風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

約束の言葉のとおりに、実現してくださるのだそうですから。

主はとこしえに契約を御心に留められる。
千代に及ぼすように命じられた御言葉を。
詩105:8

 かつて書かれた御言葉は、
すべて私たちを教え導くためのものです。
それで私たちは聖書から忍耐と慰めを学んで
希望を持ち続けることができるのです。
ロマ書15:4

 Ⅱコリント1:18~22
 ゼカリヤ書11:4~17(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句12/18;月)

 紀元前520年頃のこと、
天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
ゼカリヤを通して預言して言われたのだそうです。
「私は彼らに言った。
『あなたがよいと思うなら、私に賃金を払いなさい。
もし、そうでないなら、やめなさい。』
すると彼らは、私の賃金として、銀30シェケルを量った。
主は私に仰せられた。
「彼らによってわたしが値積もりされた尊い値を、陶器師に投げ与えよ。」
そこで、私は銀30を取り、それを主の宮の陶器師に投げ与えた。」(ゼカリヤ11:12~13)、と。

 そして、それから550年ほど後のこと、
当時のイスラエルの指導者であった祭司長たちは、
エスの12弟子の一人の、イスカリオテのユダに、
エスを売り渡す報酬として、銀貨30枚を支払ったのだそうです(マタイ26:14~15)。
そのあと、ユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、
銀貨30枚を、祭司長、長老たちに返して、
「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして」と言ったのだそうです。
 しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ」と答え、
ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、
外に出て行って、首をつったのだそうです。
 祭司長たちは銀貨を取って、
「これを神殿の金庫に入れるのはよくない。血の代価だから」と言い、
相談して、その金で陶器師の畑を買い、旅人たちの墓地にした(マタイ27:3~7)のだそうです。

〔父である神〕は、約束の言葉を忘れてしまったり、なさる方ではないのだそうです。
神の約束はことごとく、イエスにおいて「しかり」となり(Ⅱコリント1:20)、
完了し(ヨハネ19:30)、実現しているのだそうですから。

〔父である神}はまた、確認の印を私たちに押し、
保証として、〔聖である霊〕と呼ばれる方を私たちの心に与えていてくださるのだそうです。

この方、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって(エゼキエル36:25~28)、
新しい契約、
「わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
彼らがみな、わたしを知る」(エレミヤ31:31~34)ようになるとの
約束の言葉が実現しているのだそうですから。

 私たちも、
「さあ、人を造ろう。
われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)、

「それは、父よ。
あなたがわたし
(イエスにおられ、わたし(イエスがあなたにいるように、
彼らがみな一つとなるためです。
また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。
わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。
わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。
それは、彼らが全うされて一つとなるためです」(ヨハネ17:21~23)
と言われているとおりにしていただけるのだそうですから。
今日も。

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主のために、道が備えられて

主のために、荒れ野に道を備えよ。
見よ、主なる神は力を帯びて来られる。
イザヤ書40:3、10(12/17の週の聖句)

 死期が近づいたとき、
ダビデはこう言って王子ソロモンを戒めた。
「わたしはこの世のすべての者がたどる道を行こうとしている。
あなたの神、主の務めを守ってその道を歩め。」
列王記上2:1~2、3

 パウロの言葉:
わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています。
どうか、“霊”によるあらゆる知恵と理解によって、
神の御心を十分悟り、
すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、
あらゆる善い業を行って実を結び、
神をますます深く知るように。
コロサイ書1:9~10

 マタイ11:2~6(7~10) 
 ルカ1:46~55(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句12/17;Ⅰ日)

 主である神が、私たち人間のところに来られる、というのですね。
だから、そのために道を備えよ、と。

 ダビデ王が、死ぬ日が近づいたとき、息子のソロモンに、
「主の戒めを守り、
モーセの律法に書かれているとおりに、
主のおきてと、命令と、定めと、さとしを守って主の道を歩むように」と言い残したように。

 イエスが、キリスト(神の子である救い主)として、公の活動をする前には、
バプテスマのヨハネが世に現れ、
「悔い改めなさい(神のほうに向き変りなさい)。
天の御国が近づいたから」と教え、
人々の心を、天の神、主に向けさせてイエスの道備えをしたのだそうです(マタイ3:1~12)。

 そのヨハネも、自分は領主ヘロデに捕らえられて獄中にあり、
エスが、御力を現し、王の座に着いて人々をさばこうとしないので、
エスのもとに使いを送って尋ねたのだそうです。
「おいでになるはずの方(キリスト)は、あなたですか。
それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか」と。

 それに対して、イエスは答えられたのだそうです。
「あなたがたは行って、
自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい。
目の見えない者が見、
足のなえて者が歩き、
ツァラート(ハンセン病などの重い皮膚病)に冒された者がきよめられ、
耳の聞こえない者が聞き、
死人が生き返り、
貧しい人たちに福音が宣べ伝えられている。
だれでもわたしにつまずかない者は幸いです」(マタイ11:2~6新改訳)と。

 

 マリヤが天使ガブリエルから、
「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられます。
御覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。
名をイエスとつけなさい。
その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。
また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります」と
告げられた時、
不妊でありながら、老年になって、
神によって子を宿した親戚のエリサベツ(バプテスマのヨハネの母)を尋ねたのだそうですが、
そのときにマリヤは言ったのだそうです。
「わがたましいは主をあがめ、
わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。
ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。
その御名は聖く、
そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。
主は、御腕をもって力強いわざをなし、
心の思いの高ぶった者を追い散らし、
権力のある者を王位から引き降ろされます。
低い者を高く引き上げ、
飢えた者を良いもので満ち足らせ、
富む者を何も持たせないで追い返されました。
主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、
そのしもべイスラエルをお助けになりました。
私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです」(ルカ1:46~55)と。

 最初のイエスの来臨の時は、このようだったのだそうですが、
二度目に、イエスが、
天使の号令と神のラッパの鳴り響く中に来られる(Ⅰテサロニケ4:16~17)前は、
エスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、備えがなされるようです。
この方によって受け入れる者の心に〔父である神〕の御思いが来るようになり、
受け入れる者が、霊的な知恵と理解力によって、
神のみこころに関する真の知識に満たされ、
主にかなった歩みをして、
あらゆる点で主に喜ばれ、
あらゆる善行のうちに実を結び、
神を知る知識を増し加えられるのだそうですから。

 この新しい週も。

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偉くなりたい者は、皆に仕える者に

災いだ、悪事を謀る者は。
彼らはそれを行う。
力をその手に持っているからだ。
ミカ書2:1

 イエスは一同に言われた。
「異邦人の間では、
支配者と見なされている人々が民を支配し、
偉い人たちが権力を振るっている。
しかしそうではなく、
あなたがたの中で偉くなりたい者は
皆に仕える者になりなさい。
マルコ10:42~43

 Ⅰテサロニケ4:13~18
 ゼカリヤ書9:9~12(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句12/16;土)

 この、人間の歴史を見てみると、
私たち、天の神、主との、心を一つにしていく関係を嫌い、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になって、
神の御住まいの上に自分の座を置こうとしている者は、
力を持ち、人を支配する立場になると、
良いものを独り占めしたくなり、
悪事を謀り、行うようになってしまうようです。

 イエスは、弟子たちの間で
「偉くなりたい者は皆に仕える者になりなさい。
人の先に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい」
と言われたのだそうです。

 私たちの生が、この地上の生だけで終わるものではなく、
私たちを創造された方の前で、
どのように生きたかの清算をする時が来るのだそうですから。

 イエスは、最初の来臨のとき、
柔和な王として、
ろばの子に乗ってエルサレム入場され(ゼカリヤ9:9、マタイ21:1~11)、

 二度目には、
天使の号令と神のラッパの鳴り響く中で、
天の雲に乗って来られ、
ご自分につく者を一瞬にして霊のからだ、復活のからだに替えて、
天に引き上げ、
いつまでもご自分と共にいる、
ご自分のいる所に一緒にいるようにしてくださるのだそうです18」(Ⅰテサロニケ4:13~18)。

 そして、三度目に来られるときには、
「戦車を、軍馬を絶やし、戦いの弓も絶たれ、
諸国の民に平和を告げられ(ゼカリヤ9:10、黙示録20:1~3)、
各自の行いに応じてさばきをなさるのだそうですから(黙示録20:12)。

 その、イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
受け入れる者の心に、
エスの「皆に仕える」思いも置いてくださるのだそうですから。
今日も。

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内に来て、住んでくださり、「わたしが一緒にいるから」と

恐れるな、
もはや恥を受けることはないから。
イザヤ書54:4

 信仰によって、
モーセは王の怒りを恐れず、エジプトを立ち去りました。
目に見えない方を見ているようにして、
耐え忍んでいたからです。
ヘブル書11:27

 ゼカリヤ書2:14~17(新改訳では2:10~13) 
ゼカリヤ書8:1~23(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句12/15 ;金)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方が言われるのだそうです。

「あなたの天幕の場所を広げ、
あなたの住まいの幕を惜しみなく張り延ばし、

綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。
あなたは右と左にふえ広がり、
あなたの子孫は国々を所有し、
荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。
恐れるな。あなたは恥を見ない。
恥じるな。あなたははずかしめを受けないから。
あなたは自分の若かったころの恥を忘れ、
やもめ時代のそしりを、もう思い出さない。
あなたの夫はあなたを造った者、

その名は万軍の主。

あなたの贖い主は、イスラエルの聖なる方で、

全地の神と呼ばれている。

主は、あなたを

夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが、

若い時の妻をどうして見捨てられようか」(イザヤ54:2~7新改訳)、と。

モーセも、この方に目を注いでいたので、
王の怒りも恐れず、
民をエジプトから連れ出すことができたようですね。

また、言われます。

「シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。
見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。
  ――主の御告げ――
その日、多くの国々が主につき、
彼らはわたしの民となり、
わたしはあなたのただ中に住む。
主は聖なる地で、ユダに割り当て地を分け与え、
エルサレムを再び選ばれる。
すべての肉なる者よ。主の前で静まれ。
主が立ち上がって、その聖なる住まいから来られるからだ」。(ゼカリヤ2:14~17〔新改訳2:10~13〕)。


 また、言われます。

「わたしは、シオンをねたむほど激しく愛し、ひどい憤りでこれをねたむ。
わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。
エルサレムは真実の町と呼ばれ、
万軍の主の山は聖なる山と呼ばれよう。
見よ。わたしは、わたしの民を、日の出る地と日の入る地から救い、
彼らを連れ帰り、エルサレムの中に住ませる。
このとき、彼らはわたしの民となり、
わたしは真実と正義をもって彼らの神となる。
ユダの家よ。イスラエルの家よ。
あなたがたは諸国の民の間で呪いとなったが、
そのように、わたしはあなたがたを救って、祝福とならせる。
恐れるな。勇気を出せ。
互いに真実を語り、真実と平和のさばきを行え。
互いの心の中で悪を計るな。
偽りの誓いを愛するな。
これらはみな、わたしが憎むからだ。
真実と平和を愛せよ。

 その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの10人が、
ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、
『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。
神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ』と言う」(ゼカリヤ8:1~23より、新改訳)、と。

 私たちに代わって十字架刑での処刑を受けてくださり、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

そのイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方。
受け入れる者を上から覆い、うちに来て住み、
〔父である神〕の御思いを、私たちの心に置いてくださるのだそうですから。
今日も。

 

 

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神の御子の霊が来て下さって

主なる神はアダムを呼ばれた。
「どこにいるのか。」
彼は答えた。
「あなたの足音が園の中に聞こえたので、
恐ろしくなり、隠れております。
私は裸ですから。」
創世記3:9~10

 あなたがたは子であるのだから、
神は私たちの心の中に、
「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を
送ってくださったのである。
ガラテヤ書4:6~7口語訳

 Ⅱコリント5:1~10
 ゼカリヤ書7:1~14(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句12/14;木)


 天の神、主、「『私はある』という者」と名乗られる方は、
人間を造ろうと思われたとき、
まず、人間の住まいとして、この天地、宇宙を造り、
私たち人間が何一つ不自由なく、困ることなく暮らせるようにと、
地球の自然環境を整えてから、
「さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」と仰って、
最初の人、アダムとエバを造り、エデンの園に置かれたのだそうです。

 聖書が啓示している天の神、主は、
〔父である神〕、〔御子である神〕、〔聖である霊〕と呼ばれる方が、
それぞれ、「『わたしはある』という者」と名乗られる、
「在ろうと思われるとおりに在る」お方、
全知、全能、永遠不変の方でありながら、
ギリシャ神話の神々のように、自己主張し合うのではなく、
愛と尊敬において、一つになっておられる方、
相手を大切に思い、
相手の思いが成ることをご自分の生きがいとされている方なのだそうです(ヨハネ5;19、30、36、6:38、8:26~28、16:14)。

そして、その、「われわれのかたち」、
愛し合い、自由意思で、自発的に、
「私たちが一つであるようにわたしたちと一つになる」(ヨハネ17:21~23)者をと願われて、
人間を造られたようです。

それで、最初の人、アダムとエバは、エデンの園で、
何不自由なく、
神との親しい交わりの中で、
神と思いを一つにしながら生活していたようです。

 けれども、アダムとエバは、
もっと素晴らしい者になりたいと思い、
「神のようになり、善悪を知る者」になろうとして、
天の神、主と、思いを一つにする在り方を止め、
自分の理性を神とし、
自分の理性による善悪の判断を神の御思いよりも上に置き、
すべてのものを自分の判断に従わせようとする者になったのだそうです(創世記3:5、22)。

 そのとき、自分の裸、
今までは神の栄光と一つにされていて見えなかった自分の実体、
自分が神のように、聖でもなく、全知でも、全能でも、永遠の存在でもないことが見えるようになり、
いちじくの葉で、自分をおおい、自分を隠そうとしたのだそうです。
そして、呼びかけられる神を避けて身を隠す者にも。

私たち、アダムの子孫も、この、アダムの創造の目的からのズレ、
「的外れ」となった存在を引き継いで、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」として生まれて来ているようです。

けれども、天の神、主は、私たち人間を創造の目的に取り戻そうとされているのだそうです。

〔御子である神〕が、人として、人の世に来られ、
私たち、すべての人間の、身代わりとなり、
すべての人間の「的外れ」の責任をご自身に負って十字架刑での処刑を受けてくださり、
「的外れ」の者として、天と地の間に高く掲げられ、
さらし者になってくださったのだそうです。

〔父である神〕は、私たち人間を、この、イエスに合わせられた者としてくださって、
エスの十字架刑での処刑に合わせて、
処刑が済んだもの、死んだものと手続きしてくださるのだそうです。

 そして、受け入れる者に、新しい霊として、
もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方によって、受け入れる者の心に、
ご自身が、一人一人に思っておられる御思いを置いてくださり、
受け入れる者がご自身と同じ思いを思い、
一つ心になって生きるようにしてくださるのだそうです。

 イエスが呼びかけられたのと同じに、
「アバ。父よ」と呼ぶ、神の子の身分を与えて下さって、
家族として、〔父である神」と思いを一つにし、心を一つにして、
親しい交わりの中で生きるようにと。

私たちが死によってこのからだを脱いだ時にも、
エスと同じに、新しい霊のからだ、復活のからだを着せて下さり、
いつも主と共にいるようにしてくださるのだそうです。

 

 この地上にいる間も、私たちは、主と心を一つにし、
主に喜ばれることを喜びとして生きるようにしていただけるのだそうですから(Ⅱコリント5:1~10、ゼカリヤ7:5~6)。
今日も。

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私たちにも、委ねてくださっているのだそうですね。良いものを。

わたしは、彼らにわたしの安息日を与えた。
これは、わたしと彼らとの間のしるしであった。
エゼキエル書20:12

 あなたにゆだねられている良いものを、
私たちのうちに住まわれる聖霊によって守りなさい。
Ⅱテモテ1:14

 黙示録1~7
 ゼカリヤ書6:9~15(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句12/13;水) 

 天の神、主、「『私はある』という者」と名乗られる方は、
私たち人間を生かそうとし、
ご自身と思いを一つにする者になってほしいと願っておられるようです。

 それで、「これを行えば生きることができる定め(御思い)」をイスラエルの民に示し、
神の民として取り分けられたしるしとして、安息日を与えられたのだそうです。

 けれども、イスラエルの民の1500年の歴史において、
人間は、神と思いを一つにしようとせず、
「そむき」、
「神のひとりのようになろう」とし、
自分一人の理性の判断で善悪を決め、
その、自分ひとりの判断を実行していく者(創世記3:5、22)になっていることが、
いよいよ鮮明になっていくばかりだったのだそうです。

 それで、天の神、主は、はじめからの計画を実行されたのだそうです。
永遠の初めから、〔父である神〕と共にあり、
「ことば」、〔父である神〕の御思いの表現である〔独り子である神〕が、
ダビデの町ベツレヘムで(ミカ5:2)、
「まだ、男の人を知らない」(ルカ1:34)マリヤの胎を通して、
「女の子孫」(創世記3:15)であり、
ダビデの子孫(Ⅱサムエル7:12~13、イザヤ9:7、エゼキエル34:23~24)として、
人として、人の世に来られ(ヨハネ1:1~14)たのだそうです。

この方は、およそ33歳のころ、
私たちすべての人間の、
すべての「的外れ」、「そむき」の責任をご自身に負って、
民の身代わりの犠牲の小羊がほふられる、その過ぎ越しの祭りの日に、
当時のユダヤの指導者たちのねたみと、ローマの権力を用いて、
自分から十字架刑での処刑を受けられたのだそうです。

 イエスは、ローマ兵がわき腹から心臓にかけて槍で突き刺し、死亡を確認してから、
アリマタヤのヨセフに引き渡され、
ヨセフが自分のために掘ってあった墓に葬られたのだそうです。

 そのイエスを、〔父である神〕は、三日目、日曜日の早朝、
死人の中から、新しい霊のからだによみがえらせたのだそうです。

 イエスは、40日に渡って、何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山から、
弟子たちが見ている前で、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたのだそうです。
エルサレムから離れないで、わたしから聞いた父の約束をまちなさい。
もう間もなく、あなたがたは聖霊バプテスマを受けるからです」と言い残して(使徒1:4~5)。

10日後のペンテコステ(五旬節)の祭りの日、
集まっていた120人ばかりの弟子たちのところに
約束の〔聖である霊〕と呼ばれる方が来られ、
弟子たちは、この方が心に置かれる
〔父である神〕の御思いのままに話すようになったのだそうです(使徒2章)。

 このようにして、天の神、主は、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、私たち人間を、
はじめの、創造の目的、
「われわれのかたちとして、われわれ似せた」(創世記1:26)ものに回復し、
「わたしたち(父である神、御子である神、聖である霊と呼ばれている神)が
(心を)一つにしているように、
わたしたちと(心を)一つにするもの」(ヨハネ17:21~23)にしてくださるというのですね。

 それで、天の神、主は、私たちに、
心の向きをご自身のほうに向き変り、
和解を受け入れて、〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、
この方によって、ご自分と同じ思いを思い、
心を一つにする者になってほしいと仰っておられるのだそうです。

 「私たちにゆだねられた良いもの」、
エスが派遣される〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置かれる

〔父である神〕の御思いを大切にし、
御思いのとおりに、
〔父である神〕が私たち一人一人を通してしようと思われることを
そのまま、していくように、と。

 あの、ローマ兵によって槍で突き刺されたイエスが、
二度目に、
天の雲に乗って来られる日が近づいているのだそうですから(黙示録1:7)。
今日も。

 

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御思いを豊かに満たしてくださる方に、賛美をささげながら

私の舌はあなたの仰せを歌うでしょう。
あなたの戒めはことごとく正しいのですから。
詩119:172

 キリストの言葉が
あなたがたのうちに豊かに宿るようにしなさい。
知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、
詩編と賛歌と霊的な歌により、
感謝して心から神をほめたたえなさい。
コロサイ書3:16

 イザヤ書26:7~12(13~15)
 ゼカリヤ書6:1~8(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句12/12;火)

私たちは、自分の理性の善悪の判断によって、
滅びる羊のように、迷い出てしまっているようです。

 けれども、天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方の仰せは、
ことごとく正しく、
私たちに悟りを与え、私たちを救い出してくれるのだそうです。


 私たちは、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、
私自身である〔生まれた時からの私〕という霊から来る思いを、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑に合わせていただいた
死んだものから出て来た思いであるとを認めて、
エスの御前に差し出し、
聖書に掲示されている神の御思い(ロゴス)、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心の置いてくださる〔父である神〕の御思い(レーマ)を
豊かに宿していく者にしていただけるのだそうです。

 その、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る御思いによって、
互いに教え、諭し合い、
感謝に溢れて神をたたえる思いが心の満ちるのだそうですから。

それで、イザヤのように、私たちも歌うのですね。

義人の道は平らです。

あなたは義人の道筋をならして平らにされます。
主よ。まことにあなたの裁きの道で、私たちはあなたを待ち望み、

私たちのたましいは、あなたの御名、あなたの呼び名を慕います。

私のたましいは、夜あなたを慕います。

まことに、私の内なる霊はあなたを切に求めます。

あなたのさばきが地に行われるとき、世界の住民は義を学んだからです。
~~~

主よ。あなたは、私たちのために平和を備えておられます。

私たちのなすすべてのわざも、

あなたが私たちのためにしてくださったのですから(イザヤ26:7~12新改訳)、と。

 イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、

〔父である神〕の御思いを豊かに宿す者にしてくださる方に

賛美の歌をささげながら。
今日も。

 

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