風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

救いと栄えの中へと

どうか主よ、私たちに救いを。
どうか主よ、私たちに栄を。
詩118:25
 

 あなたがたの内に働いて、
心のままに望ませ、
行わせておられるのは神である。
フィリピ書2:13

 

 Ⅰヨハネ2:18~26(27~29)
 オバテヤ書1~21(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句11/14;木)


 天の神、【主】、「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方、
この方が、私たちを救い、私たちを栄えさせてくださる方。

 

 私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受けてくださり、
墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス

 

 そのイエスが派遣してくださる【聖である霊】と呼ばれる方は、私たちの内に働いて、
私たちの心に、【父である神】の御心のままに願いを起こし、望ませて、
事を行わせ、実現に至らせてくださる方。


 世の終わりには、多くの反キリスト、
自分こそ再臨のキリストだと名乗る者が現れ、
私たちを惑わそうとするのだそうです。

 

 イエスが十字架刑での処刑を受けて完成された救いでは足りないとして、
私たちを自分に服従させ、支配しようとする者たちが。

 

 だから、私たちは、
初めから聞いたことを自分のうちにとどまらせるのですね。

【聖である霊】と呼ばれる方が思わせてくださるとおりに(Ⅰヨハネ2:18~29)。

 

 神が、他国人を用いてその民を打ち、懲らしめられているとき、
打つ者の側に立ってこれを喜び、加勢するのは、
【父である神】の御心ではないのだそうです。

 エドムが、兄弟民族でありながら、
エルサレム滅亡の日に、これをただながめ、喜び、大口をたたき、
門の中に入って財宝に手を伸ばし、
分かれ道に立ちふさがって逃れる者を断ち、
生き残った者を引き渡したようなことは。

神が民を打たれるのは、滅ぼすためではなく、
愛する者がご自分との正しい関係に立ち返るためであって、
神は打たれるけれども、必ず彼らを回復させなさるのですから。
王権は【主】のものですから(オバデヤ書1~21)。

 

 私たちも、
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の御思いのとおりに。
今日も。

 

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