風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神の、救い出す力の偉大さを体験してほしい、と

主は言われる。
「わたしの手は短すぎて贖
(あがな)うことができず、
わたしには
救い出す力がないというのか。」
イザヤ書50:2

 

 神が
私たちの心の目を開いてくださるように。
そして神の招きにより、
いかに希望が与えられ、
聖なる者たちの受け継ぐものが
いかに豊かな栄光に輝いているか、
神の力がいかに大きなものか
悟らせてくださるように。
エフェソ書1:18~19

 

 イザヤ書42:5~9
 イザヤ書51:1~8(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句12/20;金)


 私たちは、とかく、
神の手は短くて私を助けることができない、
神には私たちを救いだす力がないと思いがちです。

 

 けれども、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は言われるのですね。
「なぜ、わたしが来たとき、だれもおらず、
わたしが呼んだのに、だれも答えなかったのか。
見よ。わたしは、しかって海を干上がらせ、
多くの川を荒野とする。
わたしは天をやみでおおい、
荒布をそのおおいとする」(イザヤ)50:2~3)、と。

 

 そんな私たちですけれど、
もし、神が私たちの心の目を開いてくださって
はっきり見えるようにしてくださるなら、
私たちも、
神の召し、招きにより与えられる希望がどのようなものか、
私たちに受け継がせようとしていてくださるものが、
どのように栄光に輝いているものか、
私たちに働く神の全能の力が
どのように偉大なものであるのかを見ることができるのですね。


 神は、天を造り出し、これを引き延べ、
地とその産物を押し広め、
その上の民に息を与え、
この上を歩む者に霊を授けた方。
 

 その方が言われます。
「わたし、【主】は、
義をもってあなたを召し、
あなたの手を握り、
あなたを見守り、
あなたを民の契約とし、国々の光とする。
こうして、見えない目を開き、
囚人を牢獄から、
やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。
わたしは【主】、「『わたしはある(I am)』という者」
これがわたしの名。
わたしの栄光を他の者に、
わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。
先の事は、見よ、(預言したとおりに)すでに起こった。
新しい事を、私は告げよう。
それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。」(イザヤ)42:5~9新改訳)


 また、言われます。
「義を追い求める者、【主】を尋ね求める者よ。
わたしに聞け。
あなたがたの切り出された岩、
掘り出された穴を見よ。
あなたがたの父アブラハムと、
あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。
わたしが彼一人を呼び出し、
わたしが彼を祝福し、
彼の子孫を増やしたことを。
まことに【主】はシオンエルサレムを慰め、
そのすべての廃墟を慰めて、
その荒野をエデンのようにし、
その砂漠を【主】の園のようにする。
そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。
わたしの民よ。わたしに心を留めよ。
わたしの国民よ。わたしに耳を傾けよ。
おしえはわたしから出、
わたしはわたしの公義を定め、
国々の民の光とする。
わたしの義は近い。
わたしの救いはすでに出ている。
わたしの腕は国々の民をさばく。
島々はわたしを待ち望み、
わたしの腕に拠り頼む。
目を上げよ。また下の地を見よ。
天は煙のように消え失せ、
地は衣のように古びて、
その上に住む者は、ぶよのように死ぬ。
しかし、わたしの救いはとこしえに続き、
わたしの義はくじけないからだ。
義を知る者、心にわたしのおしえを持つ民よ。
わたしに聞け。
人のそしりを恐れるな。
彼らのののしりにくじけるな。
しみが彼らを衣のように食い尽くし、
虫が彼らを羊毛のように食い尽くす。
しかし、わたしの義はとこしえに続き、
わたしの救いは代々にわたるからだ。」(イザヤ51:1~8)


 私たちも、【聖である霊】と呼ばれる方によって
心の目を開いていただき、
この方の救い、御力の現れの中に。

今日も。

 

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