風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちのうちに輝いてくださるのだそうです。「闇の中から光が輝き出でよ」と仰られた方が。

神は言われた。
「光あれ。」
こうして、光があった。
創世記1:3

 「闇から光が輝き出でよ」
と命じられた神は、
私たちの心の内に輝いてくださる。
Ⅱコリント4:6

 申命記33:1~4(7、12~16)
 申命記5:1~22(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句1/20;土)

 

天と地、この宇宙を創造された方、
天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方。
「光があれ」と仰せられて、
太陽の光が地球を照らし、
地球に昼と夜があるようにされた〔父である神〕は、
〔御子である神〕、イエスによって、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を私たちのうちに派遣してくださるのですね。

 この方、〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
受け入れる者のうちに来られて、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを
心に置いてくださり、
受け入れる者が、〔父である神」と同じ思いを思うようにしてくださり、
その御思いのとおりの事実を起こしてくださるのだそうです。
それで、受け入れる者から、
神の御思いのとおりの事実が輝き出でることになるのだそうです。
ちょうど、土の器の中にある油が、
燈心を通して燃え、
光となって周りを照らすように。

イスラエルの民をエジプトの奴隷状態から脱出させ、
40年間、民を導いたモーセが、約束の地を目の前にして、
この世を去り、神のもとに帰ろうとするとき、
民を祝福して言ったのだそうです。

主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
シナイから来られ、セイルから彼らを照らし、
パランの山から光を放ち、メリバテ・カデシュから近づかれた。
その右の手からは、彼らにいなずまがきらめいていた。
まことに国々の民を愛する方、
あなたの御手のうちに、すべての聖徒たちがいる。
彼らはあなたの足もとに集められ、あなたの御告げを受ける。
モーセは、みおしえを私たちに命じ、ヤコブの会衆の所有とした。

ユダについては、こう言った。
「主よ。ユダの声を聞き、その民に、彼を連れ返してください。
彼は自分の手で戦っています。
あなたが彼を、敵の手から助けてください。」

ベニヤミンについて言った。
「主に愛されている者。
彼らは安らかに、主のそばに住まい、
主はいつまでも彼をかばう。
彼が主の肩の間に住むかのように。」


 ヨセフについて言った。
「主の祝福が、彼の地にあるように。
天の賜物の露、下に横たわる大いなる水の賜物、
太陽がもたらす賜物、月がもたらす賜物、
昔の山々からの最上のもの、太古の丘からの賜物、
地とそれを満たすものの賜物、
柴の中におられた方
(神が最初にモーセに現れられた時、燃える柴の中からモーセに語られたのだそうです)の恵み、
これらがヨセフの頭の上にあり、
その兄弟たちから選び出された者の頭の頂の上にあるように。」[申命記33:1~4(7、12~16)新改訳]、と。
 


 また、モーセイスラエルの人をみな呼び寄せて彼らに言ったのだそうです。

聞きなさい。イスラエルよ。
きょう、私があなたがたの耳に語るおきてと定めとを。
これを学び、守り行いなさい。
私たちの神、主は、ホレブ(シナイ山)で私たちと契約を結ばれた。
主が、この契約を結ばれたのは、私たちの先祖たちとではなく、
きょう、ここに生きている私たちひとりひとりと、結ばれたのである。

 主は仰せられた。
「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、
あなたの神、主である。
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を作ってはならない。
上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、
地の下の水の中にあるものでも、
どんな形をも造ってはならない。
それらを拝んではならない。
それらに仕えてはならない。
あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、
わたしを憎む者には、父の咎(とが)を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、
恵みを千代にまで施すからである。

 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。

 

安息日を守って、これを聖なる日とせよ。
あなたの神、主が命じられたとおりに、
六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
しかし、七日目は、あなたの神、主の安息である。
あなたはどんな仕事もしてはならない。
 ――あなたも、あなたの息子、娘も、あなたの男奴隷や女奴隷も、
 あなたの牛、ろばも、あなたのどんな家畜も、
 またあなたの町囲みのうちにいる在留異国人も――
そうすれば、あなたの男奴隷も、女奴隷も、あなたと同じに休むことができる。
あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、
そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、
あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。
それゆえ、あなたの神、主は、安息日を守るよう、あなたに命じられたのである。

あなたの父と母を敬え。
あなたの神、主が命じられたとおりに。
それは、あなたの齢(よわい)が長くなるため、
また、あなたの神、主が与えようとしている地で、幸せになるためである。

 殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽証してはならない。

 

あなたの隣人の妻を欲しがってはならない。
あなたの隣人の家、畑、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、
すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。(申命記5:1~21)、と。

 

〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
受け入れる者のうちに来て、
〔父である神〕の御思いを心に置き、書きしるしてくださって、
受け入れる者を御思いのとおりに導き、
神の栄光が輝き出でるよう、働いてくださるのだそうですから。
今日も。

命の言葉の事実が輝き出るのだそうです。私たちを通しても。

主の仰せは清い。

土の炉で七たび練り清めた銀。127
 
 あなたがたは世にあって
星のように輝き、
命の言葉をしっかり保つでしょう。
フィリピ書21516

 エレミヤ書
1419
 申命記42540(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句
1/19;金)

 主のみことばは、七たび精錬された銀のように
不純物の入っていない、混じりけのないものなのだそうです。

 天の神、主は、私たちが、そのみことばをしっかり握って、
世の光として星のように輝くようにと思っておられるのだそうです。

私たちの背信は、はなはだしく、
私たちは自分の咎によって告発される者なのですが、
〔父である神〕は、
御子イエスの受けられた十字架刑での処刑によって、
私たちを清いとしてくださり、
約束のことばのとおりに、
〔聖である霊〕と呼ばれる方の働き、光が
私たちを通して輝き出るようにしてくださるのだそうですから。
今日も。

平和の福音を受け取って

遠い海、地の果てに至るまで、
すべてのものがあなたに依り頼みます。
656

 キリストはおいでになり、
遠く離れているあなたがたにも、
また、近くにいる人々にも、
平和の福音を告げ知らせられました。
エフェソ書217

 使徒
152231
 申命記41524(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句
1/18;木)

 神の言(ことば)、神の御子であられる方が、
人間イエスとして、私たちの歴史の中に来てくださり、
私たちの「的外れ」の責任をご自身に負って、
十字架刑での処刑を受けてくださり、
私たちが神と和解し、
神との平和な関係に入る道となってくださったのだそうです。

 そして、弟子たちを、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって証言者として立て、
その平和のうれしい知らせを、
エルサレムから始めて、ユダヤとサマリヤの全土、
そして世界の隅々にまで、
遠い海、地の果てに至るまで告げ知らせておられるのだそうです。

 イエスの死を、自分の、
〔生まれたときからの霊〕の死としていただいて、
割礼を受け、自分の力で律法を守り、自分の義を立てる、
旧い契約から解放され、

エスの十字架刑での処刑を通して来てくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
この方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いを自分の思いとし(エレミヤ
313134、エゼキエル362528)、
〔父である神〕と思いを同じくし、
心を一つにして(創世記
126、ヨハネ172123)、
御思いに導かれて進む者へと(使徒
152231、ガラテヤ52425)。

心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして
〔父である神〕を愛する心に(申命記
65、マタイ2237)、
神の所有の民に(申命記
420)にしていただいて、
〔父である神〕が私を通してしようと思っておられる御思いの中へと。
今日も。

私たちを、宝の民、ご自身の子にしようと

彼らはわたしにとって宝となる。
人が自分に仕える子を憐れむように、
わたしは彼らを憐れむ。
マラキ書3:17

 言(ことば)は、
自分を受け入れた人、
その名を信じる人々には、
神の子となる資格を与えた。
ヨハネ1:12

 ガラテヤ書5:1~6
 申命記4:1~14(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句1/17;水)

天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は
私たち、すべての人間を
ご自分の宝物のように大事に思っておられるようですね。

 私たちを、愛する御子と同じ位置に置こうと
思っていておられるのだそうですから。

 そのために、永遠の初めからご自身と共におられて、
共に、この天地宇宙、万有を創造された方、
御子である方、
〔言(ことば)なる神〕と呼ばれる方を、
「女の子孫」(創世記3:15)として、人間の歴史の中に派遣され、
この方がおよそ33歳の頃、
ユダヤ人の指導者たちの妬みを用い、
ローマ兵によって十字架刑で処刑されたのだそうです。

 〔父である神〕は、この方を処刑することによって、
私たちすべての人間の処刑が終わったものとみなしてくださり、
これを信じ、受け入れる者を、
処刑が済んでいるものとして、死亡手続きをしてくださるのだそうです。

 その上で、もう一人の救い主、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方によって、受け入れる者に「神の子」の身分を与え、
ご自分の家族としてくださるのだそうです。

 この方によって、受け入れる者の心に、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを置いてくださり、
受け入れる者がご自身と
一つ思い、一つ心になって行動するようにしてくださるのだそうです。


 受け入れる者を、旧い契約、律法の縛りから解放し、
律法を自分の力で行って、自分の義を立てていく
旧い契約の道から、
愛と信頼により、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
神との正しい関係、
天の神、主と思いを一つにし、心を一つにしていく
新しい契約(エレミヤ
313134、エゼキエル362528)に生きる者に移してくださるのだそうです。

 私たちに代わって十字架刑での処刑を受けてくださり、
死んで葬られ、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の〔父である神〕の右の座に帰られた
エスを通して来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
求める者に来て、
御思いを心に置いてくださり、
私たちを〔父である神〕の御思いと一つ心になって
生きるようにしてくださるのだそうですから。
ご自分の宝の民として。
今日も。

人の命は、財産によって、どうすることもできないから

あなたは隣人のものを
一切欲しがってはならない。
申命記521

 イエスの言葉:
どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。
有り余るほどの物を持っていても、
人の命は
財産によって
どうすることもできないからである。
ルカ1215

 ロマ書
931108
 申命記31229(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句
1/16;火)

 天の神、主、
「『わたしはある』という者」と名乗られる方が、仰るのですね。
「あなたは隣り人の妻を欲しがってはならない。
あなたの隣人の家、畑、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、
すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない」(申命記
521新改訳)、と。

 自分で得ようとしないで、
わたしに求めて来なさい、と仰っているようです。

 ダビデが、忠実な部下ウリヤを
わざと激戦地に送って戦死させ、
その妻、バテ・シェバを取ったとき、
天の神、主は、預言者ナタンをダビデのところに遣わして言われたのだそうです。
イスラエルの神、主はこう仰せられる。
『わたしはあなたに油をそそいで、イスラエルの王とし、
サウルの手からあなたを救い出した。
さらに、あなたの主人の家を与え、
あなたの主人の妻たちをあなたのふところに渡し、
イスラエルとユダの家も与えた。
それでも少ないというのなら、
わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。
それなのに、どうしてあなたは主の言葉をさげすみ、
わたしの目の前に悪を行ったのか』」(Ⅱサムエル記
1279)、
と言われたのだそうですから。

 群衆の中のひとりが、エスに、
「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください」と言ったとき、
エスは言われたのだそうです。
「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。
なぜなら、いくら豊かな人でも、
その人のいのちは財産にあるのではないからです」と。

 そして、あるたとえを話されました。
「ある金持ちの畑が豊作だったので、その人は、心の中で言った。
どうしよう。しまっておく場所がない。
そうだ。こうしよう。
もっと大きな倉を建て、穀物や財産をみなそこにしまい、
そして、自分のたましいにこう言おう。
『たましいよ。
これから先、何年分もいっぱい物がためられた。
さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。』

 しかし、神は彼に言われた。
『愚か者。
おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。
そうしたら、おまえが用意した物は、
いったいだれのものになるのか。』

自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです」と。

 そして、さらに言われたのだそうです。
「だから、わたしは言います。
いのちのことで何を食べようかと心配したり、
何を着ようかと心配し、気をもむことはやめなさい。
烏に食べ物を与え、
ゆりの花をこのように装ってくださる神は、
それ(食べ物や着る物)があなたがたにも必要なことを知っておられます。
神の国(統治、支配)を求めなさい。
そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます」(ルカ
121331)と。

 私たちの身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けてくださり、
死んで、墓に葬られ、
陰府、地の奥底まで下り、
三日目に死人の中より復活して、
40日に渡って弟子たちに何度も現れて神の国のことを語り、
オリーブ山から、
弟子たちの見ている前で上げられ、
雲に迎えられて見えなくなられたイエス使徒
139)。
その〔父である神〕の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方。
この方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思い。
その御思いについて行ってほしいのだそうです。

必要を神に申し上げ、知っていただきながら、
「みこころが天で行われるように、
この私を通しても実現しますように」と。

 天の神、主は、
私たち一人一人を通しても、
働かれるのだそうですから(申命記
322)。
今日も。

神の霊によって、主を畏れ、まことをもって主に仕える者に

主を畏れ、
心を尽くし、
まことをもって
主に仕えなさい。
主がいかに偉大なことをあなたに示されたかを
悟りなさい。
サムエル記上12:24

 その憐みは代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
ルカ1:50

 

 申命記4:5~13

 申命記2:16~25(通読箇所)
     (ローズンゲン日々の聖句1/15;月)

 モーセを指導者としてエジプトを出たイスラエルの民。
約束の地を目の前にするカデシュ・バルネアに至り、
天の神、主の「上れ。占領せよ」との言葉よりも、
自分たちの理性による判断で、
「主は私たちを憎んでおられるので、
私たちをエジプトの地から連れ出して
エモリ人の手に渡し、
私たちを根絶やしにしようとしておられる」とつぶやき、
エジプトに帰ろうとして、主の言葉に従おうとしなかったのだそうです。

 それで、荒野での40年を過ごすことになり、
その当時の戦士だった人が死に絶えたとき、
主は仰せられたのだそうです。
「北に向かって行け」(申命記2:3)と。

 そして、アルノン川を渡った民にモーセは語ったのだそうです。
「今、イスラエルよ。
あなたがたが行うようにわたしの教えるおきてと定めとを聞きなさい。
そうすれば、あなたがたは生き、
あなたがたの父祖の神、主が、
あなたがたに与えようとしておられる地を所有することができる。
見なさい。
私は、私の神、主が私に命じられたとおりに、
おきてと定めとをあなたがたに教えた。
あなたがたが、入って行って、所有しようとしているその地の真ん中で、
そのように行うためである。

 これを守り行いなさい。
そうすれば、それは国々の民に、
あなたがたの知恵と悟りを示すことになり、
これらのすべてのおきてを聞く彼らは、
『この偉大な国民は、確かに知恵のある、悟りのある民だ』と言うであろう。
まことに、私たちの神、主は、
私たちが呼ばわるとき、いつも、近くにおられる。
このような神を持つ偉大な国民が、どこにあるだろうか。
このみおしえのすべてのように、
正しいおきてと定めとを持っている偉大な国民が、
いったい、どこにあるだろう。
ただ、あなたは、ひたすら慎み、用心深くありなさい。
あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間、
それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。
あなたはそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい」(申命記4:1~9新改訳)、と。

 そして、そのあとのイスラエルの民の700年ほどの歴史を踏まえたうえで、
天の神、主は言われます。

見よ。その日が来る。
  ――主の御告げ――
その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、
新しい契約を結ぶ。
その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、
エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。
わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。
  ――主の御告げ――
彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。
  ――主の御告げ――
わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、
彼らの心にこれを書きしるす(エレミヤ31:31~33)。


あなたがたに新しい心を与え、
あなたがたのうちに新しい霊を授ける。
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、
わたしのおきてに従って歩ませ、
わたしの定めを守り行わせる(エゼキエル36:26~27)、と。

そして、それからさらに700年ほどの時を経て、
預言のことばのとおりに、
神の御子である方が「女の子孫」(創世記3:15)として人の世に宿られ、
およそ、33歳の頃、すべての人の身代わりとなり、
十字架刑での処刑を受けられたのだそうです。

 そして、墓に葬られ、三日目の日曜日の朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活され、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国について語った後、
弟子たちの見ている前で、
オリーブ山から、天の父である神の右の座に帰られたのだそうです。

そして、10日後のペンテコステ(五旬節)、律法授与の記念日に、
待ち望んでいた弟子たち120人ほどに、
約束の〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣され、
弟子たちはこの方が語らせられるとおりに、他のことばで話し出し、
〔父である神〕の御思いと心を一つにして生きるようになったのだそうです。

神の霊によって、
主を畏れ、心を尽くし、
まことをもって主に仕える生き方が。
私たちにも。
今日も。

イエスを通して来る、恵みと真理の中へ

律法はモーセを通して与えられ、
恵みと真理は
イエス・キリストを通して現れた。
ヨハネ1:17(1/14 の週の聖句)

主がヨセフと共におられ、
彼がなすことを栄えさせられた。
創世記39:23口語訳

 独りで何かができるとなどと思う資格が、
自分にあるということではありません。
私たちの資格は神から与えられたものです。
Ⅱコリント3:5

 ヨハネ2:1~11
 詩55(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句1/14;Ⅱ日)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方の
恵みとまことは、
エスを通して私たちに実現しているのだそうです。

 ヨセフが、兄たちから妬まれ、
エジプトに奴隷として売り飛ばされ、
エジプトの王パロの侍従長ポティファルの家にいたとき、
主人の妻から言い寄られたのだそうです。
けれどもヨセフは、
「ご覧ください。
私の主人は、家の中のことは何でも私に任せ、気を使わず、
全財産を私の手にゆだねられました。
ご主人は、この家の中で私よりも大きな権威をふるおうとはされず、
あなた以外には、何も私に差し止めてはおられません。
あなたがご主人の奥さまだからです。
どうして、そのような大きな悪事をして、
私は神に罪を犯すことができましょうか」と、
これを受け入れなかったのだそうです。

 それで、その妻から主人に、
「あなたが私たちのところに連れて来られたヘブル人の奴隷は、
私にいたずらをしようとして私のところに入って来ました。
私が声をあげて叫んだので、
私のそばに上着を残して外へ逃げました」とうその訴えをされ、
主人の怒りを買い、
捕らえられ、王の囚人が監禁されている地下牢に入れられたのだそうです。

 こうして、ヨセフは監獄にいたのですが、
天の神、主は、ヨセフとともにいてくださって、
ヨセフに恵みを施し、
監獄の長の心にかなうようにされたのだそうです。
それで監獄の長は、監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだね、
ヨセフはそこでするすべてのことを管理するようになり、
天の神、主は、ヨセフが何をしても、
それを成功させてくださったのだそうです(創世記39:1~23)。


エスが、ガリラヤのカナの親戚の家で婚礼があり、
そこに出ておられたとき、
婚礼の途中でぶどう酒がなくなり(婚礼は1週間ほど続くのだそうです)、
花婿が大恥をかくところだった時、
母、マリヤから「ぶどう酒がなくなりました」と告げられ、
エスは、
「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。
女の方、わたしの時はまだ来ていません」と答えながらも、
母、マリヤが、手伝いの人に、
「あの方の言われることを、何でもしてあげてください」と言う
マリヤの信頼に答え、
そこに、客が家に入って来る時、
身をきよめるための水を入れる、
水が80~120リットルほど入る石の水がめが6つ置いてあったのだそうですが、
エスは、それに水を満たすようにと言い、
手伝いの人たちが、水を水がめのふちまでいっぱいにすると、
「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい」
と言われたのだそうです。
それで、手伝いの人たちが持って行くと、
宴会の世話役は、
それがどこから来たのか知らなかったのですが、
それを味わってみて、花婿を呼んで言ったのだそうです。
「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、
人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、
あなたはよいぶどう酒をよくも今まで取っておきました」(ヨハネ2:1~11)、と。

エスも、「わたしの時はまだ来ていません」と、
ご自分の判断で事をなしておられるのではなく、
〔父である神〕の御思いに従って行動されていたのだそうですが、
まして、私たち、
使徒パウロが言うように、
何事かを自分のしたことと考える資格が私たちにあるというのではなく、
神からの資格によって
新しい契約に仕える、御霊に仕える者としていただけるのだそうです(Ⅱコリント3:5~6)。

 天の神、主は、エレミヤやエゼキエルを通しても言っておられます。
「わたしは新しい契約を結ぶ。
その契約は、
イスラエルをエジプトから連れ出した日に、
彼らと結んだ契約のようではない。
わたしは、あなたがたのうちに新しい霊、わたしの霊を授け、
あなたがたに新しい心を与えて、
わたしの律法を(石の板にではなく)
彼らの心にこれを置き、書きしるす」(エレミヤ31:31~33、エゼキエル36:25~28)、と。

私たちの身代わりになって十字架刑での処刑を受けてくださり、
墓に葬られ、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエスは、
私たちにも、この〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方によって、
心に、私たち一人一人に対する〔父である神〕の御思いを置いてくださり、
私たちも、〔父である神〕と思いを同じくし、
心を一つにする者、
〔御霊〕に仕える者とも、してくださるのだそうです。

 心に来る、〔父である神〕の御思いによって生きるのだそうです。
〔父である神〕は、私たちを通しても
何かをしようと思っておられるのだそうですから。
この新しい週も。