風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

信仰のないさまも、見守っていただきながら

 主は御自分の民の裁きを行ない、
僕らを力づけられる。
申命記32:36

 

 イエスの言葉:
言っておくが、
神は速やかに裁いてくださる。
しかし、人の子が来るとき、
果たして地上に信仰を見いだすだろうか。
ルカ18:8

 

 ヨハネ20:1~10
 ロマ書12:1~8(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/23;火)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
ご自分の民のために正しいさばきを行い、
力づけてくださるのだそうですね。
ご自分の民を憐れみ、かばって。
彼らの力が失せ去り、
未成年も成人した者も、
奴隷も自由の者もいなくなるのを見られるそのときに。


 神はすみやかにこのことをしてくださるのだそうです。
けれども、イエスは言われるのですね。
「人の子が(二度目に)来るとき、
地上にその信頼が見られるであろうか」と。

 

 ペテロやヨハネをはじめとするイエスの弟子たちは、
少なくとも、イエスが何度か、
ご自身が、祭司長、律法学者たちによって殺され、
三日目によみがえる、
と予告されたのを聞いていました(マタイ16:21、ルカ18:32~33)。


 けれども、弟子たちには理解できず、
信じられていなかったのですね。
エスが葬られた墓が空になっていることを見ても(ヨハネ20:1~10)。

 

 あの過ぎ越しの祭りの備えの日の金曜日の朝、
9時頃に十字架につけられ、
午後3時頃、「完了した」と言われて息を引き取られたイエス

 

 過ぎ越しの祭りと重なった大いなる安息日が始まる日没までにと、
時間がなく、急いで、
近くにあった、
アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に納められたのですが、

 

 三日目、日曜日の早朝、
マグダラのマリヤやほかのマリヤ達が墓に行ってみると墓は空で、
エスのからだはなかったのですね。
大の大人5~6人でないと動かせない大きな石のふたがされ、
ローマ帝国の封印がされ、

(おそらく、4人一組の)ローマ兵によって番をされていたにもかかわらず。

 

 死人の中から新しい霊のからだに復活したイエスは、
まず、泣いているマリヤに御自身を現わされ、
その後、40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰なさったのだそうです。

 

 そして、ご自身が受けられた十字架刑で処刑で、
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑されたもの、死んだものとしていただいたことを受け取った者に、
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 

 この方は、
受け入れる者のうちに来て、
その心に【父である神】の御思いを置いてくださるのだそうです
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 それで、受け入れる者は、
生まれたときからの自分に死に、
新しく【聖である霊】と呼ばれる方によって生きるように
していただけるのだそうです(ヨハネ3:1~8、ロマ6:11)。

 

 それで、受け入れる者は、
エスのように、
【父である神】と思いを同じくし、心を一つにして、
神がしようと思われることをしていくようにしていただけるのだそうです。

 

 自分を神にささげ、
心を一新していただき、
神が思われている分に応じて(ロマ12:1~8)。

神が見守っていてくださる中で。

今日も。

 

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一度、私たちの身代わりとなって死に、復活し、世々限りなく生きている方によって

 

 わたしは一度死んだが、
見よ、世々限りなく生きて、
死と陰府の鍵を持っている。黙示録1:18(4/21の週の聖句)

 

 災いだ、
土の器のかけらにすぎないのに、
自分の造り主と争う者は。
粘土が陶工に言うだろうか。
「何を造っているのか」などと。イザヤ書45:9

 

 キリストと結ばれる人はだれも、
新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、
新しいものが生じた。Ⅱコリント5:17

 

 マルコ16:1~8
 マタイ28:1~10(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/21;Ⅲ日曜 復活祭)

 

 終わりの日に、
国は国に向かって剣を上げず、
もはや戦うことを学ばない。イザヤ書2:24

 

 あなたがたに平和があるように。
父がわたしをお遣わしになったように、
わたしもあなたがたを遣わす。ヨハネ20:21

 

 ルカ24:13~35
 Ⅰコリント15:50~58
 マタイ28:11~20(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/22;月)

 

 一度死んだことがあり、
新しい霊のからだに復活し(マルコ16:1~8、マタイ28:1~10、ルカ24:13~35)、
世々限りなく生きている方、
死と陰府を支配しておられる方なのですね。イエスは。

 

 私たち、人間は、
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方によって、
土地のちりでからだを造られ、
いのちの息を吹き込まれて生きたものとなったもの(創世記2:7)、なのですね。

 

 それなのに、私たちは、
造られた方に向かって抗議するのですね。
「何を造るのか」とか、
「あなたの作った物には、手がついていない」などと。

 

 天の神、主は、
この「的外れ」になっていて、
滅びに向かって進む私たちをなお、惜しんでくださって、
最初の目的どおりに回復しようとされたのだそうです。

 

 イエスと合体させて、
エスが受けられた十字架刑で処刑が終わったもの、死んだものとし、



 墓に葬られ、
三日目の日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活されたイエスに合わせて
新しく生きる者としてくださるのだそうですから。

 

 さらに、天の【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して、
もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方が受け入れる者に来てくださって、
心に【父である神】の御思いを置いてくださり、
【父である神】と一つ心にしてくださって、
【父である神】の御思いで新しく生きる者にしてくださるのだそうですから。

 〔生まれたときからの私〕という霊は、
死んだもの、古いものとして過ぎ去らせて。

 

 そして、受け入れる者に平和を賜わり、
それぞれの場に派遣して。
「行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28:19)と。

 

 終わりのラッパが鳴り、
エスが二度目に来られる時、
私たちのからだは一瞬のうちに霊のからだに変えられ(Ⅰコリント15:51~52)、
雲の中に引き上げられ、
いつまでも
エスと一緒にいるようにしていただけるのだそうですから(Ⅰテサロニケ4:16~17)。

 

 だから、
私たちの労苦が無駄になることはないのですね。
この新しい1週間も。

 

 

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唯一の神、唯一の主

 聞け、イスラエルよ。
我らの神、主は唯一の主である。
申命記64

 

 永遠の命とは、
唯一のまことの神であられるあなた(父である神)と
あなたのお遣わしになった
イエス・キリストを知ることです。
ヨハネ17:3

 

 Ⅰペテロ3:18~22
 マタイ27:57~66(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/20;土)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方こそが、
私たちの神として信頼できる唯一の方だと
聖書は主張しているのですね。

 

 この方と、
この方が人間の世に派遣された、人となられた【御子である神】、
イエス・キリストを体験的に知る、
その具体的な交流の中で生きることが
永遠のいのちなのだそうですから。

 

 この方、イエスは、
私たち、すべての人間の「的外れ」の責任を負ってくださって、
十字架刑の処刑を受けてくださり、一度、死なれました。

私たちを【父である神】のみもとに導くために。

 

 死んで、アリマタヤのヨセフに引き取られ、
近くにあった
ヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られ(マタイ27:57~61)、
三日目に死人のうちから新しい霊のからだに復活したイエスは、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、天に上り(使徒1:3~7)、
【父である神】の右の座に復帰し、
御使いたち、および、
もろもろの権威、権力を従えておられるのだそうです(Ⅰペテロ3:18~22)。
私たちの唯一の主として。

今日も。

 

 

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悩みの地で、実り多い者に

 主はサムエルに言われた。
「容姿や背の高さに目を向けるな。
私は彼を退ける。
人は目に映ることを見るが、
主は心によって見る。」
サムエル記上16:7

 

 主は振り向いてペテロを見た。
ペトロは
「今日、鶏が鳴く前に、
あなたは三度わたしを知らないというだろう」
と言われた主の言葉を思い出して激しく泣いた。
ルカ22:61~62

 

 ヨハネ13:1~15、34~35
 Ⅰコリント11:(17~22)23~26(27~29、33~34a)
 マタイ27:31~44(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/18;木)


 神は、悩みの地で、
私に子孫を増やし、
実り多い者にしてくださった。創世記41:52

 

 十字架に掛けられた犯罪人の一人が
「イエスよ、
あなたが御国においでになる時には、
私を思い出してください」と言った。
エスは、
「はっきり言っておくが、
あなたは
今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
ルカ23:42~43

 ヨハネ19:16~30
 Ⅱコリント5:(14b~18)19~21
 マタイ27:45~56(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/19;金)


  天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちの外見ではなく、
心の内側を見ておられる方なのですね。

 

 ダビデの兄たちの
いかにも強そうな、立派な体格ではなく、
ダビデのご自身を慕う心を見ておられたように。

 

 そして、人の心を知る方は、
ペテロが取り返しのつかない大きな失敗、
エスのことを三度も知らないというようになることを知っておられ、
そのことが起こった時、
突然のことでペテロが絶望して、つぶれてしまわないようにと、
前もってそのことを告げ、
その時には、立ち帰れるようにと
ペテロの心を支え、
準備をしていてくださったようです。

 

 また、師であるイエスが、
自分から弟子たちの足を洗って、
互いに足を洗い合い、
失敗や至らないことを非難し、糾弾するのではなく、
支え合い、覆い合い、仕え合うようにと、
互いに愛し合うようになる模範を示してくださったのですね
(ヨハネ13:1~15、34~35)。

 

 私たちがパン(食物)を食べるとき、
食べたパン(食べた物)が私たちの身体の中にあり、
私たちの身体がパン(今まで食べた物)の中にある
(食べた物で身体はできているのですから)ように(ヨハネ6:48~58)、


 イエスのからだを食べ、
エスの血を飲むと表現されているように(Ⅰコリント11:23~26)、


 イエスが受けられた十字架刑での処刑(マタイ27:31~44)が
自分のためだったと受け取り、
そのイエスに合わせていただいて
〔生まれたときからの私〕という霊を処刑されたもの、
死んだものとしていただいた人は、

 

 三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスが派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
心に【父である神】の御思いを置いていただき
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)、


 心に【父である神】の御思いがあり、
【父である神】の御思いの中にその者の思いもある(ヨハネ17:21~22)
ようにしていただけるのだそうです。

 

 イエスが【父である神】と持っておられたのと同じ関係に。

 

 イエスの肉を食べ、イエスの血を飲むと表現されている、
エスと一体としていただいた者に。
そして、イエスと一緒に楽園(パラダイス)にいる者にも。

今日も。

 

 

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朝の、輝き出る太陽の光のように

 イスラエルの神は語り、
イスラエルの岩は私に告げられる。
神に従って人を治める者、
神を畏れて治める者は
太陽の輝き出る朝の光、
雲もない朝の光、
雨の後、地から若草を萌えださせる陽の光。
サムエル記下2334

 

 あなたがたは世の光である。
山の上にある町は、隠れることができない。
マタイ5:14

 

 ルカ22:1~6
 マタイ27:15~30(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句4/17;水)


 イスラエルの神、
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』 という者」と名乗られる方は、
語られるのですね。
ご自分の御思いを人の心に置いて。

 

 それで、その御思いに従って人を治める者、
神を畏れてその御思いのとおりに世を治める者は、
雲一つない大空に輝き出る朝の光のよう、
なのだそうです。

雨の後に、荒れ地から一斉に若草を萌えださせ、
一面の緑の野にする陽の光のように。

 

 イエスが受けてくださった十字架刑での処刑によって、
「的外れ」になっている〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済みのもの、死んだものとしていただき、

 三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちの見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰されたイエスが派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えし、

 この方によって【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父である神】と思いを同じくし、
心を一つにして生きる者、
【父である神】がしようと思われることを、
その御思いのとおりにしていく者は、
この世にあっても世の光として輝くのだそうです。

 

 山の上にある町が隠れることができないように、
覆われたり、妨げられたりすることなく。

 

 けれども、イエス
祭司長や宮の守衛長に銀貨30枚で売り渡したユダのように(ルカ22:1~6)、

あるいは、祭司長、長老たちの扇動に乗って、
エスを取り調べ、無罪放免にしようとするローマ総督ピラトに、
「十字架につけろ」と迫って
エスを十字架につけさせた群衆のように(マタイ27:15~30)、

サタンの思いが心に来ることもあるのですね。

 

 だから、心に来た思いを
何でも「神の御思いだ」と主張するのではなく、
その一つ一つを神の御前に差し出し、
見ていただき、知っていただきながら、
光の中の出来事としていただきながら(エペソ5:11~14)、
導きを求めていくといいのだそうです(ガラテヤ5:24~25)。

 

 天の神、主は、私たちを、
ご自身の御思いによって世を照らす光として、
輝き出る、太陽の朝の光のようにして、
用いようとしていてくださるのだそうですから。

今日も。

 

 

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私たちの愚かさ、罪過もよくご存じのゆえに

 神よ、
私の愚かさは、よくご存じです。
罪過もあなたには隠れもないことです。
詩69:6

 

 私たちを誘惑に遭わせず、
悪い者から救ってください。
マタイ6:13

 

 ヨブ記38:1~11
 ヨブ記42:1~6
 マタイ27:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/16;火)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちの愚かさ、数々の罪過をよくご存じなのですね。

 だから、イエスは弟子たちに教えて言われたのですね。
「私たちを誘惑に遭わせず、
悪い者から救ってください」と
【父】に願うようにと。

 

 私たちは、知識もなくて、摂理を覆い隠す者、
自分で悟りえない、知り得ない不思議を告げる者なのですね。

 

 それゆえに、
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちを当てにせず、
ご自身の側ですべてを用意し、
完成されたのですね。

 

 イエスが、ローマ総督ピラトの取り調べに対して、
ひとことも抗弁せず(マタイ27:11~14)、
私たちの「的外れ」の責任をご自身の身に負われて、
十字架の上で、完了した(すべてが終わった)」(ヨハネ19:30)
と言われて息を引き取られたときに。

 

 そして、三日目、日曜日の朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰され、
もう一人の助け主、
約束の【聖である霊】と呼ばれる方を派遣し、
この方によって弟子たちの心に
【父である神】の御思いを置かれ、
弟子たちが
【聖である霊】と呼ばれる方が語らせられるままに
話し出した(使徒2章)あのときに。

 

 【父である神】は、受け入れる者を
ご自身と思いを一つにし、
行動を一つにするようにしてくださるのだそうですから。

今日も。

 

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悲しみが、大きな喜びに変わって

 人の子も上げられなければならない。
それは、信じる者が
永遠の命を得るためである。
ヨハネ3:14、15(4/14の週の聖句)

 

 天にあるあなたの聖なる住まいから見下ろして、
あなたの民イスラエルを祝福してください。
申命記26~15

 

 主はそのしもべイスラエルを受け入れて、
憐れみをお忘れになりません。
ルカ1:54

 

 ヨハネ12:12~19
 詩69:17~37(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/14;Ⅱ日曜)

 

 あなたは再び私たちにいのちを得させ、
あなたによって、
喜び祝うようにしてくださらないのですか。
詩85:7

 イエスの言葉:
今はあなたがたも悲しんでいる。
しかし、わたしは再びあなたがたと会い、
あなたがたは心から喜ぶことになる。
その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。
ヨハネ16:22

 マタイ26:6~13
 マタイ26:69~75(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/15;月)

 

 天の神、主、
「『わたしはある(
I am)』という者」と名乗られる方は、
ご自分の民とされたイスラエルを、
そして、その、アブラハムの信頼に続く者となった私たちを
祝福しようとしていてくださる方なのですね。
憐れみをもって。

 

 それで、約束のとおりに
【御子である神】を「女の子孫」として、
ダビデの家系の処女マリヤの胎を通して
人の世に派遣されたのだそうです。

 

 その、人となられた【御子である神】
エスは言われました。
モーセが荒野で蛇を上げたように、
人の子もまた上げられなければなりません。
それは、信じる者がみな、
人の子にあって永遠の命を持つためです」と。

 

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛されているのだそうです。
御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つように(ヨハネ3:14~16新改訳)、
神との正しい関係の中で生きるように、と。


 この方は柔和な、優しい方。
その時のエルサレム入城にも、
軍馬に乗ってではなく、ろばに、
しかも、母ろばもいたのに、
まだ、人を乗せたことのない子ろばに乗って(ヨハネ12:12~16)。

 

 そして、詩篇69:19~21で歌われているように、
そしりと恥と侮辱とを受けられ、
同情者も、慰める者もなく、
十字架刑での渇きの中でも酢を飲まされて。

 

 そして、この方こそ、
イスラエルの栄光を取り戻してくださる方と期待していた、
その肝心な先生が捕らえられ
十字架刑で処刑されることになって、
悲しみと失望、落胆の中にいた弟子たちに
驚きの知らせが届いたのですね。
三日目の日曜日に。
「イエスはよみがえられた」との。

 

 そして、新しい霊のからだに復活されたイエスに出会い、
喜びに満たされて。

 

 40日にわたって何度も弟子たちに現れて
神の国のことを語ったイエスは、
オリーブ山で弟子たちの見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰されたのだそうです。

 

 そして、「わたしが去って行くことは、
あなたがたにとって益なのです。
それは、もしわたしが去って行かなければ、
助け主があなたがたのところに来ないからです。
しかし、もし行けば、
わたしは助け主をあなたがたに遣わします」(ヨハネ16:7)
と言っておられたとおりに、
10日後の五旬節(ペンテコステ)の日に、
もう一人の助け主(ヨハネ14:16)が
待ち望んでいた弟子たちに来てくださり、
弟子たちは、この方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いのままに語ることを
始めたのだそうですから(使徒2章)。

 

私たちにも。
今日も。

 

 

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