風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と声をかけてくださり

深い淵の底から、
主よ、あなたを呼びます。
主よ、この声を聞き取ってください。
詩130:1~2

 

 イエスは弟子たちに話しかけられた。
「安心しなさい。
わたしだ。恐れることはない。」
マタイ14:27

 

 ロマ書9:14~23(24~26)
 マタイ5:38~48(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/23;火)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちの呼ぶ声を聞き取ってくださり、
恐怖に襲われるときにも、
「安心しなさい。
わたしだ。恐れることはない」と
そばに来て声をかけてくださる方。

 

 

 陶器を作る者が、
同じ土のかたまりから、
あるものは尊いことに用いる器に作り、
またあるものは平凡な日常のことに使う器に作ります(ロマ9:21)。

 

 神は、私たち一人一人、それぞれに
果たしてほしい役割を考えておられるようですね。

 

 その場合、神が問題にされるのは、
やったことの大きさ、結果ではなく、
どれだけ忠実にやったか、という「忠実さ」のようです。

 

 能力に応じて
「これで商売をしなさい」と、
5タラント(1タラントは労働者1日分の報酬の6,000倍)預けられた僕が
5タラントをもうけたとき、
主人は、「良い忠実なしもべだ。よくやった。
あなたはわずかな物に忠実だったから、
私はあなたにたくさんの物を任せよう。
主人の喜びをともに喜んでくれ」 と言い、

 

また、2タラントあずかって、2タラントをもうけた者も、
同じように評価したように(マタイ25:14~30)。

 

 【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いについて行って。

 

 神を呼びながら。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と
声をかけていただきながら。

 

今日も。

 

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失望に終わることはない希望なのだそうですから。この希望は。

神よ、
民の堅固な思いを、
あなたは平和に守られる。
あなたを信頼するゆえに。
イザヤ書26:3

 

 私たちは、
あなたがたおのおのが
最後まで希望を持ち続けるために、
同じ熱心さを示してもらいたいと思います。
ヘブル書6:11

 ガラテヤ書1:13~24
 マタイ5:33~37(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/22;月)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
城壁と堡塁が築かれた堅固な町が民を守るように、
平和に、まったき平安のうちに守ってくださるのだそうです。
ご自身に信頼する者を。
とこしえの岩として。

 

 私たちおのおの、一人一人が
同じ熱心さを示して、
最後まで十分な確信をもって、
希望を持ち続けるように、と。

 

 信頼と忍耐によって約束のものを相続する
あの人たちにならう者となって。

 

 激しく神の教会を迫害し、
これを滅ぼそうとしていたパウロ
同族で同年配の多くの者たちに比べ、
はるかにユダヤ教に進んでおり、
先祖からの伝承に人一倍熱心であったパウロ

 

 そのパウロに、

【父である神】は、
御子イエスを啓示され、
今度は、滅ぼそうとしていたその信頼の道を宣べ伝える者とされたように(ガラテヤ1:13~24)。

 

 神に誓ってまで、
私たちの熱心さを示そうとするのではなく、

事実を事実のままに、
「はい」は「はい」とし、
「いいえ」は「いいえ」として伝えて(マタイ5:33~37)。

今日も。

 

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信仰と希望と愛によって

あなたがたは恵みにより、
信仰によって救われました。
このことは神の賜物です。
エフェソ書2:8(7/21の週の聖句)

 

 神は言われる。
わたしが喜ぶのは、
愛であっていけにえではなく、
神を知ることであって、
焼き尽くす献げものではない。
ホセア書6:6

 

 信仰と希望と愛、
この三つは、いつまでも残る。
その中で最も大いなるものは、愛である。
Ⅰコリント13:13

 

 ルカ5:1~11
 詩119:89~96(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/21;Ⅲ日曜)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たち一人一人を愛し、
恵みの賜物、プレゼントとして私たちを滅びから救い、
ご自身の家族、ご自身の子として、
思いを同じにし、心を一つにして、
いっしょに暮らそうと言っていてくださるのだそうです。

 

 この方を経験し知ること、
水が海をおおっているようにこの方の御思いに覆われて。

 私たちが、
自分の思い、判断を横に置いて、
「でも、お言葉どおりにしてみましょう」と一歩踏み出していくとき、
ご自身の御業を現してくださり、
私たち一人一人を通しても、
この救いを周りの人に届けてくださるのだそうですから(ルカ5:1~11)。

 

 この方の御言葉を喜びとし(詩篇119:92)、
この方と思いを一つにしながら。
この新しい週も。

 

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主である神を知る知識に満たされて

水が海を覆っているように、
大地は主を知る知識で満たされる。
イザヤ書11:9

 

 神は御心のままに
満ちあふれるものを余すところなく御子のうちに宿らせ、
十字架の血によって
地にあるものであれ、天にあるものであれ、
万物をただ御子によって、
ご自分と和解させられました。
コロサイ書1:19~20

 

 ヨナ書4:1~11
 マタイ5:27~32(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/20;土)


 エッサイ(ダビデ王の父)の根株から新芽(イエス・キリスト)が生え、
その根から若枝(イエス)が出て実を結ぶ。
その上に、【主】の霊がとどまる。
それは知恵と悟りの霊、
はかりごとと能力の霊、
【主】を知る知識と【主】を恐れる霊である。

 

 この方(イエス)は【主】を恐れることを喜び、
その目の見るところによってさばかず、
その耳の聞くところによって判決を下さず、
正義をもって寄る辺のない者をさばき、
公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、
口のむちで国を打ち、
くちびるの息で悪者を殺す。

正義はその腰の帯となり、
真実はその胴の帯となる。

 

 狼は小羊とともに宿り、
ひょうは子やぎとともに伏し、
子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、
小さい子どもがこれを追って行く。

 

 雌牛と熊とは共に草をはみ、
その子らは共に伏し、
獅子も牛のようにわらを食う。

 

 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、
乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。

 

 わたしの聖なる山のどこにおいても、
これらは害を加えず、そこなわない。
【主】を知ることが、
海をおおう水のように、
地を満たすからである(イザヤ11:1~9新改訳)、のだそうです。

 

 

 【父である神】は、
心のままに
満ち満ちた神の本質を御子イエスのうちに宿らせ、
エスが十字架刑での処刑によってささげられた血(命)によって、
万物を、
地にあるものも、天にあるものも、
だだ御子イエスによって和解させてくださっているのだそうです。
【父である神】の側では。

 

 それで、【父である神】は、
この御子イエスの命によってなされた和解を受け取ってほしいと
懇願しておられるのだそうです。
私たちを、その懇願を伝える使者として立てて。

 

 【父である神】が、
「わたしは、
この大きな町ニネベ(アッシリア帝国の首都)を惜しまないではいられようか。
そこには、右も左もわきまえない12万人以上の人間と、
数多くの家畜とがいるではないか」(ヨナ4:11)と、
反対する預言者ヨナを死者として派遣されたように。

 

 

 イエスは言われます。
「『姦淫してはならない』と言われたのを、
あなたがたは聞いています。

しかし、わたしはあなたがたに言います。
だれでも情欲を抱いて女を見る者は、
すでに心の中で姦淫を犯したのです。

 

 もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、
えぐり出して、捨ててしまいなさい。
からだの一部を失っても、
からだ全体がゲヘナ(地獄)に投げ込まれるよりは、よいからです。

 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、
切って捨ててしまいなさい。
からだの一部を失っても、
からだ全体がゲヘナ(地獄)に落ちるよりはよいからです」(マタイ5:27~30)、と。

 

 そうすると、神の目から見れば、
私たちはいつも姦淫している者であり、
罪を犯している者。

 もし、それで、イエスの言葉のようにしたとしたら、
右目も左目も、右手も左手も、
そして、心も、
その心の出どころである霊も、
切って捨てることになります。

 

 だから、【父である神】は、
そのような私たちをなお、惜しみ、愛して、
私たちの身代わりに【御子】である方を、
「女の子孫」(創世記3:15)、
人間イエスとして人の世に派遣され、
この方がおよそ33歳の頃、
当時のユダヤ人の指導者たちの妬みを用い、
ローマ兵の手によって十字架刑で処刑し、
私たちを処刑が済んでいるもの、
死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、これを受け取った者に、
ご自身と和解をした者として、
もう一人の助け主、【聖である霊】と呼ばれる方を派遣し、
この方によってご自身の思いを私たちの心に置き、
受け入れる者がご自身と一つ心になるようにしてくださるのだそうです。

 

 イエスのように、
【主】の霊によって、
「その目の見るところによってさばかず、
その耳の聞くところによって判決を下さず、

(【父である神】の御思いのとおりに)
正義をもって寄る辺のない者をさばき、
公正をもって国の貧しい者のために判決を下す」者へと。

 

 水が海をおおっているように
【主】を知る知識に満たされて。

今日も。

 

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神からの御言葉を受け入れ、イエスに倣(なら)う生き方を

私のたましいは
常に私の手に置かれています。
それでも、あなたの律法を決して忘れません。
詩119:109

 

 パウロの手紙:
あなたがたはひどい苦しみの中で、
聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、
私たちに倣
(なら)うもの、
そして主に倣うものとなりました。
Ⅰテサロニケ1:6

 

 フィリピ書2:1~5
 マタイ5:21~26(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/19;金)


 私たちの魂、命は危険にさらされ、
命がけでいなければなりません。
そのようなとき、
いよいよ神の律法、神のみおしえを求めていきます。

 

 テサロニケの人たちが、
ひどい苦しみ、多くの苦難の中で、
聖霊】による喜びをもって御言葉を受け入れ、
パウロたちに、
そして、主イエスの生き方に倣うものとなったように。

 

 キリストにあって、
励まし、愛の慰め、御霊の交わり、愛情とあわれみがあり、
一致を保ち、同じ愛の心を持ち、
心を合わせ、志を一つにして。

 

 私たち、〔生まれたときからの私〕という霊は、
自己中心、党派心や虚栄、
自分のことだけを考えるものですが、
それを、イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、
処刑されたもの、死んだものと認めて、
その思いは、イエスの御前に差差し出し、かなぐり捨てながら、

 

 【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる、
互いに人を自分よりもすぐれた者と思う、
他の人のことも顧みる思いによって(ピリピ:1~5)。

 

 

 「人を殺してはならない。
人を殺す者はさばきを受けなければならない」と言われた
【父である神】の本当の思いは、
兄弟に向かって腹を立てる者、
「能なし」、「ばか者」という者は、
人を殺す者として裁判を受け、
燃えるゲヘナ(地獄)に投げ込まれることなのだそうです。

 

 それで、イエスは、
「祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、
もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、
供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、
出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。
それから、来て、その供え物をささげなさい」と言われるのですね。

 

 

 私たちのこの世の人生は、
ちょうど、告訴する者といっしょに裁判官のところへ向かっているようなも。
有罪になって牢に入れられる前に、
告訴する者と早く仲直りして告訴を取り下げてもらうように、
とイエスは言うのですね(マタイ5:21~26)。

 

 【父である神】は、
御子である方を「女の子孫」(創世記3:15)、
人間イエスとして私たち人間の世に派遣され、
この方がおよそ33歳の頃、
この方を私たちすべての人間の身代わりの小羊として立て、
神に背き、神に呪われたものとして十字架刑で処刑し、
私たちを処刑が終わっているもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、
墓に葬られ、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に帰られたこのイエスを通して、
受け入れる者に【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 この方によって受け入れる者の心に、
ご自身の御思いを置いてくださり、
受け入れる者がご自身と思いを一つにして生きるように
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)、と。

 

 神の子の身分を与え、
エスに倣(なら)うものとし、
ゲヘナ(地獄)に代えて、
やがて実現する天の御国を相続させようと。

 

 私たち、いよいよ、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
御言葉、
【父である神】の御思いの中へと。

今日も。

 

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審判の時を先延ばしにし、立ち返りを待っていてくださって

主は忍耐強く、
その力は大きい。
主は決して罰せずにはおられない。
ナホム書1:3

 

 私たちの主の忍耐深さを、
救いと考えなさい。
Ⅱペテロ3:15

 

 Ⅰコリント12:19~26
 マタイ5:17~20(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/18;木)

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
忍耐強い、怒るのにおそく、力強いお方。
その正義のゆえに、不義を罰せずにはおられないお方。

 

 終わりの日には、
あざける者どもがやって来てあざけり、
自分たちの欲望に従って生活し、
そして言うのですね。
「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。
何事も創造の初めからのままではないか」、

 

 天の高みにおられる神が、
この地上の人間の生活、この自然界に直接関与なさることはない。
「すべて、世はこともなし」と。

 

 しかし、ペテロは言います。
天は古い昔からあり、
地は神のことばによって水から出て、
水によって成ったのであって、
当時の世界は、その水により、洪水によっておおわれて滅びました。

 

 今の天と地は、
同じみことばによって、
火に焼かれるためにとっておかれ、
不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。

 天の神、主は、
ある人たちが遅いと思っているように、
その約束を遅らせておられるのではありません。

 

 かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、
ひとりでも滅びることを望まず、
すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

 

 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。
その日には、
天は大きな響きをたてて消え失せ、
天の万象は焼けてくずれ去り、
地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

 

 しかし、天の神、主は、
私たちが、ひとりでも滅びることなく、
正義の住む新しい天と新しい地を受け継ぐようにと願っていてくださる。
しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、

忍耐強く、裁きの時を遅くして(Ⅱペテロ3:3~15)。

 

 私たち一人一人を、
なくてはならない、
キリストのからだを構成する部分ととして用いようと(Ⅰコリント12:19~26)。

 

 「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
天の神、主に逆らい、背き、
対立、対抗する〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑に合わせて、
処刑されたもの、死んだものとしてくださって。

 

 そして、墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰されたイエス

 

 そのイエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方。
【父である神】は、この方によって、
受け入れる者の心にご自身の御思いを置き、書きしるして、
心にご自身の御思いがあるようにしてくださるのだそうですから。

私たちへの恵みのプレゼントとして。

 

 私たちがこのイエスによって成った出来事を受け取り、
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
処刑されたもの、死んだものから出てきた思いであると認め、計算し、帳簿付けして、
これをイエスの御前にかなぐり捨てながら、
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の御思いによって生きるように、と。

 律法学者やパリサイ人に義にまさる義(マタイ5:17~20)、
律法の要求が全うされた生き方を(ロマ8:4)を生きる者へと。

今日も。

 

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光の源の、父である神ら来る良い贈り物、完全な賜物によって

私たちの主のなさることは
すべて正しいのです。
ダニエル書9:14

 

 良い贈り物、
完全な賜物はみな、
上から、光の源である御父から来るのです。
御父には、移り変わりも、
天体の動きにつれて生じる影もありません。
ヤコブ書1:17

 

 マルコ11:(20、21)22~26
 マタイ5:13~16(通読箇所)
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 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方のなさることは、
みな、すべて正しいのですね。

 

 悪いこと、災いはすべて、
私たちの「的外れ」の結果のようです(ダニエル9:4~14)。

 

 私たちは、良い贈り物、完全な賜物の中で生きていますが、
それはみな、すべて、
すべてのものの上におられ、光を造られた方、
光の源である【父である神】から下って来ているのだそうです。

 

 けれども、私たちの、
私たち自身である〔生まれたときからの私〕という霊は、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっていて(創世記3:5、22)、
天の神、主の創造の目的から「的外れ」になっています。

 

 それで、この「的外れ」の〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
天の神、主に対立、対抗していて、
心に計ることがいつも悪いことだけに傾く(創世記6:5)のですね。

 

 だから、私たち、
この〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
エスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、
処刑されたもの、死んだものから出て来た思いであると認めて、
エスの御前にかなぐり捨てていくのですね。

 

 【父である神】は、このイエスを通して、私たちに
もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 

 そして、この方の働きで、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを
私たちの心に置き、書きしるしてくださり、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにしてくださるのだそうです
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 それで、この、【父である神】からから私たちの心に来た御思い、願いを祈って求めるなら、
そのとおりになるのだそうです。

 いちじくの木に
「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように」
ということであっても、
「この山に向かって、『動いて、海には入れ』ということであっても、
また、恨み事を赦すことであっても(マルコ11:12~14、20~25)。

 

 そして、この【父である神】の御思いによって生きる生き方は、
この神を知らはい人々の中にあって、
地の塩、世界の光、夜、家の中を照らすあかりのようになり、
人々の前で輝き、
人々が【父である神】から来て、私たちを通して現れる良い行いを見て、
【父である神】をあがめるようになるのだそうです。

 

 光の源である御父から来る良い贈り物、完全な賜物によって。
今日も。

 

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