風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

遣わされた方の御心を行い、その業を成し遂げる者にと

あなたのどの戒めに照らしても、

  私は恥じ入ることがないでしょう。詩編119:6

 

 弟子たちがイエスに食事を勧めると、

イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある。

わたしの食べ物とは、

わたしをお遣わしになった方の御こころを行い、

その業を成し遂げることである」と言われた。ヨハネ4:31~34

 

 ヨハネ3:17~21

 Ⅱペテロ1:12~21

      (ローズンゲン日々の聖句11/15;火)

 

 最初のとき、父が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるため、だったのだそうです(ヨハネ3:17)。

 

 それで、人間イエスとして人の世に来られた御子である神は、この、御父の御こころを行い、その救いのわざを成し遂げるために、ほふり場に引かれていく小羊のように、毛を切る者の前で黙っている雌羊のように、これに逆らわず、黙って(イザヤ53:7)自分から十字架刑での処刑を受けられ、救いの業を完了された(ヨハネ19:30)のだそうです。

 

 このことは、うまく考え出した作り話ではなく、この人間の歴史の中で実際に起こったことであり、その目撃者によって伝えられたGood News(Ⅱペテロ1:16)なのだそうです。

片隅で起こった出来事ではなく、アジア大陸とヨーロッパ大陸、アフリカ大陸がつながる世界の中心、かなめの場所で、過ぎ越しの祭りで世界中から集まった多くの人々の見守る中、御子イエスは、「神に呪われたもの」として(申命記21:23)、天と地との間に高く掲げられたのだそうですから。

 

 使徒パウロが言うように、キリストと呼ばれるイエスは、私たちのために呪われたものとなって、私たちを律法の呪いから贖(あがない、代価を払って買い戻すこと)い出してくださった(ガラテヤ3:13)のだそうです。

 

 そして、父である方は、墓に葬られたイエスを、三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだで復活させ、40日に渡って何度も弟子たちに現れさせ、神の国のことを語らせ、多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを見させたうえで、オリーブ山で、弟子たちの見ている前で、天のご自分の右の座に帰らせ、このイエスととおして、受け入れる者に、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、この「聖である霊」と呼ばれる方によって、受け入れる者の心に、ご自身の御思いを来させてくださって、受け入れる者が、イエスと同じように、ご自身と一つ思いになり、その業を成し遂げる、ご自身と一つ行動をとる者にしてくださるのだそうです。

神と共同して働く者、神と一つになっている者として、イエスと栄光を一つにする者にならせようと。

今日も。

 

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