風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

望みがあるのだそうです。たとえ、詮方尽きたとしても

鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、
神の国にふさわしくない。
ルカ9:62(3/4の週の聖句)

 父母は私を見捨てようとも、
主は必ず、私を引き寄せてくださいます。
詩27:10

 私たちは、
四方から苦しめられても行き詰まらず、
途方に暮れても失望せず、
虐げられても見捨てられず、
打ち倒されても滅ぼされない。
Ⅱコリント4:8~9

 ルカ9:57~62
 詩35:17~28(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句3/4;Ⅰ日)

エスの一行が道を進んでいくと、
ある人がイエスに言ったのだそうです。
「私はあなたのおいでになる所なら、
どこにでもついて行きます」と。

するとイエスは彼に、
「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、
人の子には枕する所もありません」と言われました。

別の人が
「主よ。あなたに従います。
ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください」というと、
エスは彼に
「だれでも、手を鋤にかけてから、うしろを見る者は、
神の国にふさわしくありません」と言われたのだそうです。

 ダビデはうたっています。
「私を見放さないでください。
見捨てないでください。
私の救いの神。
私の父、私の母が、私を見捨てるときは、
天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方が、
私を取り上げてくださる(詩篇27:9~10新改訳)、と。

 だから、使徒パウロが言うように、
「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはなく、
途方にくれていますが、行きづまることはなく、
虐げられ、迫害されていますが、見捨てられることはなく、
倒されますが、滅びない」(Ⅱコリント4:8~9新改訳)のですね。

 天の神、主は、奮い立ってくださって、
ご自身の義に従って、私たちを弁護してくださり、
私たちを訴える者が、
私たちのことで喜ぶことがないようにしてくださるのだそうですから(詩篇35:23~24)。

後ろを振り向くことなく、
この方の御思いの中へと。
 この新しい週も。

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jp)

 

 

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