風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

災いも疫病も、恐れなくていいのだそうですから

イスラエルの王なる主は
お前の中におられる。
お前はもはや、
災いを恐れることはない。
ゼファニア書3:15

 

 イエスは弟子たちに言われた。
「なぜ怖がるのか。
まだ信じないのか。」
マルコ4:40
 ヨブ記38:1~11、42:1~6
 マルコ14:66~72(通読箇所)

  (ローズンゲン『日々の聖句』4/7;火)

 

 イスラエルの王である主、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が私たちの中におられるとき、
私たちはもう、災いを恐れなくてよくなるのだそうです。

 

 この方が言われるのですから。
「シオンよ、恐れるな。気力を失うな。
あなたの神、【主】は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。
主はあなたのことを大いに喜び、
その愛によってあなたに安らぎを与え、
高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」、と。

 

 だから、イエスに信頼していけば、舟を飲み込もうとする嵐も、
怖がらなくっていいのだそうです。

 

 この方は、【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いのとおりに地の基を、その大きさを定め、
その位置を定め。海の波の境界を定められた方。

 

 すべてのことができ、
どのような計画も不可能ではない方(ヨブ38:1~11、42:2)、
なのだそうですから。

 

 この方は、
「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、
あなたを知らないなどとは決して申しません」と豪語するペテロが、
その数時間後には、
召使の女性や、下役の男から
「おまえもあのイエスの仲間だ」言われて、
「その人を知らない」と
三度も否定することを御存じで(マルコ14:66~72)、
前もってペテロに
「シモン、シモン。見なさい。
サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、
聞き届けられました。
しかし、わたしはあなたのために、
あなたの信頼がなくならないように祈りました。
ですから、あなたは立ち直ったら、
兄弟たちを力づけてやりなさい」、と、
言ってくださっていたのだそうです。(ルカ22:31~32)

 

 私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受け、
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたこのイエス
私たちに派遣してくださるもう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちの中に、
いつまでも私たちとともにいて
私たちの心に【父であり神】の御思いを置き、
私たちの心に【父である神】の御思いがあるように
して下さるのだそうですから。
今日も。

 

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マリヤがそうであったように、イエスの言葉に聞き入って

わたしは多くの戒めを書き与えた。
しかし、彼らはそれを
無縁なものと見なした。
ホセア書8:12

 

わたしは
真理について証しするために生まれ、
そのためにこの世に来た。
真理に属する者は皆、
わたしの声を聞く。
ヨハネ18:37

 

 マタイ26:6~13
 マルコ14:53~65(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/6;月)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)が
多くの戒め、教えを書き与えてくださっても、
私たちはこれを他国人のもののように見なし、
自分とは無縁なものとしてしまうのですね。

 

 イエスが、真理そのものとして
ご自身を証しするために来られても、
エスの裁判をしたローマ総督ピラトがそうであったように、
人々はこれを自分とは関係のないものとして。

 

 しかし、真理に属する者、神に属する者は
エスの言われることを聞くのだそうです。
そして、イエスを愛する者になるのですね。
 

 ベタニアのマリアが非常に高価なナルドの香油を、
そのつぼを割って、その全部イエスに注ぎかけ、
エスから「わたしに埋葬の用意をしてくれた」と喜ばれたように。(マタイ26:6~13)

 

 確かに、その数日後には、
エスは、12弟子の一人、イスカリオテのユダの裏切りによって
祭司長、律法学者たちに捕らえられ、
サンヘドリン(ユダやの最高法院)での裁判にかけられ、
大祭司からの
「おまえは、ほむべき方の子キリストなのか」との問いに、
「わたしがそれです。
あなたがたは、人の子が力ある方の右の座に着き、
そして天の雲とともに来るのを見ることになります」と答え、
「神を冒涜することばだ」として、死刑の判決を受け、
十字架刑での処刑を受けることになったのですから。(マルコ14:53~65)

 

 私たち自身は、
エスの言葉を自分に関係のない無縁なものとする者ですが、
マリヤのように聞き入るようでありたいですね。


 十字架刑での処刑を受け、
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活され、
天の父である神の右の座に復帰されたイエスから派遣されて
私たちに来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方は、
【父である神】の御思いを
私たちの心に書きしるしてくださるのだそうですから。
今日も。

 

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私たちに、永遠の命を与えようと

人の子も上げられなければならない。
それは、信じる者が永遠の命を
得るためである。
ヨハネ3:14、15(4/5の週の聖句)

 

聖歌隊によって神を讃えよ。詩68:27

 

祭りに来ていた大勢の群衆は、
エスエルサレムに来られると聞き、
ナツメヤシの枝をもって迎えに出た。
そして、叫び続けた。
「ホサナ。
主の名によって来られる方に、
祝福があるように、
イスラエルの王に。」
ヨハネ12:12~13

 

 ヨハネ12:12~19
 詩88(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』4/5;Ⅰ日曜)


 イエスは言われるのですね。
「人の子(イエスご自身のこと)も
(十字架刑によって天と地の間に)上げられなければならない。
それによって、
エスに信頼する者が永遠のいのちを得るようになる」、と。

 

 王である神の前を聖歌隊が神をほめたたえながら進むように、

過ぎ越しの祭りのためにエルサレムに来ていた大勢の群衆が
エスを迎えに出て、叫んだのだそうです。
「ホサナ。
主の名によって来られる方に祝福があるように。
イスラエルの王に」、と。
ろばの子に乗ってエルサレムに入られるイエスに。

十字架刑での処刑を受けるために
エルサレムに入城されたイエスに。

 

 このイエスによって永遠のいのち、
【父である神】を体験的に知りながら生きる、
【父である神】の御思いの中を生きるようにしていただいた者も
賛美の声を上げるのですね。
「ホサナ。
祝福あれ、主の御名によって来られる方に。
イスラエルの王に」、と。
この新しい週も。

 

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預言は、イエスにおいて実現しているのですから

なぜ国々はいうのか、
「彼らの神はどこにいる」と。
私たちの神は天にいまし、
御旨のままにすべてを行われる。
詩115:2、3

 

 世界が造られたときから、
目に見えない神の性質、
つまり神の永遠の力と神性は
被造物において現れており、
これを通して神を知ることができます。
ロマ1:20

 

 ルカ18:31~43
 マルコ14:43~52(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/4;土)


 人々はいうのですね。
「彼らの神はどこにいるのか。神なんかいないじゃあないか」と。

 

 私たちの神は天におられ、
思われるままに、望むところのすべてを、
ことごとく、行われる方なのだそうです。

 

 この神、天の神、主は、
私たちが神について知りうる事柄を、
私たちに明らかにしておられるのだそうです。

 

 神の目に見えない性質、神の永遠の力と神性は、
世界が創造されたときから被造物において知られ、
はっきりと認められているのですね。
これを通して神を知ることができるようにと。

 

 イエスは言われました。
「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。
人の子について、預言者たちを通して書きしるされていることの
すべてが実現するのです。

 

 人の子は異邦人に引き渡され、
彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばをかけられます。
彼らは人の子をむちで打ってから殺します。
しかし、人の子は三日目によみがえります」と。

 

 そして、このイエスの言葉のすべてが
2000年ほど前にこの言葉のとおりに実現しているのですから。
歴史的事実として。

 

 また、キリストが来られる「そのとき、
目の見えない者の目は開かれ、
耳の聞こえない者の耳はけられる。
そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、
口のきけない者の舌は喜び歌う」(イザヤ35:5)と
預言されています。

 

 そのとおりに、イエスは、エリコ街道で、
ダビデの子の(メシヤ〔キリスト〕に対する呼びかけ)エス様、
私をあわれんでください」と叫ぶ
物乞いをしていた目の見えない人を呼び寄せ、
目が見えるようになさったのだそうですから(ルカ18:35~43)。

 

 また、ゼカリヤ書13:7では、
「剣よ、目覚めよ。
わたしの羊飼いに向かい、わたしの仲間に向かえ。
――万軍の【主】のことば――。
羊飼いを打て。
すると、羊の群れは散らされて行き……」と預言されています。

 

 その言葉のとおりに、
祭司長たち、律法学者たち、長老たちから差し向けられた人々は、

まるで強盗にでも向かうように剣や棒を手にして
エスを捕らえに来たのだそうです。

 

 そして、弟子たちはイエスを見捨てて逃げ去ったのですね。(マルコ14:43~50)

 

 このように、聖書のキリスト預言は、
エスにおいてそのとおりが実現しているのですから。
 

 思われるとおりに事を行われる生きた神がおられること、
そして、この歴史の中で私たちを取り戻そうと
御業を行っておられることが私たちに分かるように、と。
今日も。

 

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光の中を、勝利の叫びをあげながら歩み

いかに幸いなことでしょう。
勝利の叫びを知る民は。
主よ、御顔の光の中を彼らは歩きます。
詩89:16

 

光の子として歩みなさい。

光から、
あらゆる善意と正義と真実が生じるのです。
エフェソ書5:8~9

ヘブル書10:1、11~18

マルコ14:32~42(通読箇所)

(ローズンゲン日々聖句4/3;金)


 イエスは、12弟子たちと
「最後の晩餐」と呼ばれている過ぎ越しの食事をした後、
ゲツセマネの園に行かれ、
「わたしは苦しみのあまり死ぬほどです」と言われるほど深く悩み、

地面にひれ伏して祈られたのだそうです。
 

「アバ、父よ。あなたは何でもおできになります。
どうか、この杯をわたしから取り除けてください」と。
 

 そして、「わたしの望む事ではなく、
あなたがお望みになることが行われますように」と立ち上がり、

「(【父である神】のご計画の)時が来ました。
見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。
さあ、行こう。
見なさい。私を裏切る者が近くに来ています」と、
イスカリオテのユダに引き連れられてイエスを捕らえに来た人々に
ご自分を渡されたのだそうです。(マルコ14:32~42)

 

 そして、私たち、すべての人間の
罪(的外れの存在)が解決されるための、
永遠に有効な一つのいけにえとなって
十字架刑での処刑を受けられ、
死んで葬られ、
「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わっているものとした後、

 

三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活されたのだそうです。

 

 そして、40日にわたって何度の弟子たちに現れ、
神の国のことを語った後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
【父である神】の右の座に復帰されたのだそうです。
永遠に。

 

 【父である神】は、このイエスを通して、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方によってご自身の御思いを私たちの思いの中に置き、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにされ、
受け入れる者がご自身と一つ心になって生きることができるように
されるのだそうです。

 

「わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない」
と言えるようにするために。(ヘブル10:11~18、エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

 

 それで、これを受け取った者たちは、
「私たちを愛してくださった方によって、
私たちは圧倒的な勝利者です」(ロマ8:33~37)と
勝利の叫びをあげる者ともしていただき、
光そのものである神の御思いの中を歩む者とも
していただけるのだそうです。


あらゆる善意と正義と真実のうちに
光が結ぶ実を見ながら。
今日も。

 

 

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驚くべき神の御業を伝えて

神よ、
私の若いときから、
あなたが常に教えて下さるので、
今まで私は、
驚くべき御業を伝えて来ました。
詩71:17

 

 シメオンは幼子を腕に抱き、
神をたたえて言った。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、
この僕を安らかに去らせてくださいます。
私はこの目で
あなたの救いを見たからです。
ルカ2:28~30

 

 エレミヤ書15:15~21
 マルコ14:26~31(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/2;木)


 【父である神】は、
エスが十字架刑で受けられた処刑によって、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わっているものとし、

 

 死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、ご自身の右の座に復帰されたイエスを通して
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方の働きによって私たちの心にご自身の御思いを置き、
私たちの心に
ご自身の御思いがあるようにしてくださるのだそうです。
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)


 それで、これを受け入れる者は、
常に神からの教えを内に持つ者となり、
神の驚くべき、くすしい御業を告げ知らせる者とも
していただけるのだそうです。

 

 エルサレム神殿で救い主を待ち望んでいたシメオンが、
ヨセフとマリヤに抱かれてやってきた赤ん坊のイエスを見て、
「私はこの目で神の救いを見たからです」と言ったように。

 

 また、神のみことばを楽しみとし、心の喜びとしているエレミヤを

ご自身の口として、
民にご自身の御思いを伝えるために用いられたように。(エレミヤ15:16、19)

 

 また、神は、
「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、
あなたを知らないなどとは決して申しません」と
皆の前で言い放ちながら(マルコ14:26~31)、
数時間後には、召使の女や下役の者から
「あなたもイエスの仲間だ」と言われて、
「そんな人は知らない」と
三度もイエスを否定したペテロを (マルコ14:66~72)
使徒として立て、12使徒の中心人物とされたように。

 

 私たちも、【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いを心の置いていただいて。
今日も。

 

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悲しみは、喜びに変わり

わたしはエルサレムを喜びとし、
わたしの民を楽しみとする。
泣く声、叫ぶ声は、
再びその中に響くことがない。
イザヤ書65:19


エスの言葉:
今はあなたがたも、悲しんでいる。
しかしわたしは再びあなたがたと会い、
あなたがたは心から喜ぶことになる。
その喜びを奪い去る者はいない。
ヨハネ16:22

 

 ヘブル9:11~15
 マルコ14:17~25 (通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/1;水)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)が、
新しい天と新しい地を創造されるのだそうです。
エルサレムを新しく創造して喜びとし、
その民を楽しみとされるというのですね。

 

 そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれなくなって。

もはや、死もなく、悲しみ、苦しみもないのだそうですから。

 

 イエスがいないと、
私たちは自分の悲しみ、苦しみを
自分で背負わなければなりませんが、
エスがいて下さるなら、
エスが全部背負ってくださるので、
私たちは心から喜ぶ者とされ、
その喜びを奪い去る者はいないのだそうですから。

 

 イエス
私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受けられ、
ささげてくださったご自身の血(いのち)は、
私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、
生ける神に仕える者にし、
約束された永遠の資産(新しい御国)を受け継ぐように
してくださるのだそうです。

 

 イエスの死によって、
律法という形で示された神の御思いを自分の力で自分に実現する初めの契約(出エジプト19:9、24:7~8)のときの違反から贖い出すための、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊の死が実現し、

 

 【聖である霊】と呼ばれる方が来てくださって、
私たちの心に【父である神】の御思いを置いてくださり、
受け入れる者が【父である神】と一つ思いになって
神に仕える者にしていただけるという新しい契約(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)が実現している今は。(ヘブル9:11~15)

 

 イエスの血を通して来てくださる【聖である神】によって
私たちも神の楽しみの民とされ、
私たちの心も喜びに満たされて。
今日も。

 

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