風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

あの方の前に差し出すなら、光になるのですね。どんな暗闇のことも

あなたがたは

もはや、

外国人でも

寄留者でも

なく、

 

聖なる民に属する者、

神の家族で

ある。

エフェソ書2:19

(今週の聖句)

 

 

 

わたしは、

心の中で、

「主は

幸いをも、

災いをも

くだされない」と、

言っている者を

罰する。

ゼファニア書1:12

 

 

 

眠りについている者、

起きよ。

 

死者の中から

立ち上がれ。

 

そうすれば、

キリストは

あなたを照らされる。

エフェソ5:14...
    

 

(ローズンゲン日々の聖句8/3;日)

 

 

 

天の神、主と呼ばれている、

聖書が示している神も、

結局は、

私たちに

幸いを与えることも出来ないし、

災いを下すことも出来ない。

 

何にもできない神と

心の奥底では

思っているのですね。

私たち。


 

それは

暗闇の勢力、

あの者に属する思いなのですが、

 

その思いを

そのまま、

あの方の前に差し出し、

見ていただき、

知っていただくなら、

 

それは

明るみに引き出された出来事、

光りに照らされた出来事、

光りの出来事になるのだそうです。


隠していこうとする心が

暗闇に引き込まれること

になるのですね。

 

 

あの方が、

ただ、

正義をもって裁かれる方であるなら、

私たち、

怖くって、

逃げること、隠れることを

考えてしまうのですが、

 

天の神、主と呼ばれる

あの方は

正義と共に、

愛と憐れみに富んだ方でも

あるのだそうですね。

 

 

地獄直通の私たちを、

あの方は、

なお、惜しんで下さって、

 

誰から頼まれたわけでもないのに、

ご自身の側で、

一方的に、

正義を全うしながら、

私たちを救う道を

用意し、

 

創造の最初の目的のとおりに、

私たちを

御自身と心を一つにする者へと

回復して下さる道を、

プレゼントとして

差し出して下さっているのだそうです。

 

 

私たち、

かつては、

イスラエルの国籍のない外国人で、

 

もろもろの約束とも縁のない者、

神なく、望みなくさまよう者でしたが、

このプレゼントを

受け取りさえすれば、

聖なる民、

神の家族と

していただけるのだそうです。

 

 

イエスの十字架刑での処刑によって、

生まれた時からの私という霊は

処刑された者、

死んでしまっている者との

手続きを受け取って、

 

復活し、

天の神の右の座に就かれたイエスを通して

派遣していただける、

聖である霊と呼ばれる方をお迎えし、

 

この方が

私たちの心に

書き付けて下さる、

私を通してしようと思っていらっしゃる

御父の御思いに

ついて行き、

 

心を一つにする

あの方の家族としていただいていることを

確認する

一日でありたいですね。

 

今日も。

 

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