風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

仰せのとおりに生きてみたいですね。あの方の。

私は迷い出て、ついに卑しめられました。
 今からは、あなたの仰せを守らせてください。
詩編119:67
サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、
 突然、天からの光が彼の周りを照らした。

 サウロは血に倒れ、
 「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と
  呼びかける声を聞いた。
使徒9:3〜4
      (ローズンゲン日々の聖句9/28;月)
 親の言うことを聞かず、そむいて家出をした息子のように、主のもとから迷い出た者も、苦しみに会い、卑しめられるとき、親のもとに帰り、親の言うことに、親の思いに思いを寄せるようにもなるのでしょうか。
親は切なる思いで子どもの帰りを待ちわびているのですから。
 イエスを信じる者をことごとく捕えて、根絶やしにすることこそ神に仕える道だと信じて、シリアのダマスコにまで、殺害の息をはずませ出かけて行ったサウロを、突然、天からの光が包み、地に倒れたのだそうです。
 そして、目が見えなくなったサウロに、このような天からの声がしたのだそうです。
 そして、さらに「わたしはあなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです」と。
 イエスは、そのサウルのもとに、ダマスコにいたアナニヤという人を遣わされたのですが、パウロが何をしにダマスコニ来たのかを知っていて、躊躇するアナニヤに、イエスは言われたのだそうです。
「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです」と。
 こうして、イエスは、迫害者サウルをひっくり返し、イエスの使徒とし、地中海世界にイエスによる「喜びの知らせ」を伝える大伝道者パウロされたのだそうです。
 イエスが十字架に架かられるためにエルサレム入城されるとき、イエスは軍馬にではなく、王として、ロバに、それも、荷物を運ぶロバに、それもまだ人を乗せたことのないロバの子に乗られたのだそうです。
 主のもとから迷い出てしまった私たちも、卑しめられたり、苦しみに会うことで、天の神、主の御思いを思うものにもされ、パウロのような大きな働きではないかもしれませんが、イエスが私を通してしようと思っておられることをする者にもしていただけるのかもしれませんね。
そして、この、ロバの子のように用いていただけるのかも。
今日も。
イメージ 1
 
 

 

 

 

 

<a href="http://www.blogmura.com/point/00697809.html"><imgsrc="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/></a>

 

 

 

 

 

"哲学・思想 ブログランキングへ"