心の中の、燃え上がる思いが
エレミヤの言葉:
主の名を口にすまい、
もうその名によって語るまい、と思っても、
主の言葉は、私の心の中、火のように燃え上がります。エレミヤ書20:9
私たちは、
見たことや聞いたことを
話さないではいられないのです。使徒4:20
ルカ7:36~50
使徒13:44~52(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句7/3;月)
エルサレムがバビロン軍によって攻撃されようするとき、
私たちには神の神殿があるから異邦人がここに入ってくることはないと信じて徹底抗戦をしようとしている人たちの中にあって、
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、エレミヤを預言者として立て、
「バビロン軍のところに降って命を得よ」と伝えさせるのですね。
しかし、エレミヤが語ったように、すぐにエルサレムが滅びるわけではなく、
当然、エレミヤは周りから、偽預言者とみなされ、民を惑わす者として迫害されるのですね。
それで、エレミヤは、もう、神から告げられたことばを語るのをやめようと思うのですが、
神のことばがエレミヤのうちで火のように燃え上がり、
それを押え、語らないでいることに疲れてしまったというのですね。
イエスが十字架刑で処刑された後、
三日目に墓より復活されたイエスに出会い、復活されたイエスと共に過ごした弟子たちは、
イエスが天に帰られるとき、言い残していった
「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです」との言葉に従って、
エルサレムに残っていたのだそうですが、
10日後の五旬節(ペンテコステ)の日に、
俄然、弟子たち一人一人に〔聖である霊〕と呼ばれる方が来られて、
弟子たちはこの方が話させようとされるままに話し出したのだそうです(使徒1:3~14、2:1~4)。
ペテロとヨハネが、午後3時の祈りの時間にエルサレム神殿に出かけたとき、
美しの門に運ばれ、物乞いをしていた、生まれた時から足がなえて歩いたことのない、40歳余りの人に、
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。
ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい」と言って、彼の右手を取って立たせると、たちまち、彼の足とくるぶしが強くなって、躍りあがってまっすぐに立ち、歩いたり、はねたりしながら神を賛美し、二人といっしょに宮に入って行ったのだそうです。
驚いて集まってきた人たちに、ペテロは、
「あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、神は、死者の中からよみがえらせました。
そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くし、完全なからだにしたのです。
あなたがたも罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。
この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりを、その邪悪な生活から立ち返らせてくださるように」と勧め、これを聞いた人たちが大勢信じ、男の数が5000人ほどになったのだそうです。
イエスを十字架刑で処刑した側のユダヤの指導者たちは、二人を捕らえたのですが、人々の手前、二人を罰することができず、
「いっさい、イエスの名によって語ったり教えたりしてはならない」と命じたのですが、
二人は、「私たちは、見たことや聞いたことを話さないではいられない」と答えたのだそうです(使徒3:1~4:22)。
借金でも、自分の罪でも、多く赦された者は多く愛するようになるようです(ルカ7:36~50)。
多く赦された感謝は、大きな行動になって現れ、これをとどめようとする力を超えて燃え広がっていくようですね。
イエスの出来事が、ユダヤ人の迫害にあって、異邦人へと広まっていったように(使徒13:44~52)。
今日も。
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見出された喜びの中で
人の子は失われたものを捜して
救うために来たのである。ルカ19:10(7/2の週の聖句)
あなたは隣人を虐げてはならない。レビ記19:13
何事も利己心や虚栄心からするのではなく、
へりくだって、
互いに相手を自分よりも優れた者と考えなさい。フィリピ書2:3
ルカ15:1~3、11b~32
詩12(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句7/2;Ⅰ日)
イエスは、自分は正しい生き方ができている、立派にやれていると思っている人を招くためにではなく、迷い出ている者、失われたものを捜し出して救うために来られた方、
ダメなものを目がけて来て下さった方なのだそうです。
それで、自分は神の律法をちゃんと守っている、自分は正しい人間だと思っている人たちから、「あの人は罪びとのところへ行って客となった」との非難も恐れず、人々から「罪びと、取税人の奴ら」と言われている人のところへも自由に出入りされ、救いを届けられ(ルカ19:1~10)、失われ、いなくなっていた者が見つかると大喜びをされるのだそうです(ルカ15:1~3、11b~32)。
私たちは、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方(出エジプト3:14)から、
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)と望まれて造られていながら、
その、天の神、主と心を一つにしている場に留まろうとしないで、
もっと素晴らしい者に「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になろうとして(創世記3:5、22)、
天の神、主に対立、対抗する者になり、
自分一人を、誰よりも、神よりも上の位置に置き(イザヤ14:13、14)、
誰よりも優れた者、能力のある、知識のある者にならないと気が済まない者、
善いもののすべてを自分一人で独占しようとし、
自分よりも弱いものを虐げる性格を持つ者のようです。
それで、自分中心に考え、自分を実態よりも善く見せようとし、
自分のほうが相手よりも善いものだと思うことで安心するもののようです。
この、〔神のひとりのようになり、善悪を知る者〕になっている、〔生まれた時からの私〕という霊を、〔父である神〕は、イエスの十字架刑での処刑に合わせてくださって、処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうです。
そして、受け入れる者に、イエスを通して、もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって(ヨハネ14:16)、
この方によって、受け入れる者の心に、ご自身が、私たち一人一人に思っておられる御思いを置き、書き付けてくださって、受け入れる者がご自身と同じ思いを思い、一つ心になり、一つの存在になるようにしてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。
それで、この方の働きを受ける者は、〔父である神〕が思っていらっしゃるとおりに、へつらいのくちびる、二心と傲慢の舌(詩篇12:2~3)を、「処刑されたもの、死んだもの」から出てきた思いと見極めてイエスの足元に投げ捨てながら、相手を大切に思い、尊重する心にもしていただけるのだそうです。
失われたものであったのに、見出された、喜びの存在に。
この新しい週も。
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わたしの足がよろめくそのとき、神の慈しみの御手が下から支えて
「足がよろめく」と私が言ったとき、
主よ、あなたの慈しみが支えてくれました。詩94:18
パウロの手紙:
私たちとあなたがたとを
キリストに固く結び付けてくださったのは、神です。Ⅱコリント1:21
ヨナ書2:1~11
使徒13:26~43(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句7/1;土)
私たちの足がよろめくとき、天の神、主の慈しみが私たちを支えてくださるのですね。
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、約束のことばを、ことごとく、イエスによって「然り」、「ほんとう」としてくださっているのだそうです。
そして、私たちをキリストに固く結び付け、キリストのうちに固く保ち、
確認の印を私たちに押し、
保証として〔聖である霊」と呼ばれる方を私たちのうちに派遣してくださっているのだそうです。
天の神、主は、私たちが苦しみの中からお願いすると、答えてくださる方。
たましいがわたしのうちに衰え果てるとき、
この方を思い出し、祈ると、
私たちの祈りは御前に届くのだそうですから(ヨブ2:1~11)。
バプテスマのヨハネは、イエスについて、
「御覧なさい。その方は私の後からおいでになります。
私は、その方のくつのひもを解く値打ちもありません」と証言したのだそうですが、
エルサレムに住む人たちとその指導者たちは、
イエスに死罪に当たる何の理由も見いだせなかったのに、
総督ピラトに強要して、十字架刑で処刑し、
旧約聖書でキリストについて書いてあることを全部なし終えたのだそうです。
しかし、墓に納められたイエスを、
神は、1000年ほど前に、ダビデを通して、
「あなたは、あなたの聖者を朽ち果てるままにはしておかれない」と言っておられたとおりに、
死者の中からよみがえらせ、
幾日にもわたって、イエスといっしょにガリラヤからエルサレムに上った人たちに現させ、
その人たちをイエスの復活の証人とされたのだそうです(使徒13:26~43)。
このイエスによって、私たちにも罪の赦しが与えられ、
モーセをとおして与えられた神の律法を自分の力、努力で守ることでは解放されることのできなかったすべての点について、
信じ、受け取る者はみな、このイエスによって解放されるのだそうです。
そして、「子」としてくださる、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるので、
この方によって、「子」の立場で、
イエスと同じように、「父よ」と呼び、祈ることができるのだそうですから。
足がよろめく、その場所で、下から支えてくださる神の御手(申命記33:27)を経験できるのだそうですから。
今日も。
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すべての重荷、絡まりつく罪をイエスの足もとにかなぐり捨ながら
イスラエル人は主に言った。
「私達は罪を犯しました。
私達に対して何事でも、御目に適うことを行ってください。
ただ、今日私達を救い出して下さい。」士師記10:15
私達もまた、
すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、
自分に定められている競争を
忍耐強く走りぬこうではありませんか。ヘブル書12:1
ヨハネ6:37~40(41~46)
使徒13:13 ~25(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句6/30;金)
エジプトを出たイスラエル人が、40年の荒野での生活の後、
約束の地に入り、自分の土地を得て生活が安定し、代が替わって行ったとき、
また、主の目の前に重ねて悪を行い、
行って近隣の人たちの神々に仕え、
自分の神を捨て、主に仕えなかったのだそうです。
それで、神である主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、
彼らをペリシテ人の手とアモン人の手に売り渡されたのだそうです。
アモン人がヨルダン川を渡って攻め寄せ、イスラエルが非常な苦境に陥ったとき、
イスラエル人は天の神、主に叫んで言ったのだそうです。
「私たちは、あなたに罪を犯しました。
私たちの神を捨てて、他の神、バアルに仕えたのです」と。
すると、天の神、主は仰せられたのだそうです。
「わたしは、かつてエジプト人、エモリ人、アモン人、ペリシテ人から、あなたがたを救ったではないか。
シドン人、アマレク人、マオン人が、あなたがたをしいたげたが、あなたがたがわたしに叫んだとき、わたしはあなたがたを彼らの手から救った。
しかし、あなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。
だから、わたしはこれ以上あなたがたを救わない。
行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。
あなたがたの苦難の時には、彼らが救うがよい」と。
それでも、イスラエル人は、さらに、このように答えて、彼らが自分たちのうちから外国の神々を取り去って、主に仕えたので、
主は、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなったのだそうです(士師記10:6~16)。
イエスは言われました。
「父がわたしにお与えになる者はみな、私のところに来ます。
そしてわたしのところへ来る者を、わたしは決して捨てません。
わたしが天から下って来たのは、自分の心を行うためではなく、
わたしを遣わした方のみこころを行うためです。
わたしを遣わした方のみこころは、
わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、
ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。
事実、わたしの父のみこころは、
子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。
わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます」(ヨハネ6:37~40)と。
私たちもまた、すべての重荷、絡まりつく罪を、
〔父である神〕の御前に言い表し、見ていただき、知っていただいて、
イエスの足元にかなぐり捨てながら、助けをいただいて、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる、
〔父である神〕が私を通してしようと思っておられる御思いの場に出て行き、
与えられている行程を走り抜くのだそうです。
よみがえり、御前に立つ、その日を目指して。
今日も。
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豊かな慈しみをもって
あなたに向かって私は祈ります。
主よ、御旨にかなうときに、
神よ、豊かな慈しみのゆえに、
私に答えて確かな救いをお与えください。詩69:14
あなたがたの中で苦しんでいる人は、
祈りなさい。
喜んでいる人は、
賛美の歌をうたいなさい。ヤコブ書5:13
マタイ15:29~39
使徒13:1~12(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句6/29;木)
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、私たちに、願いを言って来てほしいと思っていらっしゃる方のようですね(ピリピ4:6)。
私たちが、自由意思で、自発的に、ご自身と思いを一つにすることを喜ばれる方ですから。
それで、私たちに、自分から、自発的に、話して来てほしいのだそうです。
そして、すべてのものをあい働かせて益にしてくださり(ロマ8:28)、
ご計画の時にかなえてくださるのだそうですから。
天の神、主は慈しみ深い方。
イエスが、ガリラヤ湖の岸を行き、人里離れた、へんぴな山に登られたときも、大勢の人が追いかけて来て、
足のなえた人、手足の不自由な人、盲人、口のきけない人などを御許に連れて来て、
イエスの足元に置いたのだそうです。
イエスは、それらの人々をいやされたので、
人々は、口のきけない者がものを言い、手足の不自由な者がなおり、足のなえた者が歩き、盲人たちが見えるようになるのを見て驚き、神をあがめたのだそうです。
さらに、イエスは言われたのだそうです。
「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。
彼らを空腹のままで帰らせたくありません。
途中で動けなくなるといけないから」と。
そして、群衆に、地面の草の上に座るように命じられ、
手元にあった7つのパンと小さい魚、少しを取り、
感謝をささげてからそれを裂き、弟子たちに与えられたので、
弟子たちはそれを群衆に配ったのだそうです。
人々は、食べて満腹して、帰ったのだそうですが、
パン切れの余りを取り集めると、7つのかごにいっぱいあったのだそうです。
食べた者は、女と子どもを除いて、男4千人だったそうですが(マタイ15:29~39)。
天の神、主は、
私たちのことを心にかけ、私たちと思いを一つにしたいと願っていてくださるのだそうですから。
今日も。
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あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者
天は神の栄光を物語る。詩19:2
イエスが水の中から上がるとすぐ、天が裂けて
“霊”が鳩のように御自分に降(くだ)って来るのを、ご覧になった。
すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。マルコ1:10~11
ヨハネ4:5~14(15~18)
使徒12:18~25(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句6/28;水)
イエスが、バプテスマ(洗礼)を受けようとして、ヨハネのもとに来られた時、
ヨハネは、「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか」と言ったのだそうです。
ところが、イエスは、
「今はそうさせてもらいたい。
このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです」と答えられ、そこで、ヨハネはバプテスマを授けることを承知したのだそうです。
そして、イエスがバプテスマを受けて、すぐに水から上がられると、天が開け、
神の御霊、〔聖である霊〕と呼ばれる方が鳩のように、イエスの上に下って来られ、
そして、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」との声が天から聞こえたのだそうです。
天がイエスの栄光を語ったということでしょうか。
イエスが、ガリラヤに行こうとして、サマリヤを通られ、
お昼の12時頃のこと、スカルという町の町はずれにあるヤコブの井戸で、腰を下ろし、休んでおられたとき、弟子たちは食物を買いに町に行っていてイエスだけがそこにおられたのだそうですが、その井戸に水を汲みに来た女性に、イエスが「水を飲ませてください」と言ったことがきっかけで、その女性との話が始まったのだそうです。
イエスはその女性に、「この(井戸の)水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」と言われたのだそうです(ヨハネ4:5~14)。
〔聖である霊〕と呼ばれる方は、「永遠のいのちへの水」とも呼ばれる方なのですね。
ガリラヤの領主ヘロデは、ツロとシドンの人々に対して強い敵意をいだいていたのだそうです。
ヘロデの国から食料を得ていたツロとシドンの人たちは、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めたのだそうです。
それで、定められた日に、ヘロデは王服をつけて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めると、彼らは、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けたのだそうです。すると、たちまち、主の使いがヘロデを打ち、彼は虫(お腹の寄生虫)にかまれて、息が絶えたのだそうです。
私たちに代わり、十字架刑での処刑を受けてくださったイエスを通して来てくださる、〔聖である霊〕と呼ばれるお方。
私たちの心に、〔父である神〕の御思いを置いてくださり、
受け入れる者が「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言っていただけて、
〔父である神〕がしようと思われることをしていくようにしてくださり、
私たちも神の栄光の現す者としてくださるのだそうです。
今日も。
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管理者に必要なのは忠実であることなのだそうです。
真実を
私の口から奪わないでください。詩119:43
人は私たちをキリストに仕える者、
神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。
この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。Ⅰコリント4:1~2
箴言9:1~10
使徒11:19~30(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句6/26;月)
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方のみことば、その言葉に表された御思い、それが真実というもののようですね。
それがいつも私の口にあるようにしてください、ということでしょうか。
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、ご自身の御思いを、
イエスの十字架刑での処刑を自分の〔生まれた時からの私〕という霊の処刑と受け取り、
この〔生まれた時からの私〕という霊を死んだものとしていただいた者に、
もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方の働きによって、その心に置いてくださり、
御思いが心に来るようにしてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。
それで、そのようにしていただいた者の心には、〔父である神〕の御思いが来て、
「父である神〕がその人を通して誰かに話そうと思われるとき、
その御思いがその人の口にあるようにされ、
その人は、父である神が話そうとしておられることを口から出すことになるのだそうです。
パウロは、そのような在り方を、「神の秘められた計画をゆだねられた管理者」と言っているようです。
そして、「管理者に要求されるのは忠実であること」だと。
「神のひとりのようになろうとして、善悪を知る者」になっている(創世記3:5、22)私たちの〔生まれた時からの私〕という霊は、
自分一人の理性の判断で、ことの善し悪しを決めようとする性格を持っています。
それで、天の神、主の御思いを取り次ぐときにも、この、自分の理性の善し悪しの判断が働いて、
その自分を知恵ある者だと思って神の御思いの上に自分の思いを上げ(箴言9:1~10)、
その自分の思いで神の御思いを差し引いたり、付け加えたりしてしまう者のようです。
だから、御思いに忠実であることが求められるということなのでしょうか。
ステパノのことで起こった迫害によって、エルサレムから散らされたイエスの弟子たちは、フェニキヤ、キプロス、(シリヤの)アンテオケまで進んでいったのだそうですが、
「ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、訪問したりするのは律法にかなわない」(使徒10:28)というユダヤ人の常識によって、
ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語っていなかったのだそうです。
ところが、(シリヤの)アンテオケに来てからは、ギリシャ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えたので、大勢の人が信じて主に立ち返ることになったのだそうです。
天の神、主の御思いは、ユダヤ人の枠を超え、すべての民族に(創世記12:3)、
そして、地の果てにまで(使徒1:8)なのだそうですから。
今日も。
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