風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

互いに思いやり、重荷を担い合う思いも

耳の聞こえない者を悪く言ったり、
目の見ぬ者の前に
障害物を置いたりしてはならない。
あなたの神を畏れなさい。
レビ記19:14

 

 互いに重荷を担いなさい。
そのようにしてこそ、
キリストの律法を全うすることになるのです。

ガラテヤ書6:2

 

 Ⅱコリント13:3~9
マルコ11:12~19
(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/13;金)
 

 【父である神】は、
【御子である神】が、ご自身の御思いを受けて、
人間イエスとして人の世に下り、
ご計画のとおりに、
すべての人間の「的外れ」の責任を負って、
神に背き、神に呪われた者となって
十字架刑での処刑を受けられたことで、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」となって

「的外れ」になっている(創世記3:5、22)
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わったもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣して、
この方によってご自身の御思いを私たちの心に置き、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにし、
受け入れる者がご自身と思いを一つにして生きることが
できるようにしていてくださるのだそうです。 (エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

 

 それで、受け入れる者は、
耳の聞こえない者を軽んじ、悪く言う思い、
目の見えぬ者の前につまずく物を置くような思いは、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑で処刑された、
死んだものから出て来たものであることを認め、
これをイエスの御前に差し出し、受け取っていただきながら、
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の愛の御思いで行動するのだそうです。

 

 【父である神】と思いを一つにしていただき、
互いに重荷を担い合いながら。

 

 私たちの内に、【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】と思いを一つにしておられる
イエス・キリストの思いがあり、
葉は茂っているのに実は一つもないいちじくの木のように、
宗教的行事には熱心だけれど、
神の御思いからは遠く離れているような者ではなく(マルコ11:12~17)、
神の子にふさわしい、完全な者に
していってくださるのだそうですから。(Ⅱコリント13:3~9)

 今日も。

 

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