風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

民全体に与えられた大きな喜びが

主において常に喜びなさい。
重ねて言います。
喜びなさい。
主はすぐ近くにおられます。
フィリピ書4:4~5

 主の使いはその周りに陣を敷き、
主を畏
(おそ)れる人を
守り助けてくださった。
詩34:8

 主の天使が近づき、
主の栄光が周りを照らしたので、
羊飼いたちは非常に恐れた。
天使は言った。
「恐れるな。
私は、民全体に与えられる
大きな喜びを告げる。
ルカ2:9~10

 ルカ1:(39~45)46~55(56)
 詩130(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句12/23;Ⅳ日曜)

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たち一人一人のすぐ近くにいてくださるのですね。

 

〔御子である神〕は、
天の栄光の位を後にして、
「女の子孫」、人間イエスとして、
インマヌエル=神は私たちとともにおられる、
という名をもって来てくださった方なのだそうです。

 

 そのイエスは、
私たちの身代わりとなり、
私たちの背き、「的外れ」の責任を負って、
神にそむいた者、神に呪われた者として(申命記21:23)、
十字架刑での処刑を受けて死んでくださり、
アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られ(マタイ27:60)、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って弟子たちに何度も現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたのだそうです(使徒1:3~11)。

 

 そして、そのイエス
天の〔父である神〕の右の座にあって
受け入れる者に派遣してくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
さらに近く、
受け入れる者を覆い、満たし、
ご自身の臨在の中に沈め、漬け込んで(使徒2:4、エペソ5:18)、
いつも、いつまでも一緒にいてくださる方なのだそうですから(ヨハネ14:16)。

 

 この方は、私たちの心の思いの端々まで、
「的外れ」な思いの一つ一つを、
〔父である神〕の御前に差し出し、
見ていただき、知っていただきながら生きる、
光に照らされた明るい歩みに導いてくださるのだそうです(エペソ5:11~14、ピリピ4:6)。

 

 私たちの心にも、
〔父である神〕の御思いを置き、書きしるして(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)、
私たちを、いつも、常に、
神と心を一つにする喜びで満たして。

 

 だから、このことを実現してくださったイエスの誕生は、
民全体に、すべての人に与えられる
大きな喜びのニュース、だったのですね。

 

 そして、〔父である神〕は、

私たちにも天使を派遣して、
私たちを守り助けてくださっているのだそうです。

 私たちをイエスの名をもって呼ばれる者、
エスと一つになっている者として。

 

 この新しい週も。

 

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