風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

王となられたイエスが、全地に臨まれ

あなたがたはもはや、
外国人でも寄留者でもなく、
聖なる民に属する者、
神の家族である。エフェソ書2:19(8/4の週の成句)

 

 聖なる、聖なる、聖なる万軍の主、
主の栄光は、地をすべて覆う。
イザヤ書6:3

 

 ハレルヤ。
全能者であり、
私たちの神である主が王となられた。
私たちは喜び、大いに喜び、
神の栄光をたたえよう。
黙示録19:6~7

 

 ヨハネ6:1~15
 詩119:105~112(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句8/4;Ⅰ日曜)

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
遠く離れていた私たち、
キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、
約束の契約については他国人であり、
この世にあって、望みもなく、神もない者であった私たちを、
キリスト・イエスの中にいる者とし、
キリスト・イエスの血によって、近い者としてくださったのだそうです。

 

 それで、私たち、今は、他国人でもなく、寄留者でもなく、
聖徒たちと同じ国民であり、神の家族にしていてくださるのだそうです。

 

 

 イエスは、あの時、
エスガリラヤ湖の向こう岸の人里離れた寂しいところに行かれたあの時、
多くの人々がイエスを追いかけて来たので、
神の国のことを語られたのですが、

 日も傾きかけたころ、
人々をそのまま、空腹のまま帰らせるのはかわいそうに思われて、
壮年の男だけで5千人はいた人々を、
少年が持っていた大麦の5つパンと小さな2匹の魚で
人々を満腹にしてくださったあの時、


 人々がイエスを王にしようとして
エスを無理やりに連れて行こうとしたあの時は、
ただ一人山へ退かれたのですね(ヨハネ6:1~15)。

 

 あの時は、
エスは、ご自身をすべての人の身代わりとして、
すべての人の「的外れ」の責任をご自身に負って、
十字架刑での処刑を受けるために人の世に来られたのでしたから。

 

 しかし、今すでに、十字架刑での処刑を受けられて、
私たちの「的外れ」になっている「生まれたときからの私」という霊を
処刑済み、死んだものとし、

 

 三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の父である神の右の座に復帰され、

 

 そこから、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、
この方によって受け入れる者の心に【父である神】の御思いを置き、
受け入れる者が【父である神】と心を一つにして生きる、

 受け入れる者が聖なる民に属する者、
神の子とされ、神の家族として生きる道が開かれた今は、

 

 イエスは聖なる【万軍の主】、
王の王、主の主として全地に臨まれるのですね。

 

 それで私たちは、喜び、大いに喜び、
神の栄光をほめたたえながら、
神の御言葉、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いを私の足のともしび、私の道の光とし、
この方の御思いが成ることに心を傾けながら歩むのですね(詩篇119:105~112)。

この新しい週も。

 

 

(近くの教会を知りたい等、
また、教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、
また、婚活で広く出会いを求めたい、

等のお問い合わせは
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉

 

 

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキング]

 

<ahref="https://www.blogmura.com/point/00697809.html" >

アクセスランキング にほんブログ村"/></a