風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

自分の羊飼いの声を聞き分け、ついて行くように

わたしは彼らのために
一人の牧者を起こし、
彼らを牧させる。
エゼキエル書34:23

 

 イエスの言葉:
わたしは良い羊飼いである。
わたしは自分の羊を知っており、
羊もわたしを知っている。
ヨハネ10:14

 

 イザヤ書57:15~19
 マタイ15:1~20(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句9/14;土)


 約束の言葉のとおりに、
ダビデ王のような、民を導く牧者、羊飼いとして、
御子である方が人間イエスとなって人の世に来られたのですね。

 

 「わたしは

高く聖なるところに住み、
心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし、
砕かれた人の心を生かすためである。
わたしはいつまでも争わず、
いつまでも怒ってはいない。
わたしから出る霊と、
私が造ったたましいが衰え果てるから。
彼のむさぼりの罪のために、
わたしは怒って彼を打ち、顔を隠して怒った。
しかし、彼はなおそむいて、自分の思う道を行った。
わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。
わたしは彼を導き、
彼と、その悲しむ者たちとに、慰めを報いよう。
わたしは唇の実を創造した者。
平安あれ。
遠くの者にも近くの者にも平安あれ。
わたしは彼をいやそう」(イザヤ57:15~19)と仰られて。

 

 

 その言葉のとおりに、イエスは、
「長老たちの言い伝え」として「自分の思う道」を行き、
「だれでも、父や母に向かって、
私からあなたのために差し上げられる物は、供え物になりました」と言えば、
父や母の扶養に使わなくていい」とする
パリサイ人や律法学者たちを、
「神のことばを無にしている」と非難したのですね。

 

 また、彼らが、
「長老たちの言い伝え」によって、
エスの弟子たちを、
「パンを食べるときに手を洗っていない」と非難したのに対して、
「口に入る物はみな、腹に入り、トイレに捨てられます。
しかし、口から出るものは、心から出て来て、人を汚(けが)します。
悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは
心から出て来るからです。
これらは、人を汚(けが)すものです。
しかし、洗わない手で食べることは人を汚しません」(マタイ15:1~20)
と言われたのですね。

 

 私たちも、先人たちの教えや経験による先入観による
「自分の思う道」を行く者です。

また、心から「人を汚す」言葉が出てくる者です。

 

 自分の努力で、
そういう者でなくなるようにしようとすれば疲れるのですね。
へりくだって、自分がそういう者であることを認めていけばいいのだそうです。

 

 【父である神】は、
私たちの、その心の思いの出どころである
〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスの受けてくださった十字架刑での処刑に合体させて、
「処刑が終わっている者」、
「死んだもの」としてくださり、

 

 イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
ご自身の御思いを私たちの心に置いてくださり、
私たちの心を一新してくださって(ロマ12:2)、
【父である神】の御思いで生きるようにしてくださるのだそうですから
(エレミヤ31:31~33、エゼキエル36:25~28)。

 

 この方を私の牧者とし、
羊が羊飼いの声を聞き分け、
羊飼いについて行くように
この方について行って。

今日も。

 

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