風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

平安の中で眠り、希望の中で起きられるように、と

身を横たえて眠り、
私はまた、目を覚ます。
主が支えてくださいます。
詩3:6

 

はっきり言っておく。
子どものように
神の国を受け入れる人でなければ、
決してそこに入ることはできない。
マルコ10:15

 

 イザヤ7:10~14
 ルカ1:57~66(通読箇所)  
   (ローズンゲン日々の聖句12/23;水)

 


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が、
私を支えてくださる方。
 

 それで私は、安心して眠り、
また、希望をもって起き上がることができます。
小さい子どもが親の世話をそのまま受け入れているように、
私たちがこの方のなさることをそのまま受け入れることが、
神の国、この方の統治の中に身を置くことになるようです。

 

 ユダの王アハズがのとき、隣国が今にも攻め登って来用としていたのだそうです。

その時、神である主は、そのことは決して起こらないと言われ、
また、そのしるしを求めよと言われたのですが、
アハズ王は、「私はそれを求めて、主を試みることはしません」と
答えたのだそうです。

 

 「主を試みてはならない」という律法の教えによる自分の信仰が、
神から直接「しるしを求めよ」と言われたことよりも優先していた、
ということでしょうか。

 

 こういう、自分の信仰、自分の考えを
神の御思いよりも先だてる大人びた心が、
神の国を拒否することになるようです。
幼な子ではなく、大人びた心に。

 

 そのような、自分の理性の判断で神を受け入れようとしない私たちに、
神御自身のほうで、一つのしるしを与えてくださったのだそうです。

 

 「処女がみごもり、男の子を産む。
その名はインマヌエル(神が共にいてくださる)と呼ばれる」(イザヤ7:10~14))との。
 

 天の神、主が私たちを救ってくださるしるしとして、
神御自身が立ててくださったしるし。

 

 確かに、イエスは、
「女の子孫」として(創世記3:15)、処女マリアから生まれ、
「インマヌエル」という名で呼ばれた方なのだそうです。

 

 【父である神】は、この方、イエスによって
私たちを救おうと計画しておられるのだそうです。

 

 御自身の支えの中で、
私たちが安心して伏し、

また、安心して起きられるようにしようと。
今日も。



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