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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

天使を派遣して救われ

シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。

この僕たちを、神は御使いを送って救われた。ダニエル書3:28

 

 すると、天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。

天使はペトロのわき腹をつついて起こし、

「急いで起き上がりなさい」と言った。

すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。使徒12:7

 

 Ⅰペトロ2:1~10

 コロサイ書2:16~19(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句4/28;金)

 

 今から2700年ほど前のこと、バビロンの王ネブカデネザルは、高さ27mほどの像をバビロン州のドラの平野に立て、すべての民がこれを拝むよう命令したのだそうです。

 

 しかし、ユダヤから捕囚になって連れて来られていたシャドラクとメシャクとアベド・ネゴはこれを拝むことをせず、王の怒りを買い、火の燃える炉の中に投げ込まれたのだそうです。

 

 そのとき、ネブカデネザル王は驚き、急いで立ち上がり、その顧問たちに尋ねて言ったのだそうです。

「私たちは3人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。

だが、私には、火の中を、なわを解かれて歩いている4人の者が見える。

しかも彼らは何の害も受けていない。第4の者は神々の子のようだ」と。

 

そして、「いと高き神の僕たち。すぐ出てきなさい」と彼らを火の燃える炉の中から呼び出し、

冒頭の言葉のように天の神、主をほめたたえたのだそうです(ダニエル3:1~30新改訳)。

 

 

 1980年ほど前のユダヤでのこと、ヘロデ王は、イエスの12使徒のひとり、ヤコブを剣で殺し、ペテロも捕らえて殺そうとしていたのだそうです。

 

 明日は引き出されて殺されるというその前夜、天使が現れ、ペテロをつないでいた鎖が外れ、獄の戸が開いて、ペテロは外に出ることができたのだそうです。

 

そして、ペテロは、神のご計画の時が来てローマで殉教するその時まで、復活されたイエスを目撃した者として弟子たちを励まし続けたのだですね。

 

 天の神、主は、そうしようと思われれば、このように天使を派遣してご自身の民を救うこともなさる方なのですね。

 

 天の神、主は、イエスによって、以前は神の民でなかった者を神の民とし、

以前はあわれみを受けなかった者を、あわれみを受ける者にし、

闇の中に住んでいた者を、ご自身の驚くべき光の中に招き、

選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民としてくださるのだそうです(Ⅰペテロ2:9~10)。

 

 それで、私たちも、〔生まれた時からの私〕という霊から出て来る思いは、イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて死んだものとされた私から出てくる思いであると認めて(コロサイ2:20)イエスの前に投げ捨て、

イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって〔父である神〕の御思いを心に置いていただいて、御思いのとおりに生きる者にもしていただけるのだそうです。

 

ちょうど、しっかりと頭につながっているからだが、頭の思いのとおりに動いていくように(コロサイ2:19)。

今日も。

 

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災いと苦しみから命を得させて

あなたは多くの災いと苦しみを、私に思い知らせられましたが、

再び命を得させてくださるでしょう。詩編71:20

 

 イエスの言葉:心を騒がせるな。

神を信じなさい。

そして、わたしをも信じなさい。ヨハネ14:1

 

 イザヤ66:6~13

 コロサイ2:1~7(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句4/26;水)

 

 80年、90年、あるいは100年に近い人生の中で、天の神、主は、私たちが多くの災いと苦しみに遭うことを許可されています。

天の神、主は、そのことを通して、順調に行くとすぐ、自分が神のようであり、善悪を決められるものであるかのように思い上がってしまう私たちに、自分が地のチリで造られたものにすぎないことを思い知らせられ、滅びに向かって一直線に進んでいる道から、ご自身に立ち返ってほしいと願っておられるようです。

 

 災いや苦しみの中にいるとき、心騒ぎますが、災いや苦しみを通しても、天の神、主は、私たちに命を得させようとしておられることに目を向けて、安心して心騒がせておれば、そうこうしているうちに、天の神、主は、そこと通り過ぎさせてくださるようです。

 

 その中で、私たちは、心に励ましを受け、愛によって結び合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになり、

イエス・キリストの御思いの中で生き、

キリストの中に根ざし、建てられ、信頼を堅くし、感謝があふれるようにしていただけるのだそうです(コロサイ2:1~7)。

 

 イザヤを通して預言されたとおりに。

「見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、

あふれる流れのように国々の富を与える。

あなたがたは乳を飲み、わきに抱かれて、ひざの上でかわいがられる。

母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰める」(イザヤ66:12~13)と。

今日も。

 

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絶え入るばかりに恋い慕って

あなたの庭で過ごす一日は

千日にまさる恵みです。詩編84:11

 

 イエスの言葉:

わたしは門である。

わたしを通って入る者は救われる。

その人は、門を出入りして牧草を見つける。ヨハネ10:9

 

 ヨブ記42:7~13(14~17)

 コロサイ書1:24~29(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句4/25;火)

 

 詩人はうたいました。

「万軍の主。あなたのお住まいは、なんと、慕わしいことでしょう。

私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。

私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います」(詩篇84:1~2新改訳)と。

 

 それで、「主の大庭にいる一日は家にいる千日にも勝る」というのですねよ。

愛はそのように、愛する方のそばにいたい、一緒にいたいと願う者のようです。

 

 イエスはご自分のことを門にたとえられました。

イエスを通って私たちは天の神、主の御許に出入りし、

天の神、主からの豊かな恵みにあずかるようになるのだそうです。

 

 ヨブが、身に覚えのない苦難に遭ったとき、

私は潔白だ。私は自分の身の潔白を神と議論したいと心の真実を述べて神にすがりつき、

神から、真実を述べたものと認めていただき、

その繁栄を2倍にして返していただいたように(ヨブ42:7~13)。

 

 私たち、神の民でなかった者も、

私たちの〔的はずれ〕の責任を、私たちに代わってご自身に背負ってくださって十字架刑での処刑を受けてくださったイエスによって、

 

そして、墓に葬られ、三日目の日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活され、

40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国について語ったのち、

弟子たちのみている前で、オリーブ山から天の父である神の右の座に帰られたイエスが

受け入れる者に派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方のとりなしによって、

自由に〔父である神〕の御前に出入りし、

その栄光を仰ぎ見、この方と思いを一つにする、

千日にも勝る一日、一日を過ごさせていただけるのだそうです。

今日も。

 

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急いで降りて来て、喜んで主を迎え

神は豊かな憐れみにより、

私たちを新たに生まれさせ、

生き生きとした希望を与えてくださった。Ⅰペテロ1:3(4/23の週の聖句) 

 

 あなたの神、主の戒めを守り、

主の道を歩み、

彼を畏れなさい。申命記8:6

 

 互いに愛し合うことのほかは、

だれに対しても借りがあってはなりません。

人を愛する者は、律法を全うしているのです。ロマ書13:8

 

 ヨハネ20:19~29

 詩編116

  (ローズンゲン日々の聖句4/23;Ⅳ日)

 

 

 御救いを愛する人が、

主をあがめよといつも歌いますように。詩編40:17

 

 イエスの言葉:

ザアカイ、急いで降りてきなさい。

今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。ルカ19:5~6

 

 創世記32:22b~32

 コロサイ書1:21~23(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句4/24;月)

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、私たち一人一人をご自分と一つ思いを思う者になってほしいと願っておられるのだそうです。

 

 それで、心がご自身から離れ、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている私たちの〔生まれた時からの私〕という霊を死んだものとし、受け入れる者に〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣して、この方によって、受け入れる者の心に、一人一人に思っておられるご自身の御思いを置き、受け入れる者がご自身と同じ思い、一つ思いを思う者になるようにと、新しい霊によって新たに生まれる道を開いてくださったのだそうです。

 

 そのために、〔御子である神〕が人間イエスとなり、人の世にうまれてくださって、

およそ、33歳の頃、エルサレムの城壁の外で十字架刑での処刑を受けてくださって、

ご自身の死を私たちの〔生まれた時からの私〕という霊の死としてくださるのだそうです。

 

 〔父である神〕は、この、死んで墓に葬られたイエスを、三日目、日曜日の早朝、死人の中からよみがえらせ、40日に渡って何度も弟子たちに現れさせ、神の国のことを話させた後、オリーブ山から、弟子たちのみている前で、天のご自身の右の座、〔御子である神〕の位に復帰させたのだそうです。そして、このイエスを通して受け入れる者に〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださる道を開いてくださったのだそうです。

 

 この〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、〔父である神〕の御思いを心に置いていただく者は、〔父〕と〔御子〕と〔聖である霊〕と呼ばれる方が、互いに愛し合い、心を一つにしていらっしゃるように、愛し合う者になり、〔御父〕と心を一つにしていくようになるのだそうです。

 

 「主をあがめよ」といつも歌い、

喜んで、いよいよ〔聖である方〕を迎え、

ヤコブのように祝福を求め、

聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせていただけるのだそうです。

今日も。

 

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光に導き入れ、恵みの御業、ご自身の義を着せて

主は私を光に導かれ、

私は主の恵みの御業を見る。ミカ書7:9

 

 一緒に食事の席に着いたとき、

イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、

パンを裂いてお渡しになった。

すると、二人の目が開け、(復活された)イエスだと分かった。ルカ24:30~31

 

 ルカ24:1~12

 コロサイ書1:15~20(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句4/22;土)

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、やみの中にいる者を、光そのものであるご自身の中に連れ出し、導き、恵みの御業、ご自身の義を見させてくださるのだそうです。

 

 御子は、見えない神の、人に見えるかたち、神のことばであり、

万物よりも先に存在している方。

万物、天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって、御子のために造られ、

万物は御子にあって成り立っているのだそうです。

 

 その御子である神が、女の子孫として(創世記3:15)、ダビデの子孫である処女マリヤの胎を通して人となり(ルカ3:23~38)、人の世に来てくださったのが、あのイエスだというのですね(ヨハネ1:14)。

 

 父である神は、この方を、すべての人の身代わりとし、すべての人の〔的外れ〕の責任をこの方の上に置いて、神に反逆した者として十字架刑で処刑し、その流された血によって平和をつくり、万物をご自身と和解させてくださったのだそうです(コロサイ1:15~20)。

 

 2000年ほど前、過ぎ越しの祭りの時、

エルサレム城外で十字架刑での処刑を受けて死に、

近くにあった、アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られ、

三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活されたイエス(ルカ24:1~12)。

 

 この方こそ、その、御子である神。

受け入れる者に神との和解を与え、

光そのものである〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣して、

この方の中に満たし、

神の義を着せ、神の子の身分を与えて神の家族としてくださり、

〔父である神〕が一人一人に思っておられる御思いをそれぞれの心に置き、

神と心を一つにし、神がしようと思われることをしていく者にしてくださる方なのだそうです。

今日も。

 

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お前がいつも拝んでいる神がお前を救ってくださるように

王は命令を下し、

ダニエルは

獅子の洞窟に投げ込まれることになって引き出された。

王は彼に言った。

「お前がいつも拝んでいる神がお前を救ってくださるように。」ダニエル書6:17

 

 虐げられても見捨てられず、

打ち倒されても滅ぼされない。Ⅱコリント4:9

 

 ルカ24:36~47

 コロサイ書1:9~14(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句4/21;金)

 

 紀元前530年頃のこと、捕囚としてバビロンへ連れて行かれたダニエルは、バビロンがメディア、ペルシャによって滅ぼされた後も、メディア、ペルシャの王ダリヨスに仕えていたのだそうです。

 

 ダリヨスは全国に120人の太守を任命し、その上に3人の大臣を置いて国を治めさせたのだそうです。

ダニエルは、その3人の大臣の中のひとりだったのですが、彼のうちに優れた霊が宿っていたので、他の大臣よりもきわだってすぐれていたのだそうです。

そこで、ダリヨス王はダニエルに全国を治めさせようと思ったのだそうです。

それで、ダニエルは他の大臣、太守たちはダニエルを妬み、訴える口実を見つけようとしたのですが、ダニエルには何の怠慢も欠点も見つけられなかったのだそうです。

それで、大臣と太守たちは王に進言して、

「今から30日間、王以外のいかなる神にも人にも、祈願する者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれる」という法律を制定させたのだそうです。

 

 ダニエルは、それを知っても、いつものように、自分の家の、窓がエルサレムに向かって開いている屋上の部屋で、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していたのだそうです。

それで、ダニエルは訴えられ、士師の穴に投げ込まれることになったのだそうです。

なんとか、ダニエルを救おうとしたダリヨス王だったのですが、他の大臣たちに迫られ、ダニエルを士師の穴に投げ込むよう、命令を出すしかなく、

そのとき、ダニエルにこのように言ったのだそうです。

そして、天の神、主は、獅子の口をふさがれたので、ダニエルは何の害も受けず、穴から出てくることができたのだそうです(ダニエル6:1~23)。

 

 イエスの弟子たちを迫害していて、復活されたイエスが現れ、使徒とされたパウロも、

イエスによる恵みの救いを地中海世界に伝えていく中で、

古い契約によって神の前に義とされようと努力している人たちからの迫害に遭い、

幾度となく死を覚悟するような出来事を経験したのだそうですが、

「虐げられるのですが、見捨てられず、打ち倒されるのですが、滅ぼされることはなく、

かえって、イエスのいのちが現れる」出来事になったのだそうです。

 

 復活されたイエスが弟子たちに言われたように、

旧約聖書に書かれているとおりに、

キリストは、苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、

約束されていた〔聖である霊〕と呼ばれる方が来られて、弟子たちはいと高きところから力を着せられ、証人として立ち、

イエスの名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられていったのですね(ルカ24:36~47)。

 

受け入れる者を、暗やみの圧政から救い出し、

御子である神、イエスのご支配の中に(コロサイ1:13)、

自分の〔生まれた時からの私〕という霊から来る思いで生きている者を

〔聖である霊〕と呼ばれる方から来る思いで生きるものへと移しながら(エゼキエル36:25~28)。

今日も。

 

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ひたすら、このお方を慕い求める者に

心を正しく主に向け、

ただ主にのみ仕えなさい。サムエル記上7:3

 

 パウロの手紙:

ひたすら

キリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。フィリピ書1:27

 

 ヨハネ21:1~14

 コロサイ書1:1~8(通読箇所)

(ローズンゲン日々の聖句4/20;木)

 

 イエスによる福音、うれしい知らせは、受け入れる者の事実となって、受け入れる者を新しい生き方に導き、受け入れる者の生活の中で実を結んでいくのだそうです。

 

 〔生まれた時からの私〕という霊から来る自分の思いで生きて来た者が、

〔聖である霊〕と呼ばれる方から来る〔父である神〕の御思いによって生きるものへと変えられ、

心をこの方に向け、この方の御思いがなることが願いになっていくのだそうですから。

御心が、天で、〔父である神〕の御思いの中でなっているように、地でも、この私においてもなりますように、と。

 

 イエスが十字架刑で処刑された後、ガリラヤに帰り、漁に出かけたペテロたち。

でも、その夜は何もとれなかったのだそうです。

夜が明けそめたとき、復活されたイエスが岸辺に立たれ、「船の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます」と言われたので、右側に網をおろしてみると、153匹の大きな魚で網がいっぱいになったのだそうです。

弟子たちが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見、

イエスは、「今とった魚を幾匹か持って来なさい」と言われ、

「さあ来て、朝の食事をしなさい」と、パンを取り、彼らにお与えになり、また、魚も同じようにされたのだそうです(ヨハネ21:1~14)。

 

 私たちの〔的外れ〕の責任を取って私たちに代わって十字架刑での処刑を受けてくださったイエス。

墓に葬られ、三日目に死人の中より、新しい霊のからだに復活され、

40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語られたあと、

弟子たちのみている前でオリーブ山から天の父である神の右の座に帰られたイエス。

 

 そのイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、受け入れる者と共にいて、この時のイエスのように、前もって私たちの行く道を整え、必要なものを用意して、私たちを運んでくださる方なのだそうです。

受け入れる者の中に働いて、伝えられた言葉のとおりの事実を起こし、

受け入れる者の心にいよいよ主を慕い求める思いを起こしてくださるのだそうです。

 

 それで、このイエスによるうれしい知らせは、2000年、世界中に広がり続け(コロサイ1:6)、受け入れる者を変え続けているのだそうです。

今日も。

 

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