風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私の助け、私の必要を前もって準備していて下さる方に

私たちの助けは、
天地を造られた主の御名にある。
詩124:8

 

 あなたがたの父は、
願う前から、
あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
マタイ6:8

 

 申命記4:27~35(36~40)
 マタイ12:43~45(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/31;土)

 

私たちの助けは、この方にあるのですね。
この方は、私たち人間を創造するにあたって、
まず、その住まいとしてこの宇宙、この地球とその自然環境を創造し、
私たち人間が何不自由なく生きられるようにしたうえで、
最初の人アダムとエバエデンの園に置かれた方。
私たちの存在していくために必なものを前もって準備していてくださる方。

 

だから言われるのですね。
「さあ、あなたより前の過ぎ去った時代に尋ねてみるがよい。
神が地上に人を造られた日からこのかた、
天のこの果てからかの果てまでに、
これほど偉大なことが起こったであろうか。
きょう、あなたは、上は天、下はちにおいて、
主、「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られるこの方だけが神であり、
ほかに神はないことを知り、心に留めなさい。
その御心によって生きなさい(申命記4:32、39~40)、と。

 

 イエスは言われます。
「汚れた霊が人から出て行って、
水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
そこで、『出て来た自分の家に帰ろう』と言って、帰ってみると、
家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。
そこで、出かけて行って、
自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、
みな入り込んでそこに住みつくのです。
そうなると、その人の後の状態は、
初めよりもさらに悪くなります」(マタイ12:43~45)、と。

 

 私たち、自分を良くし、立派にしようと努力しますが、
きれいに掃除をし、片づけても、
もし、空き家のままであったなら、
このようなことになる、ということでしょうね。

 

 空き家にしないで、
私のうちに住むべき方、
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えしてほしいのだそうです。

 

 私に代わって十字架刑での処刑を受け、
「的外れ」になっている私の
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わっているもの、死んだものとしてくださり、

 

 墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰なさったイエス

 

 そのイエスが派遣してくださるこの方をお迎えし、
この方によって、
【父である神】の御思いを心に置いていただいて、
【父である神】と思いを一つにしながら歩んでいけるのだそうですから。

 

 空き家にしないで、
私たちの必要をご存じで、
助けようと準備していて下さる方と共に。

今日も。

 

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