風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちを、ご自身との正しい関係に回復してくださろうと

彼が担ったのは私たちの罪、
彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、
私たちは思っていた。
神の手にかかり、打たれたから、
彼は苦しんでいるのだ、と。
イザヤ書53:4

 罪と何のかかわりもない方を、
神は私たちのために罪となさいました。
私たちはその方によって
神の義を得ることができたのです。
Ⅱコリント5:21

 エフェソ書1:3~10
 申命記1:19~33(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/11;木)

 イエスが生まれる700年ほど前のこと、
天の神、主は、イザヤを通して預言して、このように言われました。
 そして、その700年ほど後のこと、
〔父である神〕は、〔御子である神〕を、
「女の子孫」(創世記3:15)、
罪(創造の目的から的外れになってしまった存在)とは、
何のかかわりもない人間として、
人の世に派遣され、
この方がおよそ33歳の頃、
私たちのために罪人となさって、
十字架刑での処刑を執行されたのだそうです。

 そして、この方、イエスの処刑を私たちの処刑とみなしてくださって、
受け入れる者を処刑が済んだもの、死んだものと手続きしてくださるのだそうです。

 その上で、受け入れる者にもう一人の救い主、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方によって私たちの心に
〔父である神〕の、一人一人に思っておられる御思いを置いてくださり、
私たちが〔父である神〕と思いを同じにし、
心を一つにして、
〔父である神〕がしようと思われることをしていくことができる者に
回復してくださるのだそうです。

 神の義、
天地創造の目的、
「さあ、人を造ろう。
われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)と仰られたとおりの、
天の神、主と心を一つにしていく関係の者に。

 この関係、神の義に入れてもらった者のことを、
パウロは次のように言っています。
「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。
神はキリストにあって、
天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、
御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
神は、みむねとみこころのままに、
私たちをイエス・キリストにあってご自分の子にしようと、
愛をもってあらかじめ定めておられました。
それは、神がその愛する方にあって
私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
この方にあって私たちは、
その血による贖(あがな)い、罪の赦しを受けています。
これは神の豊かな恵みによることです。
この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ、
あらゆる知恵と思慮深さをもって、
みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。
それは、この方にあって
神があらかじめお立てになったみむねによることであり、
時がついに満ちて、実現します。
いっさいのものがキリストにあって、
天にあるもの地にあるものがこの方にあって、
一つに集められるのです(エペソ1:3~10新改訳)、と。

 私たちも、天にあるもの、地にあるもの、いっさいのものが、
エスにあって一つに集められるという、
その日を望みつつ、
エスの十字架刑での処刑を通して来てくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方により、心に来る
〔父である神〕の御思いの中へと踏み出してみるのですね。
〔聖である霊〕と呼ばれる方の働きに期待して。
今日も。