風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

より羊飼いが、自分の羊を導くように

主は私の羊飼い、
私には何も欠けることがない。
詩23:1

 

 パウロの手紙:
私たちは、
あらゆる場合に
神に仕える者として
その実を示しています。
悲しんでいるようで、常に喜び、
貧しいようで、多くの人を富ませ、
無一物のようで、すべての者を所有しています。
Ⅱコリント6:4、10

 

 黙示録20:11~15
 マタイ25:31~46(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句11/23;土・祝)

                                                      

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方が、
私たちを、
羊飼いが羊を扱うようにしていてくださるのですね。

緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われ、
私たちのたましいを生き返らせ、
御名のために、私たちを義の道に導いて。

 

 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私たちは、災いを恐れなくていいのだそうです。
この方が私たちとともにいて下さるので。

 

 この方は私たちをむちと杖で慰めてくださり、
私たちの敵の前で、私たちのために食事をととのえ、
私たちの頭に油を注いでくださり、
私たちの杯をあふれさせてくださるのですから。

 

 私たちのいのちの日の限り、
この方のいつくしみと恵みとが、私たちを追って来て、
私たちをいつまでも、
この方の家に住まうようにしてくださるのだそうですから。

 

 それで私たちは、この方によって、
悲しんでいるようで、いつも喜んでおり、
貧しいようでも、多くの人を富ませ、
何も持たないようで、すべてのものを持っていることになるのだそうです。

 

 世の終わりに、
すべての人がこの方の大きな白い御座の前に立ち、
自分の行いに応じてさばかれるときにも、
エスが十字架刑での処刑を受けて完了してくださった
(あがな)(買い戻し)の御業によって
「いのちの書」に名が記されている者としていただいて(黙示録20:11~15)。

 

 【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いによって、
空腹である人に食べ物を与え、
渇いている人に飲ませ、
旅人に宿を貸し、
裸の人に着る物を与え、
病気の人を見舞い、
牢にいる人をたずねて。 

 

 御国を継ぐ者として
永遠のいのちの中へと(マタイ25:31~46)。

 

私の羊飼いとなっていてくださる方によって、
今日も。

 

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