風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

前から、後から私たちを囲み、御手を私たちの上に置いて

あなたは前からも後ろからも私を囲み、
御手を私の上に置いてくださる。
詩139:5
 

 だれが、キリストの愛から
私たちを引き離すことができましょう。
艱難か。苦しみか。飢えか。

裸か。危険か。剣か。ロマ書8:35

 

 マタイ7:21~27(28~29)
 マタイ24:29~31(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句11/18;月)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方、
全能、全知なる神が、その御手でもって、
私たち一人一人を前からも後ろからも囲み、
守り、支えていてくださるというのですね。

 

 だから、誰も、どんな状態も、
私たちをこの方の愛から引き離すことはできないのですね。
この方が私たちを圧倒的な勝利者にしてくださるのだそうですから。

 

 だから、私たちは、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、
神の創造の目的から「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
エスの十字架刑での処刑に合体していただいて
処刑された者、死んだものから出て来た思いだと認めて、
これをイエスの御前に差し出し、受け取ってもらいながら、
 

 イエスを通して来てくださっている
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いで生きるのですね。

【父である神】の御思いを土台とした人生を。

 

 自分の聖書理解、自分の信仰経験による自分の思いを土台とし、
神に相談も報告もせず、
神から「聞いていないよ。知らなかったよ」と言われ生き方ではなく(マタイ7:21~27)。

 

 イエスが二度目に来られる時、
私たちは、神のラッパの鳴り響く中、
エスが、大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを
見ることになるのだそうですから。
世界中からその選びの民を集めるのを(マタイ24:29~31)。

 

 そのときまで、私たちは、
この方の守りと支えの中で、
【聖である霊】と呼ばれる方により、
この方と思いを、心を一つにしながら。
今日も。

 

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