風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

いのちを得る道をひらいて

 わたしの兄弟である

この最も小さい者の一人にしたのは、

わたしにしてくれたことなのである。マタイ25:40(8/26の週の聖句)

 

 主の道は正しい。

神に従う者はその道に歩み、

神に背く者はその道につまずく。ホセア書14:10

 

 互いに

愛と善行に励むように

心がけなさい。ヘブル書10:24

 

 ルカ10:25~37

 詩93(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句8/26;Ⅳ日曜)

 

 ある律法の専門家が、イエスに、

「先生。

何をしたら

永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょう」

と質問したのだそうです。

 

 すると、イエスは、

「律法には、何と書いてありますか。

あなたはどうよんでいますか」と聞き返され、

 

 その人が、

「心を尽くし、思いを尽くし、

力を尽くし、知性を尽くして、

あなたの神である主を愛せよ。

 

 あなたの隣人を

あなた自身のように愛せよ」とありますと答えると、

 

 イエスは、

「そのとおりです。それを実行しなさい。

そうすれば、いのちを得ます」と答えられたのだそうです。

 

 私たち、

「神のひとりのようになり、

善悪を知る」ようになっていて、

自分を神のようにしようとするばかりで、

天の神、主を愛し、

この方と思いをひとつにしようとはしない者なのですね。

 

 神の律法を知っても、

それを実行できない者、

永遠のいのちを得られない者、

それが私たちの実体のようです。

 

 〔父である神」は、

〔御子である神〕を人間イエスとして、

人間の歴史の中に派遣し、

この方に私たち人間の

「的外れ」の責任のすべてを負わせて、

私たちの身代わりとし、

神に呪われた者とし、

十字架刑で処刑して、

私たちの

「神のひとりのようになり、

善悪を知る」ようになっている

〔生まれたときからの私〕という霊を

処刑された者、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、もう一人の方、

〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださって、

 

 この方によって私たちの心に

御自身の御思いを置いてくださり、

受け入れる者がご自身と同じ思いを思い、

一つ心になるようにしてくださるのだそうです。

 

 それで私たちも、

神の御心に従って、愛と善行に励む心にも、

すべての人の隣人になる思いにもなるのだそうです。

 

 イエスは、

「この最も小さい者の一人にしたのは、

わたしにしてくれたことなのだ」

と思っておられるのだそうですから。

この新しい週も。

 

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