風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

イエスを通して、私たちにしてくださる大いなる御業

大いなる主、
限りなく賛美される主、
大きな御業は究めることもできません。
詩145:3

 キリストの内には、
満ちあふれる神性が、
余すところなく、
見えるかたちをとって宿っており、
キリストはすべての支配や権威のかしらです
コロサイ書2:9~10

 ロマ書12:17~21
 エゼキエル書20:1~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句11/6;月)

 天の神、主、「『私はある』という者」と名乗られる方は、大いなる方。
大いに賛美されるべき方。
その大きな御業、偉大さは測り知ることのできない方。

 そして、イエスのうちには、この神のご性質が満ちあふれ、
私たちに見えるかたちをとって宿っているのだそうです。
すべての支配や権威のかしらとして。

 

 それで、私たちは、自分で復讐するよりも、
この方の怒りにお任せするほうが良いと知るのですね。
この方が「復讐はわたしのすることである。
わたしが報いをする」と言われているのだそうですから(ロマ12:19)。

 私たち自身である、私たちの〔生まれた時からの私〕という霊から出て来る思いは、
イスラエルの民と同じように、
天の神、主の御思いをないがしろにし、
従おうとも、行おうともせず、
自分の目の慕うものを神としていく者です(エゼキエル20:1~17)。

 けれども、私たちの身代わりになって
十字架刑での処刑を受けてくださった
エスを通して来て下さる
〔聖である霊〕と呼ばれる方が私たちの心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いは、
だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、
すべての人が良いと思うことを図る思い、
自分に関する限り、すべての人と平和を保つ思い、
もし敵が飢えたなら、彼に食べさせ、
渇いたなら、飲ませようと思う思いなのだそうです。

 悪に負けるのではなく、
かえって、善をもって悪に打ち勝つようにしてくださるのだそうですから(ロマ12:17~21)。
 今日も。

 

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