風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

後のものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって

あなたは
命に道を教えてくださいます。
詩16:11

 

 私は、
後のものを忘れ、
前のものに全身を向けて進みます。
フィリピ書3:13

 

 Ⅰペㇳロ1:13~21
 イザヤ書40:12~25(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句11/26;火)

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちに命の道を教えてくださる方。

私たちは、この方から与えられているそれを得るために、
後のもの、〔生まれたときからの私〕のものを忘れ、
前のもの、【聖である霊】と呼ばれる方によって現れるものに向かって
全身を向けて進むのですね。

 

 心を引き締め、身を慎み、
エスが二度目に来られるとき
私たちにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望んで。
 

 従順な子どもとして、
以前の、無知であったときのさまざまな欲望に従わず、
召してくださった聖なる方にならって、
あらゆる行いにおいて聖なるものとされるようにと。
「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない」と
書かれてあるように。
この地上にとどまっているしばらくの間を恐れかしこんで。

 

 私たちは、傷も汚(けが)れもない小羊のような
エス尊い血によって、
先祖伝来のむなしい生き方から贖(あがな)い出され、
エスを死者の中からよみがえらせて、
天の、ご自身の右の座に復帰させられた神に信頼する者と
していただいているのですから(Ⅰペテロ1:13~21)。


 この方は、手のひらで水を量り、
手の幅で天を推し量り、
地のちりを枡で量り、
御思いのとおりにこの天地を創造された方。

 

 だから、言われるのですね。
だれが【主】の霊を推し量り、主の顧問として教えたのか。
主はだれと相談して悟りを得られたのか。
だれが公正の道筋を主に教えて、
知識を授け、英知の道を知らせたのか。

 

 見よ。国々は、手おけの一しずく、
はかりの上のごみのように見なされる。

すべての国々も主の前ではないに等しく、
主にとっては、
むなしく形もないものとみなされる。
 

 あなたがたは、神をだれになぞらえ、
神をどんな似姿(にすがた)に似せようとするのか。
 あなたがたは知らないのか。聞かないのか。


 あなたがたは知らないのか。聞かないのか。
初めから、告げられなかったのか。
地の基がどうして置かれたかを悟らなかったのか。
主はちをおおう天蓋(てんがい)の上に住まわれる。

地の住民はいなごのようだ。
主は天を薄絹のように延べ、
これを天幕のように広げて住まわれる。
君主たちを無に帰し、
地のさばきつかさをむなしいものにされる。
彼らが、やっと植えられ、やっと蒔かれ、
やっと地に根を張ろうとするとき、
主はそれに風を吹き付け、彼らは枯れる。
暴風がそれを、わらのように散らす。
「それなのに、わたしを、だれになぞらえ、
だれと比べようとするのか」、と。

 

私たちも
うしろのものを忘れ、前のものに向かって、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださるこの方の御思いの中を。
今日も。

 

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