風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

よく聞き、よく見、よく吟味して、今の時代をよく見極めて

聞く耳、見る目、主がこの両方を造られた。箴言20:12

 すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。Ⅰテサロニケ5:21

 ヨハネ13:31~35
 ルカ12:54~59(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句9/22;金)

よく聞いて、よく見て、よく吟味し、よく見分けて、良いものを大事にし、固く守るようにと、天の神、主は仰るのですね。

 イエスは、ご自分が、いよいよ、明日は十字架刑での処刑を受けられるという前夜、
弟子たちとの最後の夕食の席で言われたのだそうです。
「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。
互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)と。

 自分が「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっていて、
自分の心のうちからは、互いに対立し、張り合うばかりの思いしか出て来ない者であるという、自分の実態をよく見ている者は、
天の神、主が、プレゼントとして差し出していてくださる、
エスが受けられた十字架刑での処刑による、自分の「生まれた時からの私」という霊の処刑、死亡手続きを受け取る思いにもなるようですね。

 そして、死んで葬られ、三日目、日曜日の早朝、墓から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れて、神の国のことを語った後、
弟子たちの見守る中、オリーブ山から、天の、〔父である神〕の右の座に帰られた(使徒1:3~11)、
そのイエスがご自分に代わって派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方(ヨハネ14:16、26)をお迎えする心にも。

 この方が、私たちの心にも、〔父である神〕の御思いを置いてくださるので(エレミヤ31:33、エゼキエル36:26~27)、
張り合うばかりの私たちの心にも、〔父である神〕の愛の御思いが来て、
エスが〔父である神〕の愛の御思いによって私たちを愛していてくださるように(ヨハネ12:49~50、14:10)、
私たちも愛し合う者にしていただけるのだそうですから。

だから、よく聞き、よく見て、天気を見分けるように、今がどういう時代なのかをよく見分けて、
何が正しいかを判断しなさいと言われるのですね。
そして、告訴する者といっしょに役人の前に行っている人が、途中でも、熱心に告訴しようとしている人と和解して、告訴を取り下げてもらおうとするように(ルカ12:54~59)。

今の時代は、〔父である神〕が、イエス・キリストにあって、この世をご自分と和解させ、
違反行為の責めを人々に負わせないで、罪を知らない方、〔御子である神〕イエスに負わせて処刑にし、
私たちの処罰が終わっていることにして、
誰からも、私たちを訴える者、サタンが、私たちを地獄の道連れにしようと
どんなに私たちの罪を告訴しても心配がないようにしてくださって、
ご自分の家族になり、ご自分と思いを一つにして生きようよ、と、
和解を提案していてくださっている時代なのだそうですから(Ⅱコリント5:18~21)。
今日も。



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