風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

頼るべき砦、信頼できる方を避け所として

主を畏れる人々は
頼るべき砦を得る。
箴言14:26

 

 私は
自分が信頼している方を知っており、
私にゆだねられているものを、
その方が
かの日まで守ることがおできになると
確信しています。
Ⅱテモテ1:12

 

 歴代誌上29:9~18
 マタイ18:15~20(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句9/26;木)

 

 主を畏れ、信頼することは、
頼りになる砦、避け所を得ることなのですね。

 

 私たちも、自分が信頼している方を知っており、
その方は、私たちにゆだねてくださっているものを、
かの日まで守ってくださる方なのですから。

 

 この方はとこしえからとこしえまでほめたたえられる方。
偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とは、
天にあるものも地にあるものも、
この方のもの。

 この方は、すべてのものの上に、
かしらとしてあがむべき方。
富と誉れは御前から出ます。
すべてのものの支配者であられ、
御手には勢いと力があり、
この方の御手によって、
すべてが偉大にされ、力づけられます。

 

 すべてはこの方から出たものであり、
私たちがこの方に何かをささげたとしても、
それはこの方から出たもの、
この方の御手から出たものをささげたに過ぎないのですね(Ⅰ歴代誌29:10~16)。

 

 【父である神】は、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている」(創世記3:5、22)
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスが受けられた十字架刑での処刑に合体させて、
処刑が終わっているもの、
死んだものとしてくださっているのだそうです。

 そして受け入れる者に、
もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方によって私たちの心に、
ご自身の御思いを置いてくださるのだそうです。

 

 それで受け入れる者は、
自分の〔生まれたときからの私〕という霊から出て来た思いは、
死んだものから出て来た思いであると認め、
これを神の御前にかなぐり捨てながら、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いによって生きるようにしていただけるのだそうです。

 

 それで、私たちは、
【父である神】の御思いのとおりに、
天で、【父である神】の御思いの中でつながれていることを
地上でつなぎ、
天で、【父である神】の御思いの中で解かれていることを
地上で解く者としていただけるのですね。

 

 ふたり、三人ででも、イエスの名によって祈るとき、
唱え文句で
「イエスの御名によって祈ります」と言えばいいということではなく、
この、【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いの中で成っていることを祈る、
ということのようですね(マタイ18:15~20)。

 

 イエスご自身が、
自分からは何事もせず、話さず、
ただ、【父である神】がしようとされることをし、
【父である神】が話されることを話しておられた方(ヨハネ6:38、12:50)。

 

 「イエスの御名によって祈る」とは、
そのイエス代理人として祈る、ということでしょうから。

 

 すべては【父である神】の御思いから出ているのですから。
私たちもこの方に信頼し、
この方を避け所として。
今日も。

 

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