風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神のことばをよりどころにして

あなたを畏れる人、
あなたの命令を守る人、
私はこのような人の友となります。
詩119:63

キリストの言葉が
あなたがたのうちに豊かに宿るようにしなさい。
知恵を尽くして
互いに教えなさい。
コロサイ書3:16

 

 ヤコブ書4:1~10
 サムエル記上11:1~15(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/14;木)

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方を愛する者、畏敬する者は、
この方の御思いが実現することを願うのですね。

 

 それで、私たちは、
人となられ、
私たちの身代わりとなって十字架刑の処刑を受け、
私たちのためにいのちをささげてくださった〔御子である神〕
イエス・キリストの言葉が豊かに宿るよう求め、
互いに教え合い、分かち合うのですね。


 イエスは、神の言(ことば)、
〔父である神〕の御思いの現れそのものであられる方なのですから。

 

 〔父である神〕は、
ご自身が「ねたむほどに愛し、慕っておられる方」(ヤコブ4:5)、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を、
エスを通して私たちに派遣し、
私たちのうちに住まわせてくださいました。

 

 そして、この方によって、
私たち一人一人に思っていてくださる御思いを
私たちの心に置き、書きしるしてくださって、
私たちがご自身と一つ思い、
一つ心になるようにしてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。
〔父である神〕の御思いが豊かに宿る者に。


 私たち、「的外れ」になっていて、
二心の者、
神の御思いが成るように願う心と
自分の思いを実現したいと思う思いで
心が割れている者です。

 

 心を単一にして、
自分の思いを実現したいなら、その思いだけ、
悲しいなら、悲しいだけ、
憂えているなら、憂えているだけ、
汚い思いなら、汚い思いだけに成り切って、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
その単一な、そのままの心で、
〔父である神〕の御前に出て行き、
その自分自身を差し出していくとき(ヤコブ4:6~10)、
私たちは御子イエスの十字架刑での処刑によって
処刑済みのもの、死んだものとしていただいていることが明らかになり、
いよいよ〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る神の御思いによって生きる、
新しく生きるようにしていただけるのだそうです。

 

 神のことばをにぎり、悪魔に立ち向かうなら、
悪魔、
私たちを誘惑し、神に告訴して私たちを罪に定めさせようとする者は
逃げ去るのだそうですから。

 

 聖書のことば、神の御思いをよりどころにして。
今日も。

 

 

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