風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちを豊かにならせようと

 主はその偉大な御名のゆえに、
ご自分の民を
決しておろそかにはなさらない。
サムエル記上12:22

 あなたがたは、
私たちの主イエス・キリストの恵みを
知っています。
主は豊かであったのに、
あなたがたのために貧しくなられた。
それは、主の貧しさによって、
あなたがたが豊かになるためだったのです。
Ⅱコリント8:9

 ヨナ書3:1~10
 ホセア書2:4~15(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6 /23;土)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
ご自分の民をおろそかにはなさらない方なのだそうですね。
ご自分の名にかけて。

 私たちを豊かにするために、
〔御子である神〕ご自身が、天の神の子の位を後にして、
人となり、人の世に来られ、
しかも、王宮にでもなく、
エルサレムにでもなく、
「ナザレから何の良い者がでるであろう」と言われていた、ナザレの
貧しい大工の子として育たれたのだそうです。

 そして、人生の真っ盛り、33歳の頃、
神に呪われた者として十字架刑での処刑を受けられるところまで、
低く、貧しくなってくださったのだそうです。

 そのことによって、私たちの、
「神のひとりのようになり、善悪を知るようになっている」、
神にそむき、神に対立、対抗している、
「的外れ」になってしまっている、
〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑が終わっているもの、
死んだものとしてくださるのだそうです。

 そのうえで、もう一人の助け主(ヨハネ14:16)、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が受け入れる者に来てくださって、
私たちの心に
〔父である神〕の御思いを置いてくださり、
受け入れる者が、
〔父である神〕と思いを同じくし、
心を一つにする者にしてくださるのだそうです。

 神の子の身分を与え、
神の家族として天の御国を受け継ぎ、
エスと栄光を共にする者にしてくださるのだそうです。

 だから、滅ぼさなくて済むように、
このイエスによる救いを受け取ってほしいのだそうですね(ヨナ3:9~10)。

 恋人の後を追って行った女が、
「私は行って、初めの夫に戻ろう。
あの時は、今よりも私は幸せだったから」と言うように(ホセア2:9、新改訳2:7)。

 天の神、主の豊かさの中へ。
今日も。

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

私たちのただ中に住んでくださって

娘、シオンよ、
声をあげて喜べ。
わたしは来て、あなたのただ中に住まう、
と主は言われる。
ゼカリヤ書2:14(新改訳では2:10)

 神は、独り子をお遣わしになりました。
その方によって、
私たちが生きるようになるためです。
ここに、神の愛が

私たちの内に示されました。Ⅰヨハネ4:9

 ガラテヤ書3:6~19
 ホセア書2:1~3(新改訳1:10~2:1)(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/22;金) 

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
私たちを愛してくださって、
私たちとひとつ家族となり、
いっしょに住んで、
心を一つになる関係になりたいと思っていてくださるようですね。

 そのために、独り子である方が、
アダムの背き、「的外れ」を引き継がない「女の子孫」として、
処女マリヤの胎を通して
人として、人の世に生まれられたのだそうです。

 そして、この方がおよそ33歳の頃、
私たちの身代わりとなり、
私たちの背き、「的外れ」の責任をご自身に負って、
神に呪われた者となって木にかかり(申命記21:23、ガラテヤ3:13)、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。

 そして、「神のひとりのようになり、善悪を知るようになっている」(創世記3:5、22)、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済みのもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 そのうえで、受け入れる者にもう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が来てくださって(ガラテヤ3:14)、
この方が、私たちの心に、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを
置いてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 それで、受け入れる者は、心に
〔父である神〕の御思いを持つ者にしていただけるのだそうです。
愛によって、心を一つにする者に、
私たちの思いが神のうちにあり、
神の御思いが私たちのうちにある(Ⅰヨハネ4:13)ように。

 「生ける神の子ら」と言われ、
「わたしの民」、
「愛される者」と言われる者に(ホセア2:1~3、新改訳1:10~2:1)。

 私たち、イエスによって、〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、
〔父である神〕の御思いを置いていただくのですね。
 私たちと、思いを一つにしたいと思っていてくださるのだそうですから。
 今日も。

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

この方の、恵みから、さらに豊かな恵みの中へと

 主 は、
恵みの倉である天を開いて、
季節ごとにあなたの土地に雨を降らせ、
あなたの手の業すべてを祝福される。
申命記28:12

 私たちは皆、
この方の満ちあふれる豊かさの中から、
恵みの上に、さらに恵みを受けた。
ヨハネ1:16

 ミカ書7:7~9、18~20
 アモス書9:11~15

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
ご自身の満ちあふれる豊かさの中から、
私たちを恵み、
さらに恵もうとしておられる方。
天の窓を開いて、季節に従って雨を降らせて、地を潤し、
作物を育て、実らせてくださる方。
私たちの手の業すべてを
祝福しようとしていてくださる方なのだそうですね。

 たとえ、私たちが今、倒れていても、
暗闇にすわっていても、
天の神、主の激しい怒りを身に受けていても、
〔父である神〕は、
エスの義において私たちを裁いてくださるのだそうです。

 だから、私たちは、この方を仰ぎ見、
救いの神として待ち望むといいのだそうです。
この方は、イエスによって、
私たちの願いを聞いてくださる方なのだそうですから。


 この方は、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑を私たちに適応し、
私たちの咎(とが)、背きの罪を、処罰済みとして、
見過ごしてくださり、
いつくしみを喜んで下さるのだそうですから(ミカ7:7~9、18~20)。

 「その日、
わたしは、ダビデの倒れている仮庵を起こし、
その破れを繕い、その廃墟を復興し、
昔の日のようにこれを建て直す。

 見よ。その日が来る。
山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、
すべての丘もこれを流す。
わたしはわたしの民イスラエルの繁栄を元どおりにする。
彼らは荒れた町々を建て直して住み、
ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、
果樹園を作って、その実を食べる。

 わたしは彼らを彼らの地に植える。
彼らは、わたしが与えたその土地から、もう引き抜かれることはない」
と天の神、主は、仰せられる(アモス9;11~15)のだそうですから。


この方は、私たちを恵み、
さらに豊かに恵もうと思っていてくださるのだそうですから。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

羽をもって私たちを覆い、翼の下にかばって

 神は羽をもってあなたを覆い、
翼の下にかばってくださる。
詩91:4

 もし神が私たちの味方であるならば、
だれが私たちに敵対できますか。
ロマ書8:31

 ヨハネ4:5~14(15~18)
 アモス書6:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/13;水)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
めんどりがひなを翼の下に覆うように私たちを覆い、
かばい、守ってくださるのだそうです。

 だから、だれも、この方に敵対して
私たちをこの方の羽の下から引きずり出し、奪う者はない、のだそうです。

 サタンが、私たちの「的外れ」のさまを
神の前に広げ、並べ立てて、
神の正義に訴えて、私たちを告訴し、
私たちの地獄行を求刑しても、

 人となられた神の御子、イエス
私たちの弁護人として立っていてくださり、
私たちの身代わりになって受けてくださった
ご自身の十字架刑での処刑を差し出し、
私たちへの処罰、処刑が終わっていることを立証してくださって、
サタンの告発を空しいものにしてくださるのだそうですから。

 そして、イエスは、この手続きを受け取った者に、
もう、決して渇くことのない、
受け入れる者のうちで泉となり、湧き出て(ヨハネ4:13~14)、
その腹から大きな川々となって流れ出る(ヨハネ7:37~38)という、
永遠のいのちへの水、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 この方は、受け入れる者を覆い、満たし、
受け入れる者の心に、〔父である神〕の御思いを置いてくださって、
私たちを〔父である神〕と一つ思いとしてくださり、
〔父である神〕のうちで成っている御思いが、
私たちそれぞれをとおして流れ出し、
実現していくようになさるのだそうです。

 かつて、天の神、主は、
自分の民ではないアッシリア帝国を用いて、
イスラエル王国の王たち、
象牙の寝台に横たわり、長いすに身を伸ばし、
群れのうちから小羊を、牛舎の中から子牛を取って食べ、
十弦の琴の音に合わせて即興の歌を作り、
ダビデのように新しい楽器を考え出し、
鉢から酒を飲み、最上の香油を身に塗り、
自分の力で領土を広げ、
災いを押しのけていると思っている人たち、
公義を毒に変え、
正義を苦よもぎに変えている人たちを、
捕らえ、引いて行ったのだそうです(アモス6:1~14)。

 しかし、私たちをとおして流れ出る御業は、
人々を祝福する(創世記12:2~3)もの、
天の御国での大宴会に人々を招く(ルカ14:21~23)もの、
なのだそうですから。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

見捨て、置き去りになさることはない、のだそうですから

 主よ、あなたは我々の中におられます。
我々は御名によって呼ばれています。
我々を見捨てないでください。
エレミヤ書14:9

 あなたがたは皆、
信仰により、
キリスト・イエスに結ばれて(在って、in Christ)
神の子なのです。
ガラテヤ書3:26

 出エジプト記2:11~15(16~22)23~25
 アモス書5:18~24(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/12;火)

 イエスは言われます。
「父よ。
あなたがわたしにおられ、
わたしがあなたにいるように、
彼らもわたしたちにおるようになるためです」(ヨハネ17:21新改訳)。

 イエスは、
私たちの身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。
 
 〔父である神〕は、
そのイエスが受けてくださった処刑を、
私たちの、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になり、
神にそむき、神に対立、対抗し、「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑したこと、死んだこととしてくださっているのだそうです。

 そのうえで、このことを受け入れた者に、
このイエスを通して、
もう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 それで、この方をお迎えし、
この方の内にいる者、
この方によって満たされ(覆われ、沈められ、漬け込まれ)ている者は、
この方と一つになっていらっしゃる
〔父である神〕、
〔御子である神、イエス・キリスト〕の中にいることになるようです。
神の子の身分を与えていただいた者として。

 それで、これを信用し、受け取った者は、
神の家族として、神の名をもって呼ばれるのだそうです。

 そして、
〔父である神〕、
〔御子である神、イエス・キリスト〕、
〔聖である霊〕と呼ばれる神が、
このことを受け取っている者たちを見捨て、
置き去りにされることはない、のですね。

 エジプトで、日干しレンガ造りの激しい労働や、
畑のあらゆる労働などを課され、
過酷な労役にうめき、わめき、叫ぶイスラエル人の
嘆きを聞かれ、ご覧になり、
御心を留められた(出エジプト1:12~14、2:23~25)ように。

それで、神である主は、
ご自分の家族となった者が、
また、自分の理性を神とし、
死亡手続きが終わっている
〔生まれたときからの私〕という霊による善悪の判断のままに、
外れ、さまよい出て、他の神々に心を寄せて行くとき、
これを放置し、行くままに任せることをせず、
懲らしめ、公義と正義に立ち返るよう、
促すこともなさるようですね(アモス5:18~24)。

 家出をし、放蕩三昧をして相続財産を使い果たしている
息子の帰りを待ちわびている父親(ルカ15:11~24)のように。
心を一つにする関係になろうと。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

呼び求めるすべての人に近く近くいまして、約束のことばを実行され

 主は、
主を呼ぶすべての人に近くいまし、
まことをもって呼ぶ人すべてに近くいます。
詩145:18

 信じて祈るならば、
求めるものは何でも得られる。
マタイ21:22

 箴言9:1~10
 アモス書5:1~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/11;月)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
ご自身を呼び求める人の近くにいてくださる方、なのですね。

 だから、海のかなた、地の果てに、
天の高い所、地の深い所に求めていかなくてもいい(ロマ10:6~)
ということでしょうか。

 この方に信頼し、この方のおことばのとおりを求めるなら、
それは、私たちには不可能と思えることでも、
この方は実現してくださる、のだそうです。
「山に向かって海に入れ」というようなことでも。

 だから、自分の知恵に頼まず、この方の知恵を求め、
この方の知恵によって事に当たるようにと、おっしゃるのですね。
「主を恐れる、畏敬することは知恵の初め、
聖なる、この方を知ることは悟り」(詩篇9:1~10)
なのだそうですから。

 私たちの身代わりとなり、
十字架刑での処刑を受けてくださり、
墓に葬られ、
三日目に死人のうちより新しい霊のからだに復活され、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、
雲に迎えられ、天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 そのイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
私たちに近く近くいてくださり、
私たちの心にも、
〔父である神〕の、
「主を求めて生きる」ように、
「善を求めて生きる」ように(アモス5:1~15)、
との思いも置いてくださるのだそうですから。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

疲れた者、重荷を負う者を休ませようと

 疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
マタイ11:28(6/10の週の聖句)

 天にいます神に向かって、
両手を上げ心も上げよう。
哀歌3:41

 目を覚まして感謝を込め、
ひたすら祈りなさい。
コロサイ書4:2

 ルカ14:(15)16~24
 詩36(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/10;Ⅱ日曜)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
疲れた者、重荷を負う者の重荷を
ご自身に負ってくださって、
私たちを休ませてくださる方なのですね。

 だから、休息をいただいて、
この方に向かって両手を上げ、
心も上げて感謝と賛美をささげ、
心に去来する一つ一つのこと、
そのすべてのことを申し上げ、
聞いていただき、見ていただき、知っていただくといいのだそうですね。

 そして、この方がどのように思っておられるのかを
聞いて行くことも。
少年サムエルのように
「主よ。お話しください。しもべは聞いております」(Ⅰサムエル3:9)、と。

 けれども、多くの人は、
招かれている、この天の神、主との関係に入ろうとはしないのだそうです。
盛大な宴会に招かれていながら、
いろいろ理由をつけて断った人たちのように。

 それで、天の神、主は、
町の大通りや路地に出かけて行って、
貧しい者や、からだの不自由な者、盲人や、足のなえた者たち、
街道や垣根のところに出かけて行って、
この家が、宴会の席が、いっぱいになるように
とおっしゃっておられるのだそうです(ルカ14:16~24)。

 御恵みによって、
ご自身の家の豊かさを、
楽しみの流れを、
私たちに、心ゆくまで飲んでほしい(詩篇36:8)と。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)