風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちのうちにおられる方によって、御思いのとおりに

あなたたちは
人を侮るように神を侮っているが、
神に追及されてもよいのか。
ヨブ記13:9

信仰をもって生きているかどうか
自分を反省し、自分を吟味しなさい。
あなたがたは
自分自身のことが分からないのですか。
イエス・キリスト
あなたがたの内におられることが。
Ⅱコリント13:5

 

 Ⅰコリント14:6~9 15~19
 Ⅰテモテ2:8~15(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/14;木)


 ヨブの友人たちは、
神に代わってヨブに罪を認めろと迫ったのですが、
それは、神の顔を立てるつもり、
神のために言い争うっているつもりで、
神をあざむこうとすることだとヨブは言うのですね。

 

 私たちも、自分の聖書の知識、信仰生活の経験で
他の人の信仰を推し量り、
人を罪に定めるようなこととしがちです。

 

 しかし、パウロは言うのですね。

 

 


自分のうちに、イエス・キリストがおられる、
エスの名によって来て下さる
【聖である霊】と呼ばれる方がおられるのなら、
〔生まれたときからの私〕という
自分自身から出て来る思いによってではなく、
内におられるこの方の御思いに聞いていくべきだと。

 神は、
私たち、ご自身につく者たちとの関係を育て、
成長させようとしておられるのだそうですから。

 それで、「聖である霊」と呼ばれる方は、
皆の集まりでは、
誰かを用いて意味の分かる、明瞭な言葉で、
啓示や知識、預言、教えを語るようにされるのだそうです。

 

 霊で祈り、知性でも祈り、霊で賛美し、知性でも賛美し、
感謝をささげるように、と。(Ⅰコリント14:6~9、15~19)

 

 また、男たちを、怒ったり言い争うのではなく、
神に向かってきよい手を上げて祈り、相談するように。

 

 女たちには、
はでな髪形や、金や真珠や高価な衣服によってではなく、
つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、
神を敬うと言っている者にふさわしい、
良い行いで自分を飾るように、と。

よく従う心をもって静かに学ぶように、と。(Ⅰテモテ2:8~15)

 

 私たちのうちにおられる方によって。
今日も。

 

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