風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

聞けるようにしてあるから。聞く気さえ起こせば。

主は聖なる神殿におられる。
全地よ、御前に沈黙せよ。
ハバクク書2:20

 

 耳のある者は聞きなさい。マタイ11:15

 

 使徒16:23~34
 マタイ7:7~11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/31;水)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
その聖なる神殿におられるのですね。

 

 そして、全地はこの方の御前に口をつぐむのだそうです。

 

 この方は言われます。
「耳のある者、
聞こうとする気持ちのある者は聞きなさい」と。

 

 この方は、すべての人に向かって、
等しく語っておられるのだそうですから。

 

 今から2000年ほど前の、マケドニアのピリピでのこと、
エスにかかわる福音(うれしい知らせ)を伝えていたパウロとシラスは
町の有力者から訴えられ、
長官は、ふたりの着物をはいでむちで打たせ、
ふたりを牢に入れて看守には厳重に番をするよう命じたのだそうです。

 

 それで、看守はふたりを奥の牢に入れ、
足かせをかけたのですね。

 

 真夜中ごろ、
パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、
ほかの囚人たちも聞き入っていたのだそうです。

 

 ところが突然、大地震が起こって、
獄舎の土台が揺れ動き、
たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまったのですね。

 目を覚ました看守は、牢のとびらがあいているのを見て、
囚人たちが逃げてしまったものと思い、
剣を抜いて自殺しようとした。

 

 そこでパウロは大声で、
「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。
看守は明かりを手に取り、駆け込んで来て、
パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、
そして、ふたりを外に連れ出して
「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。
ふたりは、
「主イエスを信じなさい。
そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。

 そして、彼とその家のもの全部に主のことばを語った。
看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。

 そして、そのあとすぐ、
彼とその家のもの全部がバプテスマを受けた。

 

 それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、
全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ(使徒16:23~34新改訳)。

耳のある者、聞く心のある者とされて。

 

 

 イエスは言われます。
「求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。

 だれであれ、求める者は受け、
捜す者は見つけ出し、
たたく者には開かれます。

 

 あなたがたも、
自分の子がパンを下さいと言うときに、
だれが石を与えるでしょう。
また、子が魚を下さいと言うのに、
だれが蛇を与えるでしょう。

 

 してみると、
あなたがたは、悪い者ではあっても、
自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。

とすれば、なおのこと、
天におられるあなたがたの父が、
どうして、求める者たちに
良いもの(聖霊)を下さらないことがありましょう。」(マタイ7:7~11)、と。

 

 「耳のある者は聞きなさい」、
聖なる神殿におられる方のことばに。
今日も。

 

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命の水の泉から、飲んでほしい。代価は支払い済みだから、と。

私は信じます、
命あるものの地で
主の恵みを見ることを。
詩27:13

 

 わたしは、
渇いている者には、
命の泉から
価(あたい)なしに飲ませよう。黙示録21:6

 

 使徒2:32~40
 マタイ7:1~6(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句7/30;火)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちに、
命ある者の地、生ける者の地で
ご自身の私たちに対する慈しみ、
恵みを見させてくださるのですね。

 

 渇いている者、
求める者には命の水の泉から、
私たちに、価を払わないで飲ませてくださるのだそうですから。

 

 【神の霊】と呼ばれる方によって、
御思いの中に沈め、浸してくださるのですね。

十字架刑での処刑を受け、
死んで墓に葬られたイエスを、
【父である神】は、新しい霊のからだに復活させ、
40日にわたって何度も弟子たちに現れさせ、
弟子たちをイエスが復活されたことの証人として立て、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
ご自身の右の座に復帰させ、

 

 そして、このイエスを通して、
約束の言葉に従って待ち望んでいた弟子たちに
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣されたのですから。

 

 今までの、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、
自分の理性の善悪の判断で生きて来た生き方から方向転換をして、
それぞれ「的外れ」の生き方をしてきたことを赦していただき、
イエス・キリストの名によってバプテスマを受け、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣していただいて(使徒2:32~40)。

 

 【父である神】の御心に従って生きていく生き方に。
今日も。

 

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イエスの言葉に聞き入って

恐れるな、
わたしはあなたを贖
(あがな)う。
あなたはわたしのもの。
私はあなたの名を呼ぶ。
イザヤ書43;1(7/28の週の聖句)

 

 神を求める人々には、
健やかな命が与えられますように。
詩69:33

 

 マリアは主の足もとに座って、
その(いえすの)話に聞き入っていた。
ルカ10:39

 

 マタイ28:16~20

 詩119:97~104(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/28;Ⅳ日曜)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私を造り出した方。
母の胎の中で私を形造づくられた方(詩篇139:13)。

 それゆえに、
「的外れ」になり、
さまよい出て罪の奴隷になっている私たちを、
一方的に、ご自身の側で代価を払って
私たちを贖い、買い戻そうとしていてくださるのだそうです。

 

 ご自身のものとしてくださり、
名を呼んで連れ出してくださるのだそうですから。

 

 御思いを尋ね求め、
御言葉に聞き入る者に健やかな命を与え、心を生かして。

 

 それで、イエスは、
この福音、喜ばしい知らせを
あらゆる国の人々に知らせてほしいと、
私たちを派遣されるのですね(マタイ28:16~20)。

 

 【父である神】の御思いが心にあり、
一日中、私の思いとなって(詩篇119:97)。

この新しい週も。

 

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帰って行くのだそうです。喜び歌いながら、新しい国へ

主に贖(あがな)われた人々は
帰って来て、
喜びと楽しみを得、
嘆きと悲しみは消え去る。
イザヤ書51:11

 

 (主が来られる日には)
私たちはいつまでも
主と共にいることになります。
1テサロニケ4:17

 

 フィリピ書3:12~16
 マタイ6:19~24(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/27;土)

 

 イエスを「私の主」とし、
【父である神】がイエスによってなされた贖いの御業、
エスをすべての人間の身代わりとし、
贖いの小羊として立てて、十字架刑で処刑し、
そのささげられた命によって
私たちの「的外れ」の責任が果たされたもの、

 

 天の神、主から、
「われわれのかたちとして、
われわれににせて」(創世記1:26)
と願われて造られていながら、

 

 「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済み、死んだものとしていただいた者、

 

 そして、死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に帰られたイエス

 

 そのイエスが派遣してくださる【聖である霊】と呼ばれる方、
この方をお迎えし、
この方によって、心に
【父である神】が私たち一人一人に思っておられる御思いを置いていただき、
【父である神】と思いを同じくし、
心を一つにして生きる生き方をしている者は、
帰って来るのだそうです。

 

 やがて実現する新しい天と新しい地、
新しいエルサレムへ。

 

 そこには、もはや死もなく、
悲しみ、叫び、苦しみもなく(黙示録21:1~4)、
喜びと楽しみだけがあるのだそうです。

 

 けれども、その前に、
エスはもう一度来られて、
私たちのからだを、一瞬にして、
新しい霊のからだに変えてくださり、
パラダイスに引き上げ、
私たちを、いつまでもイエスと共にいるようにしてくださり、
その新天新地、新しいエルサレムの実現の日を
待つようにしてくださるのだそうです。

 

 それで、私たちは、この地上での人生を
この目標に向かって、後ろのものを忘れ、
ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる
神の栄冠を得るために、
一心に走っていくのですね(ピリピ3:13~14新改訳)。

 

 心を天に向け、
自分の宝は、天に、
神の御前にたくわえながら。

 

 神の御前に心の動きの一つ一つを差し出し、
見ていただき、知っていただき、
光の中の出来事、
明るい出来事にしていただきながら(マタイ6:19~23)。

今日も。

 

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「わたしに立ち帰れ」と、さまよい出ている私たちに

わたしに立ち帰れ、
と万軍の主は言われる。
そうすれば、
わたしもあなたたちのもとに、立ち帰る。
ゼカリヤ書1:3

 

 イエスの言葉:
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
罪人を招くためである。マタイ9:13

 

 Ⅱコリント12:1~10
 マタイ6:16~18(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/26;金)

 

 天の神、万軍の主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は
言われるのですね。
私たちに立ち帰ってくださろうとおもって、
私たちが立ち帰るのを待っていてくださる、と。

 

 正しい人、
律法の全部を100パーセント、
完全に行えている人にだけではなく、
罪人、
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている、
律法を行うことによっては及第点をもらえない
私たちに対しても。

 

 そして、立ち帰った者を覆(おお)ってくださる
キリストの力は、
私たちの弱さのうちに現れてくださるのだそうです。
完全に。

だから、私たちは、
弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難などを通して
自分の弱さを感じるとき、
エスを仰ぎ見、神の働きを待ち望むのですね(2コリント12:1~12)。

 

 人の目からは隠れたところで見ておられる
【父である神】の御前で(マタイ6:16~18)。

立ち帰り、立ち帰り、しながら。

今日も。

 

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すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るのですから

主はヨブに答えられた。
わたしが大地を据え、
海に高ぶる波を、
ここにとどめよと命じた時、
お前はどこにいたのか。
ヨブ記38411

 

 信仰によって、私たちは、
世界が神の言葉によって創造され、
従って見えるものは、
目に見えているものからできたのではないことが
分かるのです。
ヘブル書11:3

 

 使徒15:4~12
 マタイ6:5~15(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/25;木)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
この大地を据え、
海の波に
「ここまでは来てもよい。
しかし、これ以上はいけない。
波はここでとどまれ」と命じ、
陸と海との境を定められた方。

 

 この世界、宇宙も地球の自然環境も
この神の言葉によって創造されたのだそうです。

 

 創造される前、言葉が出される前に、
まず、天の神、主の、
こういうものを造ろうとの御思いがあって、
それが言葉として表現され、
その言葉のとおりに実現した、ということのようです。

 

 従って見えているものは、
目に見えているものからできたのではなく、
見えていないもの、
天の神、主の御思いからできた、ということなのですね。

 

 

 そして、天の神、主は、
律法のことばを聞いても
それを100パーセント完全には行なえない私たちを、
エスによってもたらされた福音(うれしいニュース)を聞いて、
その言葉に信頼することで、
私たちを救おうとしていてくださるのだそうです(使徒15:4~14)。

 

 それで、私たちは、その伝えられた言葉に信頼して、
この方に、その信頼できる方に言うのですね。
「天にいます私たちの父よ。
御名があがめられますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧(かて)をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン」
(ルカ6:9~13新改訳)、と。

 

 イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いが私に成るように、と。
今日も。

 

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願いを聞いてくださる、わが救いの神

私は主を仰ぎ、
わが救いの神を待つ。
わが神は、私の願いを聞かれる。
ミカ書7:7

 

 希望は
私たちを欺
(あざむ)くことがありません。ロマ書5:5

 

 エゼキエル2:3~8a
 マタイ6:1~4(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/24;水)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方こそが、
私たちの願いを聞いてくださる方。

 

 だから、私たちはこの方を仰ぎ見、
この方を待ち望みます。
この方こそ私たちの希望、欺(あざむ)くことのない、
失望に終わることはない希望なのですから。

 

 

 【父である神】は、
私たちを愛し、大切に思い、
私たちといつも一緒にいて、
心が通い、思いを一つにしてともに生きる者にしようと
していてくださるのですから。

 

 【父である神】は、
【御子である方】を
「女の子孫」(創世記3:15)として、
人間イエスとして、
ガリラヤのナザレと言う町に住む、ダビデの家系のひとりの処女マリヤより、
ベツレヘムで生まれさせ、

 この方がおよそ33歳の頃、
私たちすべての人間の身代わりの、
ほふられる贖(あがな)いの小羊として立て、
この方を、神に背いた者、神に反逆し、神に呪われた者として
十字架刑で処刑されたのだそうですから。

 

 私たちの〔生まれたときからの私〕という霊、
【天の神】、【主】である方から、
「われわれのかたちとして、われわれににせて」と願われ、
この方と思いを一つにし、心を一つにして生きる者をと願われて造られていながら、

 

 その造られた場にとどまることを善しとしないで、
もっと優れた者、立派な者になろうとし、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
神に背く者、神の創造の目的から「的外れ」になってしまっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊。

 

 その私を処刑済み、死んだものとしてくださるために。

 

 そして、イエスは、

近くにあった
アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られたのですが、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の「父である神】の右の座に帰られたのだそうです。

 

 【父である神】は、
このイエスを通してもう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、
この方によって、ご自身の、私たち一人一人に思っておられる御思いを
受け入れる者の心に置いてくださり、
受け入れる者がご自身と思いを同じにし、
心を一つにして生きるようにしてくださる、と言うのですね。
「子」として、ご自身と栄光をともにする者にしようと。


 この、【神の霊】によって注がれている神の愛の中を生きる者にとって、
神の栄光にあずかるようにしていただける希望は
失望に終わることはない、というのですね。

 

 【父である神】の御思いの中を
生きるようにしていただけるのですから(エゼキエル2:3~8a)。

 

 人にほめられたくて、人の前を生きるのではなく、
【父である神】の御前で生きるように(マタイ6:1~4)、と。

今日も。

 

(近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、

教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、

等の方、
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