風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる御思いについていくと

 隣人に関して
偽証してはならない。
出エジプト20:16

 万一だれかが
不注意にも何かの罪に陥ったなら、
そういう人を
柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。
ガラテヤ書6:1

 ルカ3:10~18
 ホセア書4:1~14(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句6/27;水)

 私たち、
「神のひとりのようになり、善悪を知るようになっている」、
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
自分を守るため、
あるいは、自分を有利にするために偽証をすることもしてしまうもののようです。

 けれども、私たちは、
この〔生まれたときからの私〕という霊を、
私たちの身代わりとなり、
十字架刑での処刑を受けてくださったイエスに合わせていただいて、
処刑されたもの、死んだものとしていただけるのだそうです。

 そして、イエスは、墓に葬られ、
三日目に死人のうちから新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちの見守る中、
雲に迎えられ、
天の父である神の右の座に帰られたのだそうです。

 そのイエスを通して来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを、
私たちの心に置いてくださるのだそうです。

 その、心に来た御思いによって導かれていく者は、
正しい証言をし、
あやまちに陥った人に対しても、
柔和な心で正してあげるようになるのだそうです(ガラテヤ6:1)。

 衣類や食べ物を余分に持っている者は、
持たない人と分け合いたいと思い、
決められた以上に取り立てたり、
力づくで金をゆすったり、
無実の者を責めたりすることを厭うようにも(ルカ3:11~14)。

 〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる御思いについて行ってみて。
今日も。

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)