風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

天は喜び歌い、地は喜び躍り、山々は喜びの歌声を上げ

天よ、喜び歌え、

地よ、喜び躍れ。

山々よ、歓声を上げよ。

主は御自分の民を慰め、

その貧しい人々を憐れんでくださった。イザヤ書49:13

 

 キリスト・イエスは、

私たちにとって

神の知恵となり、

義と聖と贖いとなられたのです。Ⅰコリント1:30

 

 イザヤ書26:7~12(13~15)

 イザヤ書19:16~25(通読箇所)  

   (ローズンゲン日々聖句12/11;火)

 

 〔父である神〕は、御自分の民を憐れんでいてくださり、

心の、霊の貧しい者、

神の前に立てる正しさを何一つ持っていない者(マタイ5:3)を

慰めようと思っていてくださるのだそうですね。

 

 それで、〔御子〕である方を、

人間イエスとして、

この私たち人間の歴史の中に派遣し、

この方がおよそ33歳の頃、

この方の上に私たちの〔的外れ」の責任のすべてを負わせて、

この方を神にそむいた者、神に呪われたものとし、

十字架刑で処刑されたのだそうです。

 

 そして、私たち一人一人を、このイエスに合わせられたものとし、

私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を

エスの受けられた十字架刑での処刑で処刑されたものとし、

死亡手続きをしてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、この死んで墓に葬られたイエスを、

三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活させ、

40日に渡って弟子たちに何度も現れさせ、神の国のことを告げさせ、

オリーブ山で弟子たちが見守る中、天に上げ、

ご自身の右の座につかせなさったのだそうです。

 

そして、そのイエスを通して、

受け入れる者にもう一人の方、

〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、

この方によって受け入れる者の心にご自身の御思いを置いてくださり、

書きしるしてくださって(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)、

受け入れる者がご自身と思いを一つにして生きるようにしてくださるのだそうです。

 

 御子イエスの知恵と、

義と聖と贖(あがな)いで包んで。

私たち一人一人を通してされるすべての善きわざを用意して(イザヤ26:12)。

祝福をもって(イザヤ19:25)。

 

 それを見て、

天は喜び歌い、

地は喜び躍り、

山々は歓声を上げるのだそうです。

 

 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを

待ち望んでいるのだそうですから(ロマ8:19)。

 

 今日も。

 

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神から来る霊によって

身を起こして頭を上げなさい。

あなたの解放の時が近いからだ。ルカ21:28(12/9の週の聖句)

 

 わたしは主である。

むなしいしるしを告げる者を混乱させ、

占い師を狂わせる。イザヤ書44:25

 

 愛する者たち、

どの霊も信じるのではなく、

神から出た霊かどうかを確かめなさい。Ⅰヨハネ4:1

 

 ルカ21:25~33

 詩1(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句12/9;Ⅱ日曜)

 

 私は、

命のある限り、あなたをたたえ、

手を高く上げ、

御名によって祈ります。詩篇63:5

 

 パウロの言葉:

そこで、まず、第一に勧めます。

願いと祈りと執り成しと感謝とを

すべての人々のためにささげなさい。Ⅰテモテ2:1

 

 イザヤ書25:1~8

 イザヤ書14:1~23(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句12/10;月)

 

 イエスは言われるのですね。

「そして、日と月と星には、前兆が現れ、

地上では、諸国の民が、

海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、

人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、

恐ろしさのあまり気と失います。

天の万象が揺り動かされるからです。

そのとき、人々は、

人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。

これらのことが起こり始めたなら、

からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。

解放の時、贖いが近づいたのです。」(ルカ21:25~28新改訳)、と。

 

 そして、また、言われるのですね。

「わたしは万物を造った主、

「『わたしはある(Iam)』 という者」だ。

わたしはひとりで天を張り延ばし、

ただ、わたしだけがで、地を押し広げた。

わたしは自慢する者のしるしを破り、

占い師を狂わせ、

知恵ある者を退けて、その知識を愚かにする」(イザヤ44:24~25新改訳)、と。

 

 だから、霊だからといって、

どの霊もみな信じるのではなく、

その霊が神から出た霊かどうかをためし、

確かめるように、と言われるのですね。

 

 イエスを通して来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方が

私たちの心に置いてくださる〔父である神〕の御思いは、

神である主をたたえ、

すべての人のために、

また、指導的立場にある人のために、

エスの御名によって、

願い、祈り、執り成し、感謝をささげるもの、

なのだそうですから。

 

 「私は天に上ろう。

神の星々のはるか上に私の王座を上げ、

北の果てにある会合の山にすわろう。

密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう」(イザヤ14:13~14)とする

サタンとその手下の悪霊たち、

 

 また、そのサタンに誘われて、

「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになった(創世記3:5、22)

私自身である

〔生まれたときからの私〕という霊から来る思いによって行動するのではなく、

〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる

〔父である神〕の御思いによって生きるのですね。

 

 この新しい週も。

 

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永遠の命の言葉を持っておられる方によって

主はあなたを見守る方、

あなたを覆う陰、

あなたの右にいます方、

昼、太陽はあなたを撃つこがなく、

夜、月があなたを撃つことがない。詩121:5~6

 

イエス・キリスト

最後まであなたがたをしっかり支えて、

私たちの主イエス・キリストの日に、

非の打ち所のない者にしてくださいます。Ⅰコリント1:8

 

 コロサイ書1:9~14

 イザヤ書9:1~6(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句12/5;水)

 

 どうか我らを助け、

敵からお救いください。

人間の与える救いはむなしいものです。詩60:13

 

 シモン・ペテロの言葉:

主よ、

私たちはだれのところへ行きましょうか。

あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。

あなたこそ神の聖者であると、

私たちは信じ、また知っています。ヨハネ6:68~69

 

 Ⅰテサロニケ5:(1~3)4~8

 イザヤ書9:7~10:4(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句12/6;木)

 

 天の神、主、

「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、

私たちを、いつも見守り、

すべての災いから守ってくださる方、

最後まで支えて、

非の打ちどころのない者、

だれも責めようのない者、

完全な者にしてくださる方なのですね。

 

 私たちを、

あらゆる霊的な知恵と理解力によって、

神の御心に関する真の知識で満たし、

主にかなった歩みをして、

あらゆる点で主に喜ばれ、

あらゆる善行のうちに実を結び、

神を知る知識を増し加え、

 

 また、神の栄光ある権能に従い、

あらゆる力をもって強くし、

忍耐と寛容を尽くし、

また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を与えてくださった父なる神に、

喜びをもって感謝をささげることができるように(コロサイ1:9~14)。

 

 

 〔御子である神〕、

不思議な助言者(ワンダフルカウンセラー)、

力ある神、

永遠の父、

平和の君と呼ばれる方が、

ダビデの家系である処女マリヤの胎をとおして、

一人の男の子、イエスとして生まれ(イザヤ9:6)てくださったのだそうです

 

 そして、私たちの身代わりとなり、

私たちのそむき、「的外れ」の責任を負って

十字架刑での処刑を受けてくださり、

「的外れ」、

「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている、

私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を

処刑済み、死んだものとしてくださったのだそうですから。

 

 そして、死んで葬られ、

三日目、日曜日の早朝、

死人の中から新しい霊のからだに復活されたイエスは、

40日に渡って弟子たちに何度も現れ、神の国のことを語った後、

オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、

天の〔父である神〕の右の座に帰られたのですが、

 

 そこから、

受け入れる者に、

もう一人の方、

〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 

 この方は、私たちの心に、

〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを置いてくださり、

受け入れる者が

〔父である神〕の御思いと思いを一つにしながら

生きるようにしてくださるのだそうです。

 

 ですから、私たちも、

むなしい人間に救いを求めるのではなく、

ペテロが言うように、

このイエスに救いを求めていくのですね。

 

 〔父である神〕、

〔御子である神〕イエス

〔聖である霊と呼ばれる神〕と

思いを一つにしながら、

信頼と愛を胸当として着け、

救いの望みのかぶとをかぶって、

慎み深く。

今日も。

 

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栄光の位を継ぐとき、やがていただける恵みを待ち望みながら

主は、

弱い者を塵の中から

立ち上がらせられた。サムエル記上2:8

 

 羊飼いは、

見失った羊を見つけたら、

喜んでその羊を担(かつ)いで行った。ルカ15:5

 

 Ⅰペテロ1:(8~9)10~13

 イザヤ書8:1~15(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句12/;月)

 

 天の神、主、

「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、

弱い者を塵から起き上がらせ、

貧しい人を、あくたから引き上げ、

高貴なものとともに、座らせ、

彼らに栄光の位を継がせられる方。

 

 迷い出た羊を捜し歩き、

見つけたら、大喜びでその羊を肩にかついで、帰って来て、

友だちや近所の人たちを呼び集め、

「いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んで下さい」と

大喜びをする方なのだそうです。

 

 私たちは、そのイエスを信頼し、魂の救いを得ています。

エスを見たことはないけれども愛しており、

いま見てはいないけれども信頼しており、

ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びに踊っています。

 

 旧約聖書を書いた預言者たちも、

自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、

キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、

だれを、また、どのような時をさして言われたのか、

熱心に尋ね、細かく調べたのだそうです。

 

 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、

今の私たちのための奉仕であるとの啓示を受けました。

 

 そして今や、それらのこと、イエスに関する救いのことは、

天から送られた聖霊によって

私たちに福音、喜ばしいニュースを語った人々を通して、

私たちに告げ知らされているのですね。

 

 それで、私たちは、心を引き締め、身を慎み、

イエス・キリストの現れ(二度目に来られる)のとき

私たちにもたらされる恵みを、

ひたすら待ち望んでいるのですね(Ⅰペテロ1:8~13)。

 

 さまよい出て、迷ってしまう私たちを、

捜し求め、

起こし、立ち上がらせてくださる方によって、

御思いを心に置いていただきながら。

今日も。

 

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栄光の王が入られるよう、心の戸を開いて

見よ、あなたの王が来る。

彼は神に従い、

勝利を与えられた者。ゼカリヤ書9:9(12/2の週の聖句)

 

 主なる神はこう言われる。

悔い改めて、

お前たちの偶像を離れよ。エゼキエル書14:6

 

 律法学者はイエスに言った。

「先生、おっしゃるとおりです。

『神は唯一である。ほかに神はない』

とおっしゃったのは、本当です。

 

 そして、

『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、

また隣人を自分のように愛する』ということは、

どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも

優れています。」マルコ12:32~33

 

 マタイ21~1~9

 詩24(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句12/2;Ⅰ日曜)

 

 私たちの王である方が来られるのですね。

この方は、神に従い、

〔父である神〕と思いを一つにして生きるという

正しい生き方をなさる方。

 

罪にも、死にさえも勝利されて、

私たちに救いを与えてくださる方。

 

 柔和で、

最初に来られたときには、軍馬にではなく、ろばに、

それも子ろばに乗られてエルサレムに入城された方なのですね(マタイ21:1~9)。

 

 私たち、今までは、

「神のひとりのようになり、善悪を知る」者で(創世記3:5、22)、

自分の理性を神とし、

自分の理性の善し悪しの判断だけで生きて来たものですが、

 

 神は、その私たちに、

方向転換して、天の神、主に向き返り、

〔父である神〕と思いを一つにして生きるようにと、

新しい生き方に招待していてくださるのだそうです。

 

 唯一の神、この方を愛し、

この方の御思いが成ることを喜びとし、

周りの人を大切に思うようにと。

 

 そして、ダビデの歌を私たちもうたうのですね。

地とそれに満ちているもの、

世界とその中に住むものは主のものである。

まことに主は、海に地の基を据え、

また、もろもろの川の上に、それを築き上げられた。

誰が、主の山に登り得ようか。

だれが、その聖なる所に立ち得ようか。

手がきよく、心がきよらかな者、

そのたましいをむなしいことに向けず、

あざむき誓わなかった人。

その人は主から栄光を受け、

その救いの神から義を受ける。

これこそ、神を求める者の一族、

あなたの御顔を慕い求める人々、ヤコブである。

 

 門よ。おまえたちのかしらを上げよ。

永遠の戸よ。上がれ。

栄光の王が入って来られる。

栄光の王とはだれか。

強く、力ある主。

戦いに力ある主。

 

 門よ。おまえたちのかしらを上げよ。

永遠の戸よ。上がれ。

栄光の王が入って来られる。

その栄光の王とはだれか。

万軍の主。これぞ、栄光の王(詩篇24:7~10新改訳)、と。

 

 この新しい週も。

 

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見せ、体験させ、喜ばせようと

御救いを愛する人

神をあがめよと

いつも歌いますように。詩70:5

 

 群衆はこぞって、

エスがなさった

数々のすばらしい行いを見て

喜んだ。ルカ13:17

 

 黙示録21:10~14、21~27

 イザヤ書7:10~17(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句12/1;土)

 

 イスラエルの王、ダビデはうたいました。

神よ。私を救い出してください。

主よ。急いで私を助けてください。

私のいのちを求める者どもが、恥を見、

はずかしめを受けますように。

私のわざわいを喜ぶ者どもが退き卑しめられますように。

「あはは」と笑う者どもが、

おのれの恥のためにうしろに退きますように。

 

 あなたを慕い求める人がみな、

あなたにあって楽しみ、喜びますように。

あなたの救いを愛する人たちが、

「神をあがめよう」と、いつも言いますように。

 

 私は、悩む者、貧しい者です。

神よ。私のところに急いで来てください。

あなたは私の助け、私を救う方。

主よ。遅れないでください(詩篇70新改訳)と。

 

 

 イエスのときも、

群衆は、イエスがなさったすべての輝かしいみわざを見て、

喜んだのだそうです。

 

 使徒ヨハネは、

やがて実現する、天から下って来る聖なる都、

新しいエルサレムの幻を見て喜んだのですね。

 

 都には神の栄光があった。

その輝きは高価な宝石に似ており、

透き通った碧玉(へきぎょく)のようであった。

都には大きな高い城壁と12の門があって、

それらの門には12人の御使いがおり、

イスラエルの子らの12部族の名が書いてあった。

 

 12の門は12の真珠であった。

どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。

 

 都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。

私は、この都の中に神殿を見なかった。

それは、万物の支配者である、

神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。

 

 都には、これを照らす太陽も月もいらない。

神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。

諸国の民が、都の光によって歩み、

地の王たちはその栄光を携えて都に来る。

都の門は一日中決して閉じることがない。

そこには夜がないからである。

こうして、人々は

諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る(黙示録21:11~12、21~26)

のだそうですから。

 

 

 神は、イザヤを通して預言して言われました。

「見よ。処女がみごもっている。

そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける」(イザヤ7:14)。

 

 そして、それから700年ほど後、

「どうしてそのようなことになりえましょう。

私はまだ男の人を知りませんのに」(ルカ1:34)というマリヤを通して

〔御子である神〕が、人間イエスとなられ、

 

 この知らせを受け、急いでベツレヘムへ行って、

マリヤとヨセフと、

飼い葉おけに寝ておられるみどりごとを探し当てた羊飼いたちは、

見聞きしたことが、全部御使いの話しのとおりだったので、

神をあがめ、賛美しながら帰って行った(ルカ2:16~20)のだそうです。

 

 〔父である神〕は、

〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、

これからしようと思われる御思いを私たちの心にも置いてくださり、

私たちに、それが実現するのを見せ、喜ばせてくださるのですね。

今日も。

 

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死と陰府の鍵を持っておられる方が

教えてください、主よ、

私の行く末を、

私の生涯はどれほどのものか、

悟れるように。詩39:5

 

 恐れるな。

私は最初の者にして最後の者、

また生きている者である。

一度は死んだが、

見よ、世々限りなく生きて、

死と陰府の鍵を持っている。黙示録1:17~18

 

 Ⅰテサロニケ5:9~15

 イザヤ書6:1~13(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句11/29;木)

 

 もしあなたがあなたの神、

主の御声によく聞き従うなら、

あなたは入るときも出て行くときも

祝福される。申命記28:1、6

 

 その夜パウロが幻を見、

一人のマケドニア人が

「こちらに来て私たちを助けてほしい」と願ったので、

私たちはすぐに出発した。

彼らに福音を告げ知らせるために

神が私たちを召されたのだと

確信するに至ったからである。使徒16:9~10

 

 ヘブル書13:10~16

 イザヤ書7:1~9(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句11/30;金)

 

 私たちは死に対して恐れを感じ、

この生涯がいつ終わるのかを気にしています。

 

 けれども、イエスは言われるのですね。

恐れなくていいと。

 

 それは、イエスが、最初の者にして最後の者、

永遠に生きておられる方だから、なのだそうです。

 

 イエスは、私たちの身代わりとなって、

私たちの、創造の目的からの「的外れ」の責任を

ご自身に負って十字架刑での処刑を受け、

死んで墓に葬られた方なのですが、

 

 三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活し、

世々限りなく生きておられる方。

死と陰府の鍵を持っておられる方、

死と陰府を治めておられる方なのだそうですから。

 

 だから、この方にお願いしていけば大丈夫、なのだそうです。

エスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、

私たちが目覚めていても、眠っていても、

主、イエスと共に生きるようにしてくださるのだそうですから。

 

 この方が心に置いてくださる御心によって、

私たちも、互いに励まし合い、

互いに徳を高め合い、

悪をもって悪に報いず、

いつも善を行うようにしていただけるのだそうです(Ⅰテサロニケ5:9~15)。

神の祝福の中で。

 

 あの、パウロがそうであったように、

私たちも、〔父である神〕が、

私たち一人一人を通してしようと思われることを

していくようになるのですね。

 

 後に来ようとしている都を目指して。

賛美のいけにえをささげながら(ヘブル13:14~15)。

今日も。

 

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