風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

答えようとして、待ちかまえておられるのだそうですから

主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。ヨエル書3:5(新改訳では、2:32)

 門をたたきなさい。
そうすれが、開かれる。
ルカ11:9

 マルコ3:31~35
 ルカ18:9~17(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句10/17;火)

 天の神、主は、ヨエルを通して言われます。

「わたしは天と地に、不思議なしるしを現す。
血と火と煙の柱である。
主の大いなる恐るべき日が来る前に、
太陽はやみとなり、月は血に変わる。
しかし、主、『「わたしはあるという者」と名乗られる方』の名を呼ぶ者は
みな救われる」(ヨエル2:30~32新改訳)、と。


エスは言われます。

「求めなさい。そうすれば与えられます。

捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。

だれであっても、求める者は受け、
捜す者は見つけ出し、
たたく者には開かれます。

あなたがたは、悪い者であっても、
自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。
とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、
どうして聖霊をくださらないことがありましょう(ルカ11:9~13)、と。

けれども、自分は、得ている、知っている、到達していると自負している人は、
求めようとせず、門をたたこうともしないのですね。

 自分には、神の前に差し出す良いものが何一つないと分かっている人が、
神のあわれみを求めるようです(ルカ18:9~14)。

 〔父である神〕は、私たちが、
ご自身を愛しようとしない者、
ご自身と心を一つにしようとしない者であることを認めて、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を求め、
この方によって、ご自身と愛し合う関係に入り、
思いを一つにし、心を一つにする者になって(エゼキエル36:25~28)、
一つ家族に(マルコ3:31~35)加わってほしいと願っておられるようですね。
今日も。

 

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