風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

言われたとおりに、必ず実行なさるこの方の言葉によって

今より後も、わたしこそ主。
わたしの手から救い出せる者はない。
わたしが事を起こせば、
誰が元に戻しえよう。
イザヤ書43:13

私たちは皆、
キリストの裁きの座の前に
立たなければなりません。
Ⅱコリント5:10

 フィリピ書3:12~16
 列王記上22:24~40(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句7/18;土)

 今より以前も、今も、今より後も、
この方、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)だけが神であり、
私たちの救い主であられる方。
この方が事を行えば、
だれも、それを元に戻したり、
変えたりすることはできないのだそうです。

 

 そして、私たちは皆、この方の御前に出て、
善であれ悪であれ、それぞれ、
この地上にいる間にこの肉体においてした行いに応じて
報いを受けることになるのだそうです。

 

 それで、キリスト・イエスの救いにあずかっている私たちは、
うしろを見ないで、後のものを忘れ、
前のもの、このゴールに向かって身を伸ばし、
キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、
その賞をいただくために、
目標を目指して走り続けるのですね。(ピリピ3:12~16) 

 

 

 北イスラエルの王アハブは、
アハブがナボテを殺し、ナボテのぶどう畑を奪い取ったとき、
預言者エリヤを通して神が言われた
「【主】はこう言われる。
犬たちがナボテの血をなめた、その場所で、
その犬たちがあなたの血をなめる」とのことば、

 

 また、預言者ミカヤが預言した神の言葉、
「私は全イスラエルが山々に散らされているのを見た。
まるで、羊飼いのいない羊のむれのように。
そのとき【主】はこう言われた。
『彼らには主人がいない。
彼らをそれぞれ自分の家に無地に帰らせよ』のとおりに、
 

 アラムとの戦いで、
一緒に戦いに行った南ユダ王国の王ヨシャパテには、
王服を着たまま戦いに臨むよう頼み、
自分は普通の兵のように変装して出かけたのに、
アラムの兵士が何気なく引いた弓矢によって
胸当てと草摺くさすりの間を射抜かれ、

 

 その日、戦いは激しく、
アハブ王はアラムに向かって戦車の中で立っていたが、
夕方になって死んだ。
傷から流れ出た血が戦車のくぼみに流れた。
 

 日没の頃、陣営の中に
「それぞれ自分の町、
自分の国に帰れ」という叫び声が伝わった。

 

 アハブ王はサマリヤに運ばれ葬られた。
人々は戦車をサマリヤの池で洗い、
犬が彼の血をなめた(Ⅰ列王21:19、22:24~40)のだそうです。
神のことばのとおりに。


 私たちも、必ず成る、この方のことばに信頼し、
後を振り返らないで、
前に向かって、ゴールに向かって走るのですね。
今日も。

 

 

(聖書のことばへの疑問、
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