風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

キリストの平和が、内にも、周りにも満ちて

主は、
あなたの国境に平和を置いてくださる。
詩147:14

 キリストの平和にあずからせるために、
あなたがたは召されて
一つのからだとされたのです。
コロサイ書3:15

 マタイ13:31~35
 申命記17:14~20(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句2/10;土)

天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
私たちの国境に、地境に平和を置いてくださる方なのだそうです。
私たちの家の門のかんぬきを強め、
その中にいる子らを祝福し、
最良の小麦で私たちを満たしてくださる方。

 〔御子である神〕、イエスの十字架刑での処刑と死者の中からの復活、
そして、そのイエスを通して来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
私たち自身の内面にも、周りとの関係においても
平和を与えてくださるのだそうです。

 ちょうど、からだにはいろいろな部分がありながら、
それぞれの部分が、自分の思いで、自分勝手に動くのではなく、
一つの人格によって、その思いのとおりに、一つのからだとして調和された動きをするように。

そして、イエスは、この出来事は、
イスラエル地方の「からし種」のようなものだと言われるのですね。
野菜の中で最も小さい、針の先でちょっと突いた跡くらいの大きさの種。
最初は、あるのか、ないのか、分からないような小さな出来事が、
そうこうしているうちに成長して、どの野菜よりも大きくなり、
空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどに大きくなる。
その「からし種」のようだと。

 また、「パン種」のようだと。
指の先一つまみのパン種、酵母菌が、
3サトン(39リットル)の小麦粉の全体を膨らませるようだ(マタイ13:31~33)、と。

 そして、モーセを通しても言われるのですね。
王(治世者)を立てるときは、神である主が選ばれた者を立てるように、と。
自分の思いで国を治めるのではなく、
天の神、主の御心を聞きながら、
主の御心のとおりに治める者を王(治世者)とするように、と。

 そして、王は、馬を多く増やしてはならない。
多くの妻をもってはならない。
自分のために金銀を非常に多く増やしてはならない。
聖書を通して神の御思いを学び、
高ぶることなく、これを行うなら、
長くその国を治めることが出来るから(申命記171420)、と。

 キリストの平和は、私たちの内にも来て、
成長し、ふくらみ、満ちあふれて流れ出し、
周りにも大きく影響していくようになるのだそうですね。
自分の内に、家庭に、地域社会に、国に、そして、世界へと。
天の神、主との対立、対抗ではなく、
御思いと一つに、調和していく在り方へ、と。
〔聖である霊〕と呼ばれる方は、働いておられるのだそうですから。
今日も。

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