風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

願いを聞いてくださる、わが救いの神

私は主を仰ぎ、
わが救いの神を待つ。
わが神は、私の願いを聞かれる。
ミカ書7:7

 

 希望は
私たちを欺
(あざむ)くことがありません。ロマ書5:5

 

 エゼキエル2:3~8a
 マタイ6:1~4(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/24;水)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方こそが、
私たちの願いを聞いてくださる方。

 

 だから、私たちはこの方を仰ぎ見、
この方を待ち望みます。
この方こそ私たちの希望、欺(あざむ)くことのない、
失望に終わることはない希望なのですから。

 

 

 【父である神】は、
私たちを愛し、大切に思い、
私たちといつも一緒にいて、
心が通い、思いを一つにしてともに生きる者にしようと
していてくださるのですから。

 

 【父である神】は、
【御子である方】を
「女の子孫」(創世記3:15)として、
人間イエスとして、
ガリラヤのナザレと言う町に住む、ダビデの家系のひとりの処女マリヤより、
ベツレヘムで生まれさせ、

 この方がおよそ33歳の頃、
私たちすべての人間の身代わりの、
ほふられる贖(あがな)いの小羊として立て、
この方を、神に背いた者、神に反逆し、神に呪われた者として
十字架刑で処刑されたのだそうですから。

 

 私たちの〔生まれたときからの私〕という霊、
【天の神】、【主】である方から、
「われわれのかたちとして、われわれににせて」と願われ、
この方と思いを一つにし、心を一つにして生きる者をと願われて造られていながら、

 

 その造られた場にとどまることを善しとしないで、
もっと優れた者、立派な者になろうとし、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
神に背く者、神の創造の目的から「的外れ」になってしまっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊。

 

 その私を処刑済み、死んだものとしてくださるために。

 

 そして、イエスは、

近くにあった
アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られたのですが、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の「父である神】の右の座に帰られたのだそうです。

 

 【父である神】は、
このイエスを通してもう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、
この方によって、ご自身の、私たち一人一人に思っておられる御思いを
受け入れる者の心に置いてくださり、
受け入れる者がご自身と思いを同じにし、
心を一つにして生きるようにしてくださる、と言うのですね。
「子」として、ご自身と栄光をともにする者にしようと。


 この、【神の霊】によって注がれている神の愛の中を生きる者にとって、
神の栄光にあずかるようにしていただける希望は
失望に終わることはない、というのですね。

 

 【父である神】の御思いの中を
生きるようにしていただけるのですから(エゼキエル2:3~8a)。

 

 人にほめられたくて、人の前を生きるのではなく、
【父である神】の御前で生きるように(マタイ6:1~4)、と。

今日も。

 

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