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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

心騒ぐなかにあって、動かない平安を

あなたたちは喜び祝いながら出で立ち、

  平和のうちに導かれて行く。イザヤ書55:12

 

 わたしは、平和をあなたがたに残し、

わたしの平和を与える。

 わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。

心を騒がせるな。

おびえるな。ヨハネ14:27

 

      (ローズンゲン日々の聖句6/28;火)

 

 世が与える平安、それは平穏無事による平安なのでしょうね。

けれども、イエスが「わたしの平安」と呼ばれる、イエスが与えてくださる平安は、どんな状況の中にあっても揺るがない平安なのだそうです。

 

 心騒がせる、恐れに満たされる、おびえるしかない状況の中にあって、なお、心の深みにある平安なのだそうです。

 

 これは、最後の晩餐と呼ばれる、イエスが弟子たちと共に過ごす最後の夕食の席、イエスは、今夜、捕らえられ、明日には十字架刑での処刑に向かっていかれる、その最後の夕食の席で弟子たちに語られた言葉なのだそうです。

 

 師と仰ぎ、この方こそ王として立ち、イスラエルダビデの王国を再建してくださる方、その時、自分たちもそれぞれ、ふさわしい立場を与えてもらえると考えていた男の弟子たち。

それなのに、そのイエスが捕らえられ、処刑されてしまう。

 

 その、驚天動地の中にあって、なお、心の奥底にある平安、それを与えるとイエスは言われるのですね。

 

 

 さらに、イエスは言われます。わたしは去っていくけれど、わたしが父のもとに帰ったら、わたしは父にお願いします。

そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです(ヨハネ14:16)。

 

 助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます(ヨハネ14:26)と。

 

 この方、「聖である霊」と呼ばれる方が来てくださるとき、受け入れる者は、どのような心騒ぎ、おびえる状況の中にあっても、この方が一緒にいてくださる平安、

この方によって、「父である神」と呼ばれる方が自分に対して思っておられる御思いが心に来て、「父である神」と一つ思いになっている平安がある者にしていただけるのだそうです。

 

 それで、この方と共に歩む者は、喜び祝いながら出で立ち、平和のうちに導かれていくのだそうです。

今日も。