風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

激しい叫びと涙で願い、聞き入れられて

私の神、主よ、
呼び求める私を、
あなたは癒してくださいました。
詩30:3

 キリストは、
肉において生きておられたとき、
激しい叫び声をあげ、
涙を流しながら、
御自分を死から救う力のある方に、
祈りと願いとをささげ、
その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。
ヘブル書5:7

 ヨハネ14:15~21
 ヨハネ15:9~17(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句3/17;土)

 〔御子である神〕ご自身が、
私たちと同じ人間となり、
同じ肉体を取ってくださって、
私たちが苦しむ苦しみを苦しんでくださり、
〔父である神〕に激しい叫びと涙で祈り、願われた方なのだそうです。

 それで、私たちの苦しみも思いやってくださることが出来、
聞いてくださり、いやしてくださるのだそうです。

 イエスは、ご自身が、
私たちに代わって、
私たちの「的外れ」の責任をとって十字架刑での処刑を受けてくださり、
私たちの贖(あがな)いをなし終えて、
〔父である神〕のもとに帰ったときには、
〔父である神〕に願ってくださると約束してくださったのですね。

私たちに、もう一人の助け主を派遣してくださるように(ヨハネ14:16)、と。

 この方が来てくださるとき、
エスが〔父である神〕におり、
私たちがイエスにおり、
エスが私たちにおることが実現していることが、
私たちにも分かる(ヨハネ14:20)、のだそうです。

本当の愛は、
いつも、その愛する相手と一緒にいたいもの、
愛する相手の思っていることを自分も思い、相手の思っているとおりにしたいもの、
相手の思っていることが成ることを願うもの、なのだそうです。

〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
いつも、いつまでも私たちとともにいたいと願っていてくださり(ヨハネ14:16)、
〔父である神〕、〔御子である神〕も、
私たちと共に住んでくださる(ヨハネ14:23)、のだそうです。

 

 この方、〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
私たちの心に
〔父である神〕の私たち一人一人に持っておられる御思いを
置いてくださるのだそうです(エレミヤ
31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 それで、私たちの心にも、〔父である神〕の愛の思いが来て、
私たちも、いつも
神である主、「『私はある』という者」と名乗られる方と一緒にいたくなり、
私たちにも、
エスが愛しておられた、
周りにいる人を思いやる思い、
大切に思う思いが来るようになるのだそうです(ヨハネ15:12、17)。

 

 〔御子である神〕、イエスの名によって願うなら、

与えていただけるのだそうですから。

「御心が天で成っているように、
地にも、私にも、
成らせてください」と。

今日も。

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]

 

<ahref="https://www.blogmura.com/point/00697809.html" >