風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

喜び、賛美の叫び声をあげて

 主に向かって喜び歌おう。
救いの岩に向かって
喜びの叫びを上げよう。
詩95:1

 

 使徒たちは
毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、
家ごとに集まってパンを裂き、
喜びと真心をもって一緒に食事をし、
神を賛美していたので、
民衆全体から好意を寄せられた。
使徒2:46~47

 

 ルカ18:1~8
 サムエル下23:1~7(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句5/28;火)


 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、
エスは彼らにたとえを話されたのだそうです。
「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
その町に、ひとりのやもめがいたが、
彼のところにやって来ては、
『私の相手をさばいて、私を守ってください』と言っていた。
彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに
『私は神を恐れず人を人とも思わないが、
どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、
この女のために裁判をしてやることにしよう。
でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」

 

 主は言われた。
「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。
まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のために
さばきをつけないで、
いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。

あなたがたに言いますが、
神はすみやかに彼らのために正しい裁判をしてくださいます。
しかし、人の子が来たとき、
はたして地上に信仰が見られるでしょうか」(ルカ18:1~8新改訳)、と。

 

 私たち人間は、やがて、
生きている者も死んだものも、

大きな白い御座と、そこに着座しておられる方の御前に立って、
自分の行いに応じてさばきを受ける時が来るのだそうです(黙示録20:11~12)。

 

 けれども、イエスが受けてくださった十字架刑での処刑を、
私の処刑としていただき、
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑されたもの、死んだものとしていただいている者は、

 

 そして、墓に葬られ、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の【父である神】の右の座に復帰されたイエスが派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えし、
この方が心に置いてくださる【父である神】の御思いを受け取り、
【父である神】と思いを同じくし、心を一つにして、この地上の人生を歩む者は、
「いのちの書」に名が記されてり、
このさばきを過ぎ越して、
新しい天と新しい地(黙示録21:1~4)とを受け継ぐようにしていただけるのだそうです。

 

 イエスによって完了された(ヨハネ19:30)この出来事をもらった人々は、
この救いの岩に向かって喜びの叫びをあげ、喜び歌うのですね。

 

 イエスの弟子たちが、毎日ひたすら心を一つにして
エルサレムの宮に集まり、
家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、
すべての民に好意を持たれていたように。

 

 イエスが心配しておられたように、
このイエスを通り過ごして別の教えに行くことをしないで、
ダビデが、「【主】の霊は、私を通して語り、そのことばは、私の舌の上にある。
イスラエルの神は仰せられた。
『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、太陽の上る朝の光、
雲一つない朝の光のようだ。
雨の後に、地の若草を照らすようだ。』
まことにわが家は、このように神とともにある。
とこしえの契約が私に立てられているからだ。
このすべては備えられ、また守られる。
まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる」と歌っているように、
私たちも喜びの叫びをあげて。

今日も。

 

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