風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

力と知恵を与えてくださり

どうか主が
民に力をお与えになるように。
詩29:11

 

議員や他の者たちは、
ペテロとヨハネの大胆な態度を見、
しかも二人が
無学な普通の人であるのを知って驚き、
また、イエスと一緒にいた者であると
いうことも分かった。
使徒4;13

 

 ヨナ書4:1~11
 列王記上18:25~46(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/11;土)

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
とこしえに御座に着いておられる方。
ご自分の民に力をお与え、
ご自分の民を、平安をもって祝福される方。


 それで、特に律法の勉強をしたこともなく、
普通の人であるペテロとヨハネ
ユダヤ最高議会(サンヘドリン)で、
国の最高指導者である大祭司や律法学者、
民の長老たちの取り調べに対しても、
この方から来る知恵と力において、
大胆に答えていたのですね。
それを見て、人々が驚くほどに。


 また、この方は、ご自身の御前でも、
私たちを大胆にしてくださり、
はばかることなく御座に近づき、
ご自身と親しく語ることができるように
していてくださるのだそうです。

 

 ニネベに派遣された預言者のヨナが、
この方が心を変えられ、
ニネベの人々を滅ぼすことを思いとどまられたことに対して、
ご自身に、思いっきり、不満をぶっつけて来るのも、許し、
そのままに受け取ってくださり、
やさしくさとしてくださって。(ヨナ4:1~11)

 

 また、ご自分を捨て、
パアルを自分の神としていくイスラエルの民を、
エリヤを通して天から火を下して
祭壇の上のものを焼き尽くすようなしるしを見せて、
ご自身に立ち返るよう、
寛容をもって語ってくださって。(Ⅰ列王18:25~46)

 

 【父である神】は、イエスを通して
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣してくださり、
この方によって、知恵と力を現してくださるのだそうですから。
私たちを通しても。
今日も。

 

 

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私たちの避けどころ、希望、確信の源泉となってくださって

主はあなたの避けどころ。詩91:9

私たちは希望を抱いているので、
確信に満ちあふれています。
Ⅱコリント3:12

 

 Ⅰコリント12:19~26
 列王記上17:17~24(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/9;木)

 

 

人々が、代々に御業をほめたたえ、
力強い御業を告げ知らせますように。
詩145:4

多くの人々が豊かに恵みを受け、
感謝の念に満ちて
神に栄光を帰すようになります。
Ⅱコリント4:15

 

 フィリピ書2:1~5
 列王記上18:1~24(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/10;金)

 

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)を避けどころ、避難所とし、
この方を自分の住まいとする者は、
確信に満ちあふれ、大胆に行動する者となります。

 

 けれども、それは、自分一人で何でもできるということではなく、
神から自分に与えられた分、役割があるようです。

 

 天の神、主は、一人の人にすべてを与えて、
一人の人でことを行われるのではなく、
一人ひとりに持ち場を与え、
それぞれの働きが合わせられ、総合されて
一つの働きとなるよう、私たち人間を造っておられるようです。

 

 私たちが、自分の分を認め、
ちがっていながら、お互いを認め合い、尊重し合うようにと。

 ちょうど、からだが一つの肢体、器官でできているのではなく、
それぞれの肢体、器官が違っていながら
一つからだを形成しているように。

 だから、パウロが言うように、
私たちも、皆が同じであればからだとなることはできないし、
目が手に向かって「あなたは要らない」と言うことはできないし、
頭が足に向かって「あなたがたは要らない」と言うことも
できないのですね。
 

 それどころか、からだの中でほかよりも弱く見える部分が、
かえってなくてはならないもののようです。(Ⅰコリント12:19~22)


 預言者エリヤも、自分に自信があって、
自分はそういうことができる者だと思っていて、
死んでしまった、自分が世話になっている家の女主人の息子を
生き返らせたのではなく、
天の神、【主】に、
「私の神、【主】よ。
どうか、この子のいのちをこの子のうちに戻してください」
と叫んで、
天の神、【主】によって生き返らせてもらい、
その子の母親に渡すことができたのだそうですから。(Ⅰ列王17:17~24)

 

それで、私たちは、この方、天の神、【主】の御業をほめ歌い、
その大能の御業を告げ知らせるのですね。

 

 主イエスを死者の中から、
新しい霊のからだによみがえらせたこの方は、
私たちにも新しい霊のからだを着せてくださって、
エスとともによみがえらせ、
御前に立たせてくださるのだそうですから。

 

 すべてのことを私たちのためにしてくださり、
恵みがますます多くの人に及んで感謝が満ちあふれ、
神の栄光が現れるようにしてくださるのだそうですから。


 私たちを、【聖である霊】と呼ばれる方によって
エスの中にいる者とし、
励ましがあり、愛の慰めがあり、
【聖である霊】と呼ばれる方との交わりがあり、
愛情とあわれみがある者とし、

 

同じ、神の思いを思う者とし、
同じ愛の心を持ち、
心を合わせ、思いを一つにして、
喜び合う者にしてくださるのだそうですから。

 

 何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、
へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思い合い、
自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みる者に、と。
 

 キリスト・イエスのうちにあるこのような思いが
私たちの間にもあるように、と。(ピリピ2:1~5)

 

 

 この方は、隣国、フェニキアのツロ、ツアレファテに
身を隠させていた預言者エリヤを、
イスラエルの王アハブの前に身を現すように言い、
カルメル山でバアルの預言者450人、
アシェラの預言者400人と対決させ、
牛を切り裂いてたきぎの上に載せた祭壇の上に
天から火を下して焼き尽くし、
民を、「【主】こそ神です」と
ご自身に立ち返るようにされたのだそうです。


 また、降り出した激しい大雨の中を
車で宮殿に帰る王の前を走らせ、
キリストの前に道を整える者バプテスマのヨハネの予表とされて。(Ⅰ列王18:1~46)

 

天の神、【主】は、私たちの避けどころとなり、
ご自身がしようと思われることのために
私たちを用いてくださるのだそうですから。
希望と確信に満ちさせて、
私の今日の分を。
今日も。

 

 

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言われたとおりに、驚くべき御業をなさって

主は再び、驚くべき業を重ねて、
この民を驚かす。
賢者の知恵は滅び、
聡明な者の分別は隠される。
イザヤ書29:14

 

多くの人々はイエスの教えを聞いて、
驚いて言った。
「この人は、
このようなことをどこから得たのだろう。
この人が授かった知恵と、
その手で行われるこのような奇跡は
いったい何か。」
マルコ6:2

 マルコ11:(20、21)22~26
 列王記上17:7~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/8;水)

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は言われます。
「この民は口先でわたしに近づき、
唇でわたしを敬いながら、
その心がわたしから遠く離れている。
彼らがわたしを恐れるのは、
人間の命令を教え込まれてのことである。


 それゆえ、見よ。わたしはこの民に再び、
不思議なこと、驚くべきことをする。
この民の知恵ある者の知恵は滅び、
悟りのある者の悟りは隠される」と。

 

 

エスが、公生涯、
キリスト(救い主)としての活動を始められた頃のこと、
郷里のナザレに行かれ、
安息日に会堂で教え始められたのだそうです。
すると、それを聞いた多くの人々が驚いて言った。
「この人は、こういうことをどこから得たのだろう。
この人に与えられた知恵や、
その手で行われるこのような力あるわざは、
いったい何なのか。
この人は大工ではないか。
マリアの子で(たぶん、父、ヨセフはなくなっていて)
ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。
その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか」と。

 

 

 その、公生涯の終わりの頃、
エスが人々の手で捕らえられ、
十字架刑で処刑される最後の一週間(受難週)のこと、
エルサレムに着き、宮に入られ、すべて見て回った後、
すでに夕方になっていたので、
12弟子たちと一緒に
ベタニヤ(あのマルタとマリアの姉妹のいる村)に出て行かれ、
そこに泊まられたのですね。

 

 翌日、ベタニアを出てエルサレムに向かわれるとき、
エスは空腹を覚えられ、
葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、
その木に何かあるかどうか見に行かれたのだそうです。

 けれども、いちじくのなる季節ではなかったので、
葉のほかには何も見つからなかった。
すると、イエスは、その木に向かって
「今後 いつまでも、だれも
おまえの実をたべることがないように」と言われたのだそうです。

 そして、その翌朝早く、
彼らが通りがかりにいちじくの木を見ると、
それは根元から枯れていた。
ペテロは思い出して、イエスに言った。
「先生、ご覧ください。
あなたがのろわれた、いちじくの木が枯れています。」

 イエスは弟子たちに答えられた。
「神を信じなさい。
まことに、あなたがたに言います。
この山に向かい、『立ち上がって、海に入れ』と言い、
心の中で疑わず、自分の言ったとおりになると信じる者には、
そのとおりになります。

 

 ですから、あなたがたに言います。
あなたがたが祈り求めるものは何でも、
すでに得たと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになります。

 また、祈るために立ち上がるとき、
だれかに対しうらんでいることがあるなら、赦しなさい。
そうすれば、天におられるあなたがたの父も、
あなたがたの過ちを赦してくださいます。」

 


 イエスは、
「わたしが天から下って来たのは、
自分の思いを行うためではなく、
わたしを遣わされた方のみこころを行うためです」(ヨハネ6:38)、
「わたしは自分からは何もせず、
父がわたしに教えられたとおりに、
これらのことを話している」(ヨハネ8:28)と仰られる方。

 

 だから、いちじくの木に
「今後いつまでも、だれもおまえの実をたべることがないように」
と言われたのも、

 また、山に向かって「立ち上がって、海に入れ」と言うのも、
私たちが勝手にそう思って、そう言う」ということではなく、
【父である神】がそう言うようにと言われるので、
ということが先にあるのでしょうね。

 

 

 預言者エリヤが、アハブ王に、
「私のことばによるのでなければ、
ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない」と言ったのも、
【父である神】がそう言うようにとエリヤをうながされたから、
なのでしょうね。

 

 雨が降らず、飢饉ききんになって、
かめに残った一握りの粉と、
つぼの中にほんの少し残っている油で
小さなパンを作り、
息子と二人でそれを分け合って食べ、
あとは飢え死にするのを待つだけ、という貧しいやもめに、

エリヤが、「恐れてはいけません。
行って、あなたが言ったようにしなさい。
しかし、まず私のためにそれで小さなパン菓子を作り、
私のところに持って来なさい。
その後で、あなたとあなたの子どものために作りなさい」
ということができたのも、
神である【主】が、
「【主】が地の上に雨を降らせる日まで、
そのかめの粉は尽きず、
そのつぼの油はなくならない」と言われたから、
なのですね。(Ⅰ列王17:17~24)

 

 そのように、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
わたしたちのためには、
人間の知恵、分別では考えられないようなことを言われ、
そして、そのことばのとおりを実行なさる方なのですね。
ご自身の「信」にかけて。

 私たちがこの方が真の神であることを体験し、
知ることができるように、と。
今日も。

 

 

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叫び求める声を聞いてくださって。

私は恐怖に襲われて
主に「御目の前から断たれた」と言いました。
それでも、私が叫んで、嘆き祈る声を、
あなたは聞いてくださいました。
詩31:23

バルティマイという盲人がイエス
「私を憐れんでください」と叫び始めた。
人々が黙らせようとしたが、
エスは「彼を呼んで来なさい」と
言われた。
マルコ10:46~48、49

 

 Ⅱコリント2:5~11
 列王記上16:29~17:6(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/7;火)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)から見捨てられ、
切り離されてしまったと思える時も、
この方は、私たちの叫び願う声を聞いてくださる方。

 

 イエスは、
道ばたで物乞いをしている盲人のバルティマイが、
エスが通られると聞いて、
ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください」と、
多くの人が黙らせようとするのを振り切って叫び続ける
その声を聞いて、
「彼を呼んで来なさい」と言われ、
「わたしに何をしてほしいのですか」と聞いてくださったのですね。

 そして、バルティマイが
「先生、目が見えるようにしてください」と答えると、
エスが、「さあ、行きなさい。
あなたの信頼があなたを救いました」と言われると、
すぐに彼は見えるようになり、
道を進むイエスについて行ったのだそうです。

 


 パウロも、コリントの人たちに送った第一の手紙で、
教会の中で問題のある生活をし続け、
教会の人たちがそれを放置していることについて、
厳しい対応をするよう勧めたのですが、
 

 第二の手紙では、
「その人にとっては、
すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから、
あなたがたは、むしろその人を赦し、慰めてあげなさい。
そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに
押しつぶされてしまうかもしれません。
 

 そこで私はあなたがたに、
その人へのあなたがたの愛を確認することを勧めます。
あなたがたが何かのことで人を赦すなら、私もそうします。
私が何かのことで赦したとすれば、あなたがたのために、
キリストの御前で赦したのです」と書き送っています。(Ⅱコリント2:5~11) 

 

 そのように、天の神、【主】は、
私たちの叫び、嘆き求める声を聞いてくださる方なのですね。
私たちとこころをひとつにしようと。
今日も。

 

 

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恵みを、なおいっそう、満ちあふれさせて

 主は、東が西から遠い程、
私たちの背きの罪を遠ざけてくださる。
詩103:12
 罪がましたところには、

 恵みはなおいっそう
満ちあふれました。
ロマ書5:20

  

  ガラテヤ書6:1~5
 列王記上14:1~20(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/6;月)

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
憐れむ深く、情け深い方。

主は、いつまでも争ってはおられない。
とこしえに、怒ってはおられない。
私たちの罪にしたがって私たちを扱うことはせず、

私たちのとがにしたがって
私たちに報いをされることもない。

天が地上はるかに高いように
御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。
東が西から遠く離れているように
主は、私たちの背きの罪から私たちを遠く離される。

父がその子をあわれむように
【主】は、ご自分を恐れる者たちをあわれまれる。
主は、私たちの成り立ちを知り、
私たちが土のちりにすぎないことを
心に留めてくださる方、なのだそうです。


 だから、この方は、
私たちの罪がいや増すところに、
恵みをいっそう満ちあふれさせてくださっているのだそうです。


 それで、言われるのですね。
もしだれかが何かの過ちに陥っていることが分かったなら、
責めたり批判したりするのではなく、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置かれる御思いのとおりに、
柔和な心でその人を正してあげなさい。

 

 また、自分自身も同じ弱さを持つ者であることを認めて、
誘惑におちいらないように気をつけなさい、と。

 

 互いに重荷を負い合うなら、
「愛し合いなさい」というイエス・キリストの御思いが
実現することになりますから、と。

 

 だれかが、自分を何者かであるように思うなら、
自分自身を欺いているのです。
それぞれ自分の行いを吟味しなさい。
そうすれば、自分にだけは誇ることができても、
ほかの人には誇ることができなくなるでしょう。
人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うことになるのです、と。(ガラテヤ6:1~5)

 

 北イスラエル王国の最初の王、ヤロブアムに
寛容と忍耐をもって、なお、期待されたように。


 そのころ、ヤロブアムの子のアビヤが病気になった。
それで、ヤロブアムは妻に言った。
「さあ、変装して、ヤロブアムの妻だと分からないようにして
シロに行ってくれ。
そこには、
私がこの民の王となることを告げた預言者アヒヤがいる。

パン10個と菓子数個、
それに密の瓶をもって彼のところへ行ってくれ。
彼は子どもがどうなるかを教えてくれるだろう。」

 

 ヤロブアムの妻は言われたとおりにして、シロへ出かけ、
アヒヤの家に行ったが、
アヒヤは年をとって目がこわばり、見ることができなかった。
 

 しかし、【主】はアヒヤに言われた。
「今、ヤロブアムの妻が来て、
子どものことをあなたに尋ねようとしている。
その子が病気だからだ。
あなたはこれこれのことを、彼女に告げなければならない。
入って来るときには、彼女はほかの女のふりをしている。」

 

 アヒヤは、戸口に入って来る彼女の足音を聞いて言った。
「入りなさい。ヤロブアムの妻よ。
なぜ、ほかの女のようなふりをしているのですか。
私はあなたに厳しいことを伝えなければなりません。

 

 行って、ヤロブアムに言いなさい。
イスラエルの神、【主】はこう言われる。
『わたしは民の中からあなたを高く上げ、
わたしの民イスラエルを治める君主とし、
ダビデの家から王国を引き裂いて、あなたに与えた。

 

 しかし、あなたは、わたしのしもべダビデのようではなかった。
ダビデはわたしの命令を守り、心を尽くしてわたしに従い、
ただ、わたしの目にかなうことだけを行った。

 

 ところがあなたは、これまでのだれよりも悪いことをした。
行って自分のためにほかの神々や鋳物の像を造り、
わたしの怒りを引き起こし、
わたしをあなたのうしろに捨て去った。

 

 だから、見よ、わたしはヤロブアムの家にわざわいをもたらす。
イスラエルの中の、
ヤロブアムに属する小童こわっぱから
奴隷や自由な者に至るまで絶ち滅ぼし、
人が糞を残らず焼き去るように、
ヤロブアムの家の跡を除き去る。

 

 ヤロブアムに属する者は、
町で死ぬなら犬がこれを食らい、
野で死ぬなら空の鳥がこれを食らう。』

 

 【主】が、こう言われたのです。
さあ、家に帰りなさい。
あなたの足が町に入るとき、その子は死にます。
イスラエルがその子のためにいたみ悲しんで葬るでしょう。
ヤロブアムの家の者で墓に葬られるのは、彼だけです。
ヤロブアムの家の中で、彼だけに、
イスラエルの神、【主】のみこころにかなうことがあったからです。

 

 【主】はご自分のために
イスラエルの上に一人の王を起こされます。
彼はその日、いや、今にも
ヤロブアムの家を絶ち滅ぼします。

 

 【主】はイスラエルを打って、水に揺らぐ葦のようにし、
彼らの先祖に与えられたこの良い地の面から
イスラエルを引き抜き、
あの大河(ユーフラテス川のことか)の向こうに散らされるでしょう。

 彼らがアシェラ像を造って【主】の怒りを引き起こしたからです。
ヤロブアムが自分で犯した罪と、
彼がイスラエルに犯させた罪のゆえに、
主はイスラエルを捨てられるのです。」


 ヤロブアムの妻は立ち去って、テルツァに着いた。
彼女が家の敷居をまたいだとき、その子は死んだ。
人々はその子を葬り、
イスラエルは彼のためにいたみ悲しんだ。
【主】がそのしもべ、預言者アヒヤによって語られたことばのとおりであった。(Ⅰ列王14:1~18)

 


 天の神、【主】が、ヤロブアムに、
このように前もって告げられたのは、
ご自分を捨て、他の神々に行ってしまったヤロブアムも、
もしかすると、自分に立ち返ってくれて、
災いを下さなくてもいいようになるかもしれないと
期待してのことだったのでしょうね。

 

 ヨナの宣言によって立ち返ったニネベの人たちのときのように。
そして、過去に起こったこのようなことは、
今の、私たちへのメッセージでもあるのだそうですから。

 

 「それでも、あなたがたは、
わたしのもとに帰って来なかった」(アモス4:6、8、10,11)という
悲しいことにならないように、と。
 

 【父である神】は、イエスにより、
私たちの背きにいや増さって、恵みを現し、
東が西から遠く離れているように、
私たちの背きの罪を遠く離れさせて。

 

 「わたしと心を合わせて生きようよ」、と。
今日も。

 

 

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イエスによって実現した、新しい契約の中へ、と

主の言葉:
わたしはあなたたちを顧み、
あなたたちに子を生ませ、その数を増し、
あなたたちとわたしの契約を立てる。
レビ記26:9

 

神の約束は、ことごとく
イエス・キリストにおいて「然り」となりました。
それで、私たちは神をたたえるため、
この方を通して「アーメン」と唱えます。
Ⅱコリント1:20

 ヨナ3:1~10
 列王記上13:11~34(通読箇所)
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 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちを覚え、顧みていてくださって、
多くの子を与えて繁栄させ、
私たちに与えてくださっている契約を確かなものにしようと
思っていてくださるのだそうですね。

 

 そして、それが
イエス・キリストによって事実となっているのだそうです。
それで、私たちもこの方によって
「アーメン」(本当です。そのとおりです)と応えて、
【父である神】をほめたたえます。

 


 この方は、アッシリアの首都、ニネベにヨナを派遣して、
「あと40日すると、ニネベは滅びる」と告げさせ、
人々が、神を信じ、王から身分の低い者まで、断食し、
あらぬのをまとい、ひたすら神に願い、
悪の道から立ち直ったのを見て、
滅ぼすと言われたことを思い直して、
これを行われなかったのだそうです。(ヨナ3:1~10) 


 また神は、ご自身に忠実な預言者のいのちをもってでも、
ご自身が言われたしたことは必ず成ることを人々に示して、
その預言者を通して預言させた
「祭壇よ、祭壇よ、主はこう言われる。
『見よ、一人の男の子がダビデの家に生まれる。
その名はヨシア。
彼は、おまえ(ヤロブアムが造った金の子牛の祭壇)の上で
香をたく高き所の祭司たちを、いけにえとしてお前の上で献げ、
人の骨がお前の上で焼かれる』」とのことばが
必ず成ることを示して、
 

ご自身によって王として立てられながら、
ご自身を捨て、金の子牛を造って神とする
イスラエル王国の最初の王、ヤロブアムに、
ご自身に立ち返るよう、メッセージを送られた方なのですから。

 

 

 私たちも、【父である神】が
イエス・キリストによって「しかり」、事実として実現されている
新しい契約、
【聖である霊】と呼ばれる方によって私たちの心に
ご自身の思いを置き、
私たちの心にご自身の思いがあるようにし、
受け入れる者がご自身と一つ思いになって生きるようになるとの約束 ( エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)、
新しい生き方の中へと。
今日も。

 

 

    

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神の御思いを分からせ、悟らせてくださって

御手が私を造り、
堅く立たせてくださいました。
あなたの戒めを理解させ、
学ばせてください。
詩119:73

 

掟とは、
神の子イエス・キリストの名を信じ、
この方が私たちに命じられたように、
互いに愛し合うことです。
Ⅰヨハネ3:23
 

 ガラテヤ書3:6~14
 列王記上12:33~13:10(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/3;金) 


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)が、私たちを望まれ、
御思いのとおりに造り、整え、堅く立つようにしてくださった、
というのですね。

 

 私たちに、ご自身の御思い、仰られることを理解させ、
学ばせてくださって。

 

 この方、【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神は、
自由意思で、自発的に愛し合い、思いを一つにしておられる方。

 

 それで、私たちにも、
ご自身と、そして、私たちお互いが愛し合うようにと
思っていらっしゃるのだそうです。

 

 その御思いから外れてしまっている私たちを取り戻すために、
【御子である神】が「女の子孫」(創世記3:15)として、
ダビデ王の系統である一人の処女マリアの胎を通して
人となってこの人間の世界に来られ、
およそ、33歳のころ、私たちの身代わりとなり、
十字架刑での死刑を受けてくださったのだそうです。

 

 その死によって、
「われわれのかたちとして、われわれの似姿に」との
創造の目的(創世記1:26)からズレてしまい、
「的外れ」になりっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わっている者、死んだ者としてくださって。


 そして、死んで、
アリマタヤのヨセフが自分のために、掘っておいた墓に
葬られたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活され、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたのだそうです。

 

 弟子たちに、「エルサレムを離れないで、
わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
あなたがたは間もなく、
聖霊バプテスマを授けられるから」(使徒1:3~9)と言い残して。


 そして、その10日後の、ペンテコステの祭りの日
モーセを通して初めの契約が結ばれた記念日) 、
約束の【聖である霊】と呼ばれる方が、
エルサレムの一つの家に集まっていた
120人ばかりの弟子たちに来られて、
弟子たちは、この方によって心に来る
【父である神】の御思いのとおりに話し出したのだそうです。

 

 「あなたがたにわたしの霊を授け、
あなたがたの心にわたしの思いを置き、書きしるす」という
新しい契約を結ぶとの約束のとおりに。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

 

 この【聖である霊】と呼ばれる方は、神なく、望みなく、
もろもろの契約とも無関係であった私たち異邦人にも来られて、
私たち異邦人をも、霊的なアブラハムの子孫、神の民とし、
アブラハムの祝福を受け継ぐ者にしてくださって。(ガラテヤ3:6~14)

 

 私たちにも、【父である神】の御思いを理解させ、悟らせ、
愛し合う思いを与えて。
今日も。

 

 

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