風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

思われる通りを実現することができる方が

主よ、
あなたがいやしてくださるなら、
私はいやされます。
エレミヤ書17:14(10/27の週の聖句)

 

 主は貧しくし、また富ませ、
低くし、また高めてくださる。
サムエル記上2:7

 

 私たちは、
いつもイエスの死を体にまとっています、
エスの命がこの体に現れるためです。
Ⅱコリント4:10

 

 マルコ2:1~12
 詩22:1~22(通読箇所)
  (ローズンゲン『日々の聖句』10/27;Ⅳ日曜)

 

 天の神、【主】は、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方、
あろうと思われるとおりにあることができる方。

 

 治療の方法のない不治の病も、いやし難い傷も、
この方がいやそうと思われれば、その「お心ひとつで」(マタイ8:2)、
私たちはいやしていただけるのですね。

 

 この方が、私たちを
貧しくしようと思われれば私たちは貧しくなり、
富ませようと思われれば富み、
低くしようと思われれば低くなり、
高くしようと思われれば高くなるのだそうですから。

 

 この方の、この世界の始まる前からの御思い、ご計画のとおりに、
私たちはイエスの死を体にまとう、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を
エスの十字架刑での処刑に合体させていただいて死んだものとし、
 

 イエスの命がこの体に現れる、
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
ご自分がからだをもって確かに生きていることをみせたうえで、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰なさったイエスが派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父である神】と思いを一つにしながら生きる、
その命の現れをこの体にいただいて生きる者にもしていただけるのだそうです。

 

 イエスが、
4人の人に運ばれて来た瀕死の重症の中風の人に、
「あなたの罪(的外れ)は赦された」と言われ、
「あなたに言う。起なさい。
(自分が運ばれてきた)寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われれば、
その人は起き上がり、
すぐに床(とこ)を取り上げて、
皆の見ている前を出て行ったのだそうです(マルコ2:1~12)。

 

 イエスは、「神に見捨てられた者」(詩篇22:1、マタイ27:46)となり、
「彼は神により頼んでいる。
もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。
『わたしは神の子だ』と言っているのだから」と、
人のそしり、民のさげすみ、あざけりを受けられ(詩篇22:6~8、マタイ27:43)、

十字架刑での渇きのため舌が上あごにくっつき、
あばら骨が数えられるようなめに遭われたのですね。
また、死刑を執行したローマ兵たちは
エスの着物を分け合い、下着はくじ引きにしたのだそうです(詩篇22:15~18、ヨハネ19:23)。
【父である神】のお心のとおりに。

 

 私たちも、いやされ、富む者とされ、高くされ、
エスの命がこの体に現れるようにしていただけるのですね。

この新しい週も。

 

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