風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

出会って、一緒に生活してくださるのだそうですね。あの方。私たちと

心を尽くしてわたしを求めるなら、
 わたしに出会えるであろう、と主は言われる。
エレミヤ書29:13~14
イエスの言葉:
はっきり言っておくが、どんな願い事でもあれ、

 あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、
  わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
マタイ18:19    
      (ローズンゲン日々の聖句11/2;月)
 「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです」(ルカ10:42)とイエスはマルタに答えられたのだそうです。
何を求めるか、何を願うか、私たちのうちから出て来る願いとあの方が求めて欲しいと思っておられることとの間には大きな開きがあるのかもしれませんね。
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます」と言われていますが、「求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」と結ばれているのですから(ルカ11:9~13)。
 「神の一人のようになろうとし、善悪を知る者になっている私たち。自分の理性を最高のものとし、その判断に他を従わせようとする私たちは、互いに対立する存在であって、表面的にはともかく、心から願いを一つにすることはできない存在なのでしょうね。バベルの時のように(創世記11章)、天の神、主に逆らうことでは、すぐ一致するのでしょうが。
 だから、真に心を一つにして求めることができるのは、聖である霊と呼ばれる方によって、「父である神」と呼ばれる方の御思いを心に書き付けていただいた(エゼキエル36:27)部分において、ということなのでしょうね。
 聖である霊と呼ばれる方によって、天の神、主を求める思いを心に来させてくださり、この方との出会いの中で生活していかせてくださるのだそうですね。あの方は。
今日も。
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