風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

在ろうと思うとおりに、在られる方が、

 主は言われたことを、
なされないことがあろうか。
告げられたことを、
成就されないことがあろうか。
民数記2319

 イエスはすぐに手を伸ばしてペテロを捕まえ、
「信仰の薄い者よ、
なぜ疑ったのか」と言われた。
マタイ1431

 ヤコブ書
4110
 申命記3118(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句2/22;木)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方。
「ありて、ある者」、
「あろうと思うとおりに、ある」ことが出来る方。
その方が、こうすると言われたことを
なされないことがあるだろうか、というのですね。

 天の神、主は、モーセの、出エジプトの時、
海の水を分け、民を海の底を渡らせたのだそうです。

 そして、イエスは、ガリラヤ湖の水の上を歩いて、
弟子たちの舟に近づかれたのだそうです。
すると、ペテロが
「主よ。もし、あなたでしたら、
私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」というと、
エスは「来なさい」と言われ、
ペテロは舟から出て、
水の上を歩いてイエスのほうに行くことが出来たのだそうです。

 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので、
「主よ。助けてください」と言ったので、
エスはすぐに手を伸ばしてペテロをつかみ、
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われ、
船に乗り移られたのだそうです。

 イエスの弟のヤコブは言います。
「神に近づきなさい。
そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。
二心の人たち。
心を清くしなさい」(ヤコブ4:8)、と。

 「清く」、ピュア(pure)、純粋に、混じりけがない、単一な心に。
苦しいなら苦しいだけ、
悲しいなら悲しいだけ、泣きたいならなきたいだけ、
憂いているなら憂いだけの心に成り切って、
直心、
その時その時の本当の心に成り切って、
神に近づきなさい、と。

 へりくだって、自分のありのままの、
罪のままの、
信仰などない自分を認めて、
天の神、主にお願いしていきなさい、と。
そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます(ヤコブ4:9~10)、と。

 「天の神、主、「『わたしはある』と名乗られる方」、
「こうする」と言われたら、そのとおりになさる方、
その方ご自身が、私たちの先を進まれる。
主が私たちと共におられる。
主は私たちを見放さず、私たちを見捨てられない」(申命記31:8)方、
なのだそうですから。
恐れているなら、恐れているまま、
おののいているなら、おののいているまま、


手ぶらでも、何も持たないままでも、
 御思いの中に一歩、踏み出して行けば、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が共にいて、

先に進み、しんがりを守り、

御業を実現してくださるのだそうですから。

今日も。

 

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