風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

ひとことの抗弁もせず

苦役を課せられて、かがみ込み、
彼は口を開かなかった。
ほふり場に引かれる小羊のように、
毛を刈る者の前にものを言わない羊のように。
イザヤ書53:7

 はっきり言っておく、
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
ヨハネ12:24

 ガラテヤ6:(11~13)14~18
 ヨハネ13:21~30(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句3/10;土)

 その方、イエスは、捕らえられ、不当な裁判にかけられたのですが、
捕らえられるときにも、逃げようとせず、
裁判の時も、ひとことも、自分の無罪を訴えて抗弁することをせず、
頭をたたかれ、つばきをはきかけられ、あざけられても、
それをそのまま、静かに受けておられたのだそうです。
ほふり場に引かれていく小羊のように。

ご自身が、弟子たちに話しておられたのだそうですから。
一粒の麦は地に落ちて死ぬことで、多くの実を結ぶようになる。
そのように、自分は死ぬことになる、と。

 そして、イエスは、
12弟子たちとの最後となった過ぎ越しの食事の席で、
いよいよ、その時が迫っていることを感じられ、
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。
あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります」と言われ、

また、イスカリオテのユダ
「あなたがしようとしていることを、今すぐにしなさい」と言われたのだそうです。

そして、ユダは、外の、夜の暗闇に出て行き(ヨハネ13:21~30)、
祭司長たちのところに行って、
銀貨30枚でイエスを売り渡したのだそうです(マタイ26:14~16、27:3~10)。

 〔父である神〕は、このように、
エスが自分から進んで、
ほふり場に引かれていく小羊のように、
一粒の麦が地に落ちて死ぬように、
十字架刑での処刑を受けてくださった、
その処刑に、私たちを合わせてくださって、
世界は私に対して十字架につけられ処刑された関係、
私も世界に対して十字架につけられ処刑された、
死んだ関係としていてくださるのだそうです。

 

 そして、受け入れる者に
新しい創造をしてくださるのだそうです(ガラテヤ
61415)。

このイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
私たちの心に、
ご自身が私たち一人一人に対して持っておられる御思いを置いてくださり、
受け入れる者が、ご自身と思いを同じくし、心を一つにして、
ご自身がしようと思われることをしていく者にしてくださる。

〔聖である霊〕と呼ばれる方によって新しく生まれた者(ヨハネ3:1~8)、
新しい契約に生きる者に(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ガラテヤ5:24~25)、と。

今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)



[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]

 

<ahref="https://www.blogmura.com/point/00697809.html" >

<img src="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/></a>