風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神のいつくしみの中にとどまり続けて

神よ、
あなたの慈しみは
命にもまさる恵みです。
詩63:4

 

私たちは、
私たちに対する神の愛を知り、
また信じています。
神は愛です。
愛にとどまる人は、神の内にとどまり、
神もその人の内に
とどまってくださいます。
Ⅰヨハネ4:16

 

 黙示録20:11~15
 Ⅱペトロ1:12~21(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句11/21;土)

 


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちを、
いのちにもまさる恵みでもって
慈しんでいてくださるのだそうですね。

 

 それで、その神の愛を体験し、知ったものは、
この方に信頼し、その愛を受け続けていきます。
 

 神の、その愛の御思いの中にとどまり、
神御自身もその人の内にとどまってくださって。

 

 

 今のこの世はやがて終わる時が来るのだそうです。
その時、この宇宙、地と天は
跡形もなく消え去るのだそうです。

 

 そして、死んだ多くの人々、
その時まで地上で生きて来たすべて人のが、
この方の御座の前に立つことになり、
私たちの、地上で生きていた間にした
すべての行いが記されている数々の書物が開かれ、
その記録にしたがって裁かれることになるのだそうです。
それぞれ、各自のした行いに応じて。

 

 そして、この神の御愛を受け入れ、
いのちの書に名の記されている人は、
永遠の御国に入り、
名を記されていない人はみな、
火の池に投げ込まれることになるのだそうです。
 

 イエスによって実現した神のいつくしみ、
その愛による救いを受け取らず、無視して、
自分の行いの責任は自分で取る道を歩んだ人たちは。

 

 それで、ペテロも書き残しているのですね。
神のいつくしみ、愛によって、
恵みとして差し出してくださっている、
救い主、イエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを
いつも思い起こし、その恵みにとどまっているように、と。
 

 聖書に記されているイエスがこの世に来られたことと
その力ある御業は、
弟子たちが考え出した巧みな作り話ではなく、
ペテロたちが、3年半、イエスとともにいて目撃し、
体験したことだというのですから。

 

 イエスが高い山に上られたとき、
「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。
彼の言うことを聞け」(マタイ17:1~8)との、
天からの厳かな声を聞いたことも。

 

 だから、夜が明けて、
明けの明星が私たちの心に昇るまでは、
暗いところを照らすともしびとして、
これらの確かな預言のことばに目を留めているように、と。(Ⅱペテロ1:12~21)

 

 この方のいつくしみ、
その御愛の中にとどまり続けて。

今日も。

 

 

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