風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神の救いが、イエスによって実現して

わたしの正義は近く、
わたしの救いは現れ、
わたしの腕は諸国の民を裁く。
イザヤ書51:5

 

私たちの主
イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。

神は豊かな憐れみにより、
私たちを新たに生まれさせ、
死者の中からのキリストの復活によって、
生き生きとした希望を与えてくださった。
Ⅰペテロ1:3

 

 ヨハネ20:1~10
 Ⅰコリント15:1~11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/14;火)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、言われます。
「わたしの正義は近く、わたしの救いは現れた」、と。

 

 【父である神】は、
エスが受けられた十字架刑での死と、
エスが死者の中からの復活されたことによって、
私たちを新しく生まれた者としてくださり、
私たちに
生き生きとした希望を与えてくださっている、というのですね。

 

 それで、私たちはこの方を待ち望み、この方に期待をかけます。

 

 あの、イエスが十字架刑での死を遂げられた日の次の、
週の初めの日、日曜日の朝早く、
マグダラのマリア、ほか数人の女性たちが
エスが納められた墓にやって来たのだそうです。
 

 墓に来てみると、
墓の入り口に蓋をしていた大きな石が取り除けられていたのだそうです。

それで、シモン・ペテロやほかの弟子たちのところに行って報告したのですね。
「だれかが墓から主、イエスを取って行きました。
どこに主を置いたのか、私たちにはわかりません」、と。

 

 そこで、走って墓に行ったペテロともう一人の弟子、ヨハネは、
そこにイエスのからだはなく、
エスのからだを包んでいた亜麻布が置いてあるのを見たのだそうです。
エスの頭を包んでいた布は、亜麻布とは一緒にはなく、
離れた所に丸めてあって。

 

 けれども、彼らは、
エスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書の言葉が、今、ここで起こっているということを、そのときには理解できなかったのだそうです。(ヨハネ20:1~10) 


 使徒パウロは言います。
「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、
私も受けたことであって、次のことです。
エスは、聖書に書いてあるとおりに、
私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、
また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、

また、ケファ(岩のヘブル語。ギリシャ語ではペテロ)に現れ、
それから12弟子に現れたことです。
その後、イエスは500人以上の兄弟たちに同時に現れました。
その中にはすでに眠った人たちも何人かいますが、
大多数は今なお生き残っています。
その後、イエスヤコブ(イエスの弟、イエスが気が変になったと取り押さえに来たことがあった)に現れ、
それからすべての使徒たちに現れました。
そして、最後に、月足らずで生まれた者のような私にも
現れてくださいました」(Ⅰコリント15:3~8)、と。

 

 私たちは、
この、イエスが受けられた十字架刑での処刑によって、
「的外れ」になっている私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を処罰が終わっているもの、死んだものとしていただき、
三日目、死人の中から復活し、
天の、【父である神】の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる

【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父である神】と思いを一つにして生きるようにしていただけるのですね。

 

 そして、やがて、イエスと同じような新しいからだ、復活のからだを与えていただいて、
新しい御国を相続し、神の御前で生きる者とも。

 

 その希望、
そのことが私の身に実現することを待ち望みながら。
今日も。

 

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