風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

大雨が降り、洪水となっても、倒れない家を

生涯の日を正しく数えるように
教えてください。
知恵ある心を得ることができますように。
詩90:12

 

 イエスの言葉:
わたしのことばを聞いて行う者はみな、
岩の上に自分の家を建てた
賢い人に似ている。
マタイ7:24

 

 ヨハネ4:5~14(15~18)
 ヤコブ書1:19~27(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/3;水)


 私たちは、
自分がいつまでも、
こちら側の世界にいるような感覚で生きています。

 

 けれども、知恵ある心は、
自分の生涯の日がどれだけあるのか
自分ではわからないことを知ることから始まるようです。

 

 そして、私の生涯の日の数を決めていらっしゃる方との
関係を築くことから。

 

 私たちは、
天の神、主と心を一つにしていく生き方を嫌い、
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」(創世記3:5、22)ようになっていて、
自分の理性の善悪の判断によって生きています。

 

 しかし、それは、
砂の上に自分の家を建てているようなものだ、と、
エスは言われるのですね。

 

 雨が降って洪水が押し寄せ、
風が吹いてその家に打ちつけると倒れてしまうような。

 

 【父である神】は、
エスご自身が私たちの身代わりとなって受けられた
十字架刑での処刑によって、
この「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑が終わったもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、死んで墓に葬られたイエスを、
死者の中から新しい霊のからだに復活させ、
天のご自身の右の座へ復帰させなさいました。

 

 そして、このイエスを通して、
もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を
受け入れる者に派遣してくださるのだそうです。

 

 この方によって、私たちの心にご自身の御思いを置き、
受け入れる者の心に
ご自身の御思いがあるようにしてくださるために。
私たちがご自身と思いを一つにしながら生きるようにと。

 

 この神の御思いによって生きる生き方を、
エスは、
岩の上に家を建てた
賢い、知恵ある人の生き方だと言うのですね。

 

 「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
死んだものから出て来た思いであると認めて、
神の御前に投げ込み、投げ捨てながら、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いをわが思いとして生きていく生き方が。

 

 イエスは、永遠のいのちへの水と呼ばれる
【聖である霊】のこの働きが、
私たちのうちで泉となって湧き出で(ヨハネ4:14)、
私たちの腹から
大きな川々となって流れ出る(ヨハネ7:38)ように
してくださるのだそうですから。

 

 この方の御思いを土台として。

今日も。

 

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ご自身の知恵で、思いっ切り、生きてほしいと

 神よ、
私を究め、心を知り、
私を試して悩みを知ってください。
ご覧ください。
私に迷いの道があるかどうかを。
私をとこしえの道にみちびいてください。
詩139:23~24

 

 あなたがたの中で、
知恵があり分別があるのはだれか。
その人は、
知恵にふさわしい柔和な行いを、
立派な生き方によって示しなさい。
ヤコブ書3:13

 

 箴言9:1~10  
 ヤコブ書1:1~12(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/1;月)


 主よ、
私の心が悪に傾くのを
許さないでください。
詩141:4

 

 悪に負けることなく、
善をもって悪に勝ちなさい。
ロマ書12:21

 

 出エジプト記2:11~15(16~22)23~25
 ヤコブ書1:13~18(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/2;火)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たち一人一人を探り、知っておられる方。
私のすわるのも、立つのも知っておられ、
私の思いを遠くから読み取られる方。
私の歩みと私の伏すのを見守り、
私の歩みをことごとく知り、
言葉が私の舌にのぼる前に、
それをことごとく知っておられる方。

 

 私の悩み、思いわずらいを知っておられ、
私のうちの迷いの道、
傷ついた道を見ていてくださり、
とこしえの道、
ご自身との関係を持ちながら生きる道に
導いてくださる方なのだそうです。

 

 

 私たちは、造られた場所、
神が仰る
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)
の場所から外れて、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになってしまい(創世記3:5、22)、
神の創造の目的から「的外れ」になっている者です。

 

 それゆえに、自分の理性の善悪の判断に絶対的な信頼を置き、
自分を知恵ある者としていて、
神に聞こうとせず、
神の知恵をもらおうとしない、
神の知恵をあざける者、
神である主を畏れることをしない者(箴言9:1~10)、なのですね。

 

 

 【父である神】は、
御子イエスを十字架刑で処刑することによって、
そのような私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑済み、死んだものとしてくださるのだそうです。

 そのうえで、この方、
死んで墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語らせたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、天に上げられ、
ご自身の右の座に復帰させなさったのだそうです。

 

 そして、このイエスを通して、
受け入れる者に、もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣して、
この方によって、受け入れる者の心にご自身の御思いを置かれ、
受け入れる者の心にご自身の御思いがあるようにしてくださるのです。

 それで、この【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えし、
心に来る【父である神】の御思いによって生きる者には、
神の知恵、神の分別が来て、
その知恵にふさわしい良い生き方、
柔和な行いが現れるようになるのだそうです。

 

 
 【父である神】は、
誰にでも、惜しげなく
ご自身の知恵を与えようとしていてくださるのだそうですから(ヤコブ1:5)。

 いつも悪いことだけに傾く私たちの心を(創世記6:5)、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑と復活を通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって一新し、
悪に悪を報いて、悪に負ける生き方から、
善をもって悪に打ち勝つ生き方に変えてくださるのだそうですから。

 私たちを被造物の初穂にするために(ヤコブ1:18)。

今日も。

 

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食べ物と飲み物を祝福してくださる方が

 疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
マタイ11:28(6/30の週の聖句)

 

 あなたたちは、
あなたたちの神、主に仕えねばならない。
主はあなたのパンと水を祝福するであろう。
出エジプト記23:25

 

 「何を食べようか」
「何を飲もうか」
「何を着ようか」と言って、思い悩むな。
天の父は、
これらのものがみなあなたがたに必要なことを
ご存知である。
マタイ6:31:32

 

 ルカ14:(15)16~24
 詩105:24~45(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句6/30;Ⅴ日曜)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちを休ませてあげようと思っていてくださる方なのですね。

 

 自分一人で生きていっているように思って、
自分でやらなければ何も起こらないと思い、
また、自分の力で、神の前に正しくあろうとして
疲れている私たちを。

 

 イエスは、
「わたしは心優しく、へりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、
私から学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、
わたしの荷は軽いからです」と仰られる。

 

 イエスが、
そして、イエスが派遣してくださるもう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちと一緒にいて、
一緒に重荷を担ってくださるので、
重荷が私たちにはかからないようにしてくださるのだそうですから。

 

 また、お金がないと生活に困るからと、
富に仕えることもしなくていいのだそうですね。

 

 「神の国(神の統治)とその義とをまず第一に求めなさい」、と。

 天の神、主は、
種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしていない空の鳥を養い、
働きもせず、紡ぎもしない野のゆりを、
栄華を極めたソロモンよりも美しく装ってくださる方。

 

 まして、私たちに良くしてくださらないわけがありましょうか、と。

 

 けれども、多くの人たちは、
この天の神、主からの招きを無視し、断わって、
自分のしようと思うとおりを生きるのだそうです。

 

 それで、天の神、主は、
ご自分の統治の中に入り、
ご自身と思いを一つにして生きる者で、
ご自分の食卓の席を満たそうとしていらっしゃるのだそうです。

 

 急いで町の大通りや路地に、
街道や垣根のところに出て行って、
わたしの食事を味わう者で、
この家がいっぱいになるようにしなさい(ルカ14:15~24)、と。

 

 天の神、主は、
エジプトで奴隷の苦役に苦しんでいる民の叫びを聞かれ、
モーセとアロンを遣わし、
エジプト王の前で数々の奇跡、しるしを行なわせて、
銀と金とを持たせて御民をエジプトから連れ出された方。

 

 荒野での40年でも、
天からのパンで彼らを満ち足らわせ、
岩から水を出させて飲ませ、
約束の地に導き入れられた方(詩篇105:24~45)、ですから。

 

今日も。

 

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私たちのために、目が見たことなく、耳が聞いたことがなく、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は、

 神の言葉:
これから起こる新しいことを知らせよう。
隠されていたこと、
お前の知らぬことを。
イザヤ書48:6

 

 神は
秘められた計画を私たちに知らせてくださいました。
これは、前もって
キリストにおいてお決めになった
神の御心によるものです。
エフェソ書1:9

 

 ルカ3:10~18
 箴言21:13~31(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句6/27;木)

 


 私たちは主に仕えます。
この方こそ、私たちの神です。
ヨシュア記24:18

 

 私たちも数は多いが、
キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、
各自は互いに部分なのです。
私たちは与えられた恵みによって、
それぞれ異なった賜物を持っています。
ロマ書12:5~6

 使徒13:15~25
 箴言23:29~35(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句6/28;金)


 「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)私たちは、
自分の理性による善悪の判断によって生き、
聞こうとしない者、
かたくなで、首筋は鉄の腱、額は青銅のようにしている者なのですね。

 

 それで、天の神、主は、
新しいこと、
先の事、私たちの知らない秘め事を、
まだ起こらないうちに聞かせて、
私たちに、「ああ、私は知っていた」とか言わせない、
とおっしゃるのですね。

 

 

 王のために道を備える者として来た
バプテスマのヨハネは言います。
「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。
しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。
私などは、その方のくつのひもを解く値打ちもありません。
その方は、
あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

 

 また手に箕(み)をもって脱穀場をことごとくきよめ、
麦は倉に納め、
殻(から)は消えない火で焼き尽くされます」(ルカ3:16~17、使徒13:25新改訳)、と。

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は(出エジプト3:14)、
「目が見たことのないもの、
耳が聞いたことのないもの、
人の心に思い浮かんだことのないものを、
神を愛する者のために備えてくださった、というのですね。

 

 この世の支配者たちが、
だれひとりとして悟ることのなかったことを(Ⅰコリント2:8~9)。

 

 神である方、
神の独り子であられる方が、
人となって人の世に来られ、
私たち、全人類の身代わりとなり、
私たちの背き、「的外れ」の責任をご自身に負って、
人間の手によって処刑されるという。

 

 

 すべての人間は、
やがて、天の神の御前、栄光の御座の前に出ることになるのですが、
そのとき、そこに、
「ほふられたと見える小羊」、
手に、十字架刑で処刑されたときにあいた釘の穴、
脇に死亡を確認するためにローマ兵が突き刺した槍の傷痕を持つ方を見て
嘆くことになるというのですね(黙示録5:6、ゼカリヤ12: 10 )。

 

 

 【父である神】は、この方、
墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、
人類が経験したことのない初めての出来事として、
死者の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日にわたって何度も弟子たちに現れさせ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、
天の、ご自身の右の座に復帰させなさったのですね。

 

 

 そして、10日後の五旬節(ペンテコステ)の日に、
このイエスを通して、
もうひとりの助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を弟子たちに派遣され、
エスによって、弟子たちに【聖霊】によるバプテスマを授け、
弟子たちが、【聖である霊】と呼ばれる神に覆われ、
満たされ、沈められ、漬け込まれ、
この方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いのままに語り出すということが実現したのですね(使徒2章)。

 

 

 五旬節(ペンテコステ)、
モーセを通しての律法授与、
古い契約が締結されたその記念の日に、
新しい契約が実現した。

 

 

 天の神、主は言われます。
「見よ。その日が来る。
――主の御告げ―― 
その日、わたしは、
イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
その契約は、わたしが彼らの手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、
彼らと結んだ契約のようではない。

わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。
 ――主の御告げ―― 
彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。
 ――主の御告げ―― 
わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、
彼らの心にこれを書きしるす。
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる(エレミヤ31:31~33)。

 

 「わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、
あなたがたに新しい心を与え、
あなたがたのうちに新しい霊を授ける。
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、
わたしのおきてに従って歩ませ、
わたしの定めを守り行わせる(エゼキエル36:25~27)、と。

そのことがこの日以来、実現しているのだそうです。

 

 

 私たちも、この神を私の神とし、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置かれる御思いのとおりに生きて、
キリストのからだを構成する者、
キリストのからだの部分として、
御思いのとおりの役目を果たしていくのだそうです。

今日も。

 

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あなたの苦しみを、わたしが負おうと、イエスは

 主よ、憐れんでください。
私は苦しんでいます。
詩31:10

 

 イエスの言葉:
あなたがたの髪の毛までも
一本残らず数えられている。
恐れるな。
ルカ12:7

 

 ヨハネ1:19~28
 箴言20:19~24(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句6/26;水)


 私たちが苦しんでいるとき、
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちの苦しみと心を一つにし、
憐み救ってくださる方。

 

 私たちの心のさまも、
頭の髪の毛の数さえも一本残らず知っていてくださるのだそうですから。

 

 この方は、
創造の目的からズレてしまい、
「的外れ」になっている私たちを、
「的の当たった」、
本来のあるべきご自身との関係に取り戻すために
【御子である神】を人の世に送るに先立って、
「主の道を整え、まっすぐにする者」、
「荒野で叫ぶ声」として
バプテスマのヨハネを遣わされた方(ヨハネ1:19~28)。
預言のことば(イザヤ40:3)のとおりに。

 

 そして、
「私(バプテスマのヨハネ)のあとから来られる方」としてイエスは来られて、
私たち、すべての人間の身代わりの小羊となって
十字架での処刑を受けてくださったのですね。

 

 「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている
わたしの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済み、死んだものとするために。

 

 【父である神】は、
この、死んで墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日にわたって何度も弟子たちに現れさせ、
神の国のことを語っらせたのち、
オリーブ山で、弟子たちの見ている前で天に上げられ、
ご自身の右の座に復帰させなさったのだそうです。

 

 そして、このイエスを通して
もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣して(ヨハネ14:16)、
この方によって、
受け入れる者の心にご自身の御思いを置き、
私たちの心にご自身の思いがあるようにしてくださるのだそうです
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 また、私たちに「神の子」の身分を与え(ロマ8:15)、
私たちがはばかることなく、大胆に
御前に出ることができるようにしてくださるのですね(ヘブル4:16)。

 

 この方を「父よ」と呼び、
自分の心の思いを、処罰済みのものとして、ありのままに御前に差し出し、
思い煩いの一つ一つを、
苦しみの一つ一つを差し出し、見ていただき、知っていただいて(ピリピ4:6)。

 私たちの思いが神の御心の中にあるようにと(ヨハネ17:21~22)。
神との一つの中へ。
今日も。

 

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若い時の妻をどうして見捨てられようか、と言われるのですね。あの方。

 わずかの間、
わたしはあなたを捨てたが、
深い憐れみをもって
わたしはあなたがたを引き寄せる。
イザヤ書54:7

 

 イエスの言葉:

わたしは、
あなたがたをみなしごにはしない。
あなたがたのところに戻って来る。
ヨハネ14:18

 

 マタイ10:26~33
 箴言19:16~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句6/25;火)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、イザヤを通して言われます。
「『恐れるな。
あなたは恥を見ない。
恥じるな。
あなたは辱めを受けないから。
あなたは自分の若かったころの恥を忘れ、
やもめ時代のそしりを、もう思い出さない。

 あなたの夫はあなたを造った者、
その名は万軍の主。
あなたの贖(あがな)い主は、
イスラエルの聖なる方で、
全地の神と呼ばれている。

 

 【主】は、あなたを、
夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが、
若い時の妻をどうして見捨てられようか』とあなたの神は仰せられる。

 

 『わたしはほんのしばらくの間、
あなたを見捨てたが、
大きなあわれみをもって、あなたを集める。
怒りにあふれて、
ほんのしばらく、
わたしの顔をあなたから隠したが、
永遠に変わらぬ愛をもって、あなたを憐れむ』
とあなたを贖う【主】は仰せられる」(イザヤ54:4~8新改訳)、と。

 

 

 イエスは、
十字架に架かられる前夜の夕食の席で言われました。
「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。
わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです」、と。

 

 

 また、別の時に話されました。
「からだを殺しても、
たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。
そんなものより、
たましいもからだも、ともにゲヘナ(地獄)で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

 

 二羽の雀は1アサリオン(Ⅰデナリ〔労働者一日分の労賃〕の16分の1)で
売られているでしょう。
しかし、そんな雀の一羽でも、
あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。

 

 また、あなたがたの頭の毛さえも、
みな数えられています。

 

 だから恐れることはありません。
あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれたものです。

 

 ですから、わたしを人の前で認める者はみな、
わたしも天におられるわたしの父の前でその人を認めます」(マタイ10:28~32)、と。

 

 この方の愛とあわれみの中で、
この方と心と思いを一つにしながら。
今日も。

 

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【父】の計画の中へと

 あなたがたに耳を傾ける者は、
わたしに耳を傾け、
あなたがたを拒む者は、
わたしを拒むのである。
ルカ10:16(6/23の週の聖句)

 

 主よ、畏るべき偉大な神よ、
主を愛しその戒めに従う者には
契約を守って慈しみを施される神よ、
私たちは罪を犯し悪行を重ね、
背き逆らって、
あなたの戒めと裁きから離れ去りました。
ダニエル書9:4~5

 

 罪が増したところには、
恵みはなおいっそう満ちあふれました。
ロマ書5:20

 ルカ16:19~31
 詩105:1~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句6/23;Ⅳ日曜)



 私たちは、
神から幸福をいただいたのだから、
不幸もいただこうではないか。
ヨブ記2:10

 

 イエスの祈り:
父よ、
御心なら、
この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしの願いではなく、
心のままに行ってください。
ルカ22:42

 

 ルカ1:(5~25)57~66、80
 使徒9:1~7
 箴言18:8~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句6/24;月) 


 私たち、
エスの受けてくださった十字架刑での処刑によって、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている、
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済み、死んだものとしていただけるのだそうですね。

 十字架刑での処刑を受けられたイエスは、
墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたのだそうです。

 

 【父である神】は、
このイエスの死を自分の死と受け取った者に、
このイエスを通して、
もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 

 この方によって、
ご自身の御思いを受け入れる者の心に置き、
受け入れる者がご自身と思いを同じくし、
心を一つにして生きるようになるために。

 

 そして、ご自身と心を一つにし、
ご自身と一つになって生きる者を通して、
人々に、ご自身の御思いを取り次がせられるのですね。

 

 だから、その者に耳を傾ける者は、
ご自身に耳を傾ける者、
その者の取り次ぐ言葉を拒む者は、
ご自身を拒む者だ、と言われる。

 

 ダニエルが祈っているとおりに、
私たちも「的外れ」な生き方を続け、
背き逆らって、神のことばに従おうとしない者でした。

 

 しかし、【父である神】は、
私たちの罪の増したところに、
恵みをなおいっそう満ちあふれさせてくださって、
エスの死と復活を通して派遣される【聖である霊】と呼ばれる方によって、
私たちを、
ご自身とのあるべき位置に帰ることができるようにしてくださっているのだそうです。

 

 〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いが成ることではなく、
【父である神】の御思いが成ることを求め、願う者に。

 

 神の恵みによって
東の人々の中で一番の富豪で会ったヨブが、
一日にして、すべての財産と七人の息子、三人の娘を失い、

さらに、全身、足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物が出来て、
灰の中にすわって、土器のかけらで自分の身をかくようになり、

 妻から、
「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。
神をのろって死になさい」とまで言われても、
「神から幸福をいただいたのだから、
不幸もいただこうではないか」と答えたように。

 

 また、イエスが、十字架刑での処刑を目前にして、
「父よ、御心なら、この杯を私から取りのけてください」と祈りつつ、
「しかし、わたしの願いではなく、
心のままに行ってください」と祈ったように。

 

 【主】とその御力を尋ね求め、
絶えず御顔(御心)を慕い求めながら(詩篇105:4)。

【父である神】のご計画の中へと。
この新しい週も。

 

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