風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

秘密を明かす方、天の神が言われるのだそうです。

秘密を明かす天の神がおられます。ダニエル書2:28

 「神の国は、見える形では来ない。
『ここにある』『あそこにある』と言えるものではない。
実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
ルカ17:20~21

 イザヤ42:5~9
 ゼカリヤ書14:1~11(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句12/20;水)

 人が知り得ない秘密、
この人間の歴史に起こる将来のことを明かされる方がおられるというのですね。
バビロンの王、ネブカデネザルに夢で、人間の歴史の行く道を告げ、
ダニエルを通してその夢の解き明かしを与えた方。
その方は、この人間の歴史を支配しておられる方。


 その方が言われるのだそうです。
見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、
わたしのこころに喜ぶわたしが選んだ者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
彼は国々に公義をもたらす。

彼は叫ばず、声をあげず、

ちまたにその声を聞かせない。
彼はいたんだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともなく、
まことをもって公義をもたらす。
彼は衰えず、くじけない。
ついには、地に公義を打ち立てる。
島々も、その教えを待ち望む。

天を造り出し、これを引き延べ、
地とその産物を押し広め、
その上の民に息を与え、
この上を歩む者に霊を授けた神なる主は
こう仰せられる。
「わたし、主は、
義をもってあなたを召し、
あなたの手を握り、
あなたを見守り、
あなたを民の契約とし、国々の光とする。
こうして、見えない目を開き、
囚人を牢獄から、
やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。
わたしは主、これがわたしの名。
わたしの栄光を他の者に、
わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。
先の事は、見よ、すでに起こった。
新しい事を、わたしは告げよう。
それが起こる前に、あなたに聞かせよう」(イザヤ42:1~9新改訳)と。

 パリサイ人がイエスに、「神の国はいつ来るのか」と尋ねたとき、
エスはこのように答えられたのだそうです。

エスの初臨(一回目の来臨)によって、
この人間の歴史に突入して来た「神の国(神の統治)」は、
人の目に見えるかたち、地理的な、物理的な形で、ではなく、
権力、統治権が来たことだったようです。
悪霊さえも命じればその言葉に従い、
病や死、ガリラヤ湖の暴風さえもイエスの言葉に従うという。

 イエスは、その「イエスの御名」の権威を弟子たちに授けられたのだそうです。
「汚れた霊どもを制し、
あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやし、
天の神、主の統治を地上にもたらすようにと(マタイ10:1)。

しかし、イエスが三度目に来られるときには、見えるかたちで神の国が来るようです。
預言の言葉は次のようですから。

「見よ。主の日が来る。
その日、あなたから分捕った物が、あなたの中で分けられる。
わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。
町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。
町の半分は捕囚となって出て行く。
しかし、残りの民は町から立ち滅ぼされない。

 主が出て来られる。
決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。
その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。
オリーブ山は、その真ん中で裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。
山の半分は北に移り、他の半分は南に移る。
   ~~~

その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。
これはただ一つの日であって、これは主に知られている。
昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。
その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、
その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、
夏にも冬にも、それは流れる。
主は地のすべての王となられる。
 その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。
  ~~~
 そこには人々が住み、もはや絶滅されることはなく、
エルサレムは安らかに住む」(ゼカリヤ14:1~11)と。

 これは黙示録19:11節からに対応しているのでしょうか。
最後の部分は、黙示録21章、22章のことのようです。

 秘密を明かす天の神がこのように言われているのだそうです。
この人間の歴史の行く先を。

 私たちも、この歴史の流れを見つめながら生きるのですね。
エスが遣わしてくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
今、来ている、見えない形での神の国の中を。
今日も。