風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

イエスの足に香油を塗った、あの女性のように

わたしの兄弟である
この最も小さい者の一人にしたのは
わたしにしてくれたことなのである。
マタイ25:40(9/15の週の聖句)

 

主よ、
わたしの力よ、
わたしはあなたを慕う。
詩18:2

 

 この町に一人の罪深い女がいた。
泣きながら
エスの足を涙でぬらし始め、
自分の髪の毛でぬぐい、
その足に接吻して香油を塗った。
ルカ7:37、38

 

 ルカ10:25~37
 詩78:32~55(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句9/15;Ⅲ日曜)


 イエスは言われます。
「あなたがたは、
わたしが空腹であったとき、
わたしに食べ物を与え、
わたしが渇いているとき、
わたしに飲ませ、
わたしが旅人であったとき、
わたしに宿を貸し、
わたしが裸のとき、
わたしに着る者を与え、
わたしが病気をしたとき、
わたしを見舞い、
わたしが牢にいたとき、
わたしをたずねてくれた。
わたしの兄弟たち、
しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、
わたしにしたのです」(マタイ25:35~40新改訳)、と。

 

 

 また言われます。
「少ししか許されない者は、
少ししか愛しませんが、
罪を多く赦されたものは
多く愛します。」(ルカ7:47)、と。

 

 

ある町の罪深い(不道徳な)女が、
香油の入った石膏のつぼを持って来て、
パリサイ人の家で食卓に着いておられる
(おそらく、ベットに横になった形で)
エスの後ろで御足のそばに立ち、
涙でイエスの足をぬらし、
髪の毛でぬぐい、
エスの足に口づけして、
香油を塗ったように(ルカ7:36~38)。

 

多くの罪を赦してくださり、
また、支え、助けてくださっているこの方を慕って。


 「心を尽くし、思いを尽くし、
力を尽くし、知性を尽くして、
私の神である方を愛する」ように。

 

 また、「隣人(となりびと)を自分自身のように愛した」、
あのサマリヤ人のように(ルカ10:27~37)。

 

私たちの心は、
神に誠実でなく、
神の御言葉に忠実でもなく、
なおも罪を犯し、
神のくすしいわざを信じない者です。

 

 しかし、あわれみ深い神は、
私たちの咎を赦し、
滅ぼすことをせず、怒りを押さえてくださったのですね。

 

 神は、私たちが肉にすぎず、
吹き去れば、返って来ない風であることを
心に留めてくださっているのだそうですから(詩篇78:32~39)。

 

 私たちもこの愛の中で、
この方を慕って。
この新しい週も。

 

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