵みと
ひとりの(アダムの)違反により、
律法が入って来たのは、
罪が死によって支配したように、
嘆きを踊りに変え、 今日も。
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信仰のない私たちの求めも聞き取って
主よ、
私の言葉に耳を傾け、
つぶやきを聞き分けてください。
助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。
あなたに向かって祈ります。詩5:2~3
信じます。
信仰のない私をお助けください。マルコ9:24
コロサイ書1:24~29
ロマ書5:1~11(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句2/1;金)
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』 という者」と名乗られる方は、
私たちの言葉に耳を傾け、
つぶやきを聞き取ってくださって、
私たちを助けてくださる方なのですね。
私たちの信仰は、自分勝手で、
御前に通用するようなものではないのですから。
だから、天の神、主は、
信仰のない私たちを助けてくださるのだそうです。
私たちをキリストにある成人、
完全な者にするように(コロサイ1:28)と。
私たちがまだ弱かったとき、
罪人であったとき、
キリストは定められた時に、
不敬虔な者のために死んでくださって、
ご自身の血によって私たちを義と認めてくださいました。
神の怒り、審判から救い、
ご自身の死によって神との和解を与えてくださり、
ご自身のいのちによって救いにあずからせてくださって。
そして、神を大いに喜ぶ者にも(ロマ5:6~11)。
信仰のない私たちに、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方によって、
受け入れる者をご自身と一つ思いを思う者にして。
今日も。
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人を癒し、生かす舌に。
軽率なひと言が
剣のように刺すこともある。
知恵ある人の舌は癒す。箴言12:18
船を御覧なさい。
大きくても、強風に吹きまくられている船も、
舵取りは、
ごく小さい舵で意のままに操ります。
同様に舌は小さな器官ですが、
大言壮語するのです。
どんな小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。ヤコブ書3:4~5
使徒13:42~52
ロマ書4:13~25(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句1/31;木)
私たちの口から出る言葉は、
人の心を刺し通すこともあり、
また、いやすこともあるのですね。
大きな船が小さな舵によって意のままに操縦され、
思うとおりの所へ持って行かれるように、
舌は小さな器官ですが、
大きなことを言って誇り、
からだ全体を汚し、
人生の車輪を焼き、
ゲヘナ(地獄)の火によって焼かれます。
自分を誇りたい
自分が何者かでありたい霊の思いが心に来て、
それを舌が語るようですから。
ですから、いくら舌を制御しようとしても、
心が変わらなければ、
さらに、その心の思いの出どころである霊が変わらなければ
舌を制御することはできないのですね。
努力すればするほど、
賛美と呪いが同じ口から出て来る、
泉が甘い水と苦い水を同じ穴から湧き上がらせるというような
おかしいことになってしまって。
だから、霊を、心を変えないで、舌を制御しようとすることは、
いちじくの木にオリーブの実を求めたり、
ぶどうの木にいちじくの実を求めたりするようなもの(ヤコブ3:4~12)。
それで、天の神、主、
「『わたしはある(I am)』 という者」と名乗られる方は、
まず、私たち人類の代表としてイスラエルの民を選び、
これに律法を示して、
私たちの、
私たち自身である〔生まれたときからの私〕という霊が
創造の目的から「的外れ」な、
御思いからズレた存在になっていることを自覚させようとされたようです。
そのうえで、神の御子である方が人となって人の世に来られ、
この方がおよそ33歳の頃、
私たち、すべての人間の「的外れ」の責任をご自身の身に負って、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。
〔父である神〕は、
この御子イエスの処刑を
私たちの〔生まれたときからの私〕の処刑と見なしてくださり、
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑が終わったもの、
死んだものと手続きしてくださっているのだそうです。
そして、この、処刑され、墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活させ(ロマ4:24~25)、
40日に渡って何度も弟子たちに現れさせて
神の国のことを語らせた後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、引き上げられ、
天の、ご自身の右の座に復帰させなさったのだそうです(使徒1:3~9)。
さらに、このイエスを通して、もう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣して、
この方の働きで、私たちの心に、
ご自身が私たち一人一に思っておられる御思いを置き、
私たちがご自身と同じ思いを思い、
一つ心になって(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)、
ご自身がしようと思われることをしていく者に(ヨハネ14:12、使徒2:4)
してくださるのだそうです。
「われわれのかたち、われわれに似せた」(創世記1:26)、
ご自身と心を一つにして生きる者に復帰させ
(ヨハネ5:19、30、8:28、12:50、17:21~22)、
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いを語っていた私の舌を、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置かれる
〔父である神〕の御思いを語る舌、
人をいやす舌に変えようと。
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心に留め、祝福しようと。私たちも。
主よ、
私たちを御心に留め、
祝福してください。詩115:12
あなたがたの名が
天に書きしるされていることを
喜びなさい。ルカ10:20
ルツ記1:1~8(9~15)16~19a(19b~21)
ロマ書4:1~12(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句1/30;水)
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たち一人一人のことを心に留め、
祝福していてくださるのだそうですね。
天にその名を記して。
「わたしの民」、
「私の神」と呼び合う関係において(ルツ1:16)。
働く者の場合に、
その報酬は恵みではなくて、
当然支払うべきものとみなされます。
しかし、何の働きもないわたしたちも、
不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じる、
その信頼で義とみなしてくださり(ロマ4:4~5)、
神の民とし、
天にその名を書きしるしてくださるのだそうですから。
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