風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

天が、喜び祝い、地が、喜び躍る、その出来事の中へ

天よ、喜び祝え、
地よ、喜び躍れ。
国々にふれて言え、
主こそ王と。
歴代誌上1631

 
 天上のもの、
地上のもの、
地下のものがすべて、
エスの御名にひざまずきます。
フィリピ書210
 
 Ⅰペトロ515
 マタイ1324303643(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句9/5;木)

 イエスは神の御姿である方なのに、
神のあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、
人間と同じようになられました。

 人としての性質をもって現れ、
自分を卑しくし、
死にまで従い、
実に十字架の死にまでも従われました。
 
 それゆえ【父である神】は、この方を高く上げて、
すべての名にまさる名をお与えになりました。

 それで、イエスの御名によって、
天にあるもの、地にあるもの、
地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、ひざまずき、
すべての口が、「イエスは主である」と告白して、
【父なる神】がほめたたえることになるのだそうです(ピリピ2611新改訳)。
 
 そのとき、天は、喜び祝い、
地は、喜び躍り、
国々の民は言うようになるのだそうです。
「【主】、「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方こそ
私たちの王である、と。
 
 そのとき、
〔生まれたときからの私〕という霊をから出てくる思いは、
死んだ者から出て来た思いであると認めて、
エスの前に投げ捨て、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、御思いを心に置いていただき、
この方と心を一つにして歩んでいた者は、
しぼむことのない栄光の冠を受けることになるのだそうです。
神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられる方ですから(Ⅰペテロ515)。
 
 世の終わりには、毒麦の穂は集められて火で焼かれ、
天の神、主とのあるべき関係の中を生きた人たちは、
御国で太陽のように輝く(マタイ1324303643)、のだそうですから。
 
 私たちも、
このことにかなう者にしてくださった
エスのみわざをほめたたえながら。
今日も。
 

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