風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私の助けは、天と地を造られた主から来る

目を上げて、私は山々を仰ぐ。
私の助けはどこから来るのか。
私の助けは来る、
天地を造られた主のもとから。
詩121:1~2

 

 あなたがたも忍耐しなさい。
心を固く保ちなさい。
主が来られる時が迫っているからです。
ヤコブ書5:8

 

 イザヤ書11:10~13
 イザヤ書50:4~11(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句12/19;木)


 目を上げて、
天の御座におられる方を仰ぐのですね。
私たちの助けはこの方から、
天と地を創造された方から来るのだそうですから。
心を強くし、固く保ち、期待をもって待ち望むのですね。
神から来る助けを。

そして、主イエスが二度目に来られる時が間近になっているのだそうですから。


 「その日、
エッサイダビデ王の父)の根(子孫)は、
国々の旗として立ち、
国々は彼を求め、
彼のいこう所は栄光に輝く。
その日、主は再び御手を伸ばし、
御自分の民の残りを買い取られる。
主は、国々のために旗を揚げ、
イスラエルの散らされたものを取り集め、
ユダの散らされた者を
地の四隅から集められる。」(イザヤ11:10~12)
のだそうですから。

 

 「神である主は、私に弟子の舌を与え、
疲れた者をことばで励ますことを教え、

朝ごとに、私を呼びさまし、
私の耳を開かせて、
私が弟子のように聞くようにされる。
神である主は、私の耳を開かれた。
私は逆らわず、後に退きもせず、
打つ者に私の背中をまかせ、

ひげを抜く者に私の頬(ほお)を任せ、
侮辱されても、つばきをかけられても、
私の顔を隠さなかった。


 しかし、神である主は、私を助ける。

それゆえ、私は、侮辱されなかった。
それゆえ、私は顔を火打石のようにし、
恥を見てはならないと知った。
私を義とする方が近くにおられる。
だれが私と争うのか。
さあ、さばきの座に共に立とう。
どんな者が、私を訴えるのか。
私のところに出て来い。
見よ。神である主が、私を助ける。
だれが私を罪に定めるのか。
見よ。彼らはみな、衣のように古び、
しみが彼らを食い尽くす。」(イザヤ50:4~9)

 

 私たちも助け主である方に目を上げ、この方の救いを待ち望んで。

今日も。

 

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