心の暗闇にも、光である方が訪れてくださって
わたしは行く手の闇を光に変え、
曲がった道をまっすぐにする。イザヤ書42:16
我らの神の憐れみによって、
高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
暗やみと死の陰に座している者たちを
照らし、
我らの歩みを平和の道に導く。ルカ1:78,79
創世記1:14~19
Ⅰペテロ4:1~11(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句5/6;水・休)
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちを見捨てることなく、
私たちの行く手にある闇を光に、
曲がった道をまっすぐに、
デコボコの道を平らにしてくださる方。
私たちを深く憐れんでくださって、
曙の光、夜明けの光を私たちに訪れさせ、
暗やみと死の陰に座り込んでいる者、住んでいる者を照らして、
平和の道を歩むようにしてくださる方なのだそうです。
この方が、
「光る物が天の大空にあれ。
昼と夜を分けよ。
定められた時々のため、日と年とのためのしるしとなれ。
また天の大空で光る物となり、
地の上を照らすようになれ」と仰ると、
そのとおりになったのだそうです。
それらを天の大空に置き、地の上を照らさせ、
また昼と夜を治めさせ、光と闇を分けるようにされて。
私たちの心の暗闇、
「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る欲望による
好色、情欲、泥酔、遊興、宴会騒ぎ、暴飲、
偶像礼拝などにふけっていたところから、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
神の御思いを心に置いていただいて、
光の中、神の御思いを生きる者としてくださって。
互いに熱心に愛し合い、
愛によって多くの罪をおおい、
不平を言わないで、互いにもてなし合い、
神の様々な恵みの良い管理者として、
受けている神からの賜物を用いて互いに仕え合って。
神のことばにふさわしく語り、
神が備えてくださる力によって奉仕して。(Ⅰペテロ4:1~11)
今日も。
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