風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

後ろを忘れ、しっかりと目当てに目を向けて

 手を鋤(すき)にかけてから
後ろを顧みる者は、
神の国にふさわしくない。
ルカ9:62(3/24の週の聖句)

 

 わが主よ、
私は責めさいなまれています。
どうか私の保証人となってください。
イザヤ書36:14

 

 イエスはペテロの家に行き、
その姑
(しゅうとめ)が熱を出して寝込んでいるのをご覧になった。
エスがその手に触れられると、
熱は去り、
姑は起き上がってイエスをもてなした。
マタイ8:14~15

 

 ルカ9:57~62
 詩34(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/24;Ⅳ日曜)

 
 鋤(すき)で、これから畑を耕そうとしている時、
後ろを振り向くと、まっすぐ進めないのですね。
畝(うね)作りをしている時だと畝(うね)が曲がってしまう。

 

 神の国のために働くために
エスに呼び出された時、
この世のこと、今までのことに思いを向けていては、
神の国のために充分な働きをすることができない、ということでしょうか。

 

 兵士が、出て来た家のことばかり考えていては、
司令官が望むような働きをすることができないように。

 

 私たちが、
人からもそうですが、
自分自身でも、
自分を責めさいなんでいるとき、
自分で自分をしいたげているときも、
神の国のために充分な働きをすることができない、
また、神の国の喜びを味わうことができないのでしょうね。

あるいは、大きな病にあっても。

 

 それで、イエスは、
私たちを責め立てる律法の縄目、
良心の呵責から私たちを解放しようとしてくださっているのですね。

 

 ご自身が、人となって、人の世に来られ、
私たちの身代わりとなって、
私たちが問われるべき責任のすべてをご自身に背負って
十字架刑での処刑を受けてくださり、
私たちが受けるはずの処罰、処刑が終わったもの、
私たちが死んでしまっていて、
処罰によって律法の要求を満たしているものと
してくださるのだそうですから。

良心の呵責、罪責感、劣等感から解放して。

 

 また、ペテロの姑(しゅうとめ)をいやして、
一行をもてなすことができるようにしてくださったように、
必要であれば、病もいやしてくださって。
神の御心のとおりに働けるようにと。

 

 

 それで、私たちもダビデのように歌いながら進むのですね。
私はあらゆる時に主をほめたたえる。
私の口には、いつも、主への賛美がある。
私のたましいは主、
「『私はある(I am)』という者」と名乗られる方を誇る。
貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
私と共に主、
「『私はある(I am)』という者」と名乗られる方をほめよ。
共に、御名をあがめよう。
私が主に求めると、主は答えてくださった。
私をすべての恐怖から救い出してくださった。
彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。
「彼らの顔をはずかしめないでください。」
この悩む者が呼ばわったとき、
主は聞かれた。
こうして、主はすべての苦しみから彼を救われた。
主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、
彼らを助け出される。
主、「『私はある(I am)』という者」と名乗られる方の
素晴らしさを味わい、
これを見つめよ。
幸いなことよ。
彼に身を避ける者は。

主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、
霊の砕かれたものを救われる。
正しい者は悩みが多い。
しかし、主はそのすべてから彼を救い出される
詩篇34、1~8、18~19新改訳)、と。

この新しい週も。

 

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