風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

彼のことばに聞き入っている中で

神よ、
我らはこの耳で聞いています。
先祖が我らに語り伝えたことを、
先祖の時代、いにしえの日に、
あなたが成し遂げられた御業を。
詩44:2

 

マリアは主の足もとに座って、
彼の話に聞き入っていた。
ルカ10:39
 

 出エジプト記15:(1~11)19~21
 Ⅰテモテ1:1~11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/11;月)


 私たちは、
イスラエルの先祖たちが語り伝え、書きしるしたことを、
「聖書」を通して知ることができるのですね。
いにしえの日に、
そして、今から2000年ほど前に
エスを通して成し遂げられた大きな御業みわざを。
 

 ベタニアのマリアが、
エスの足もとにペタッと座り込んで
エスを見上げながら、
エスの話しに聞き入っていたようにして。

 

 あのとき、
エジプトの王ファラオとその戦車部隊、騎兵の部隊が、
イスラエルの民を追って葦の海に入って来たとき、
天の神、【主】は、海の水を彼らの上に戻され、
彼らは葦の海に沈んだのだそうです。

けれどもイスラエルの民は、海の真ん中で
乾いた地面を歩いて向こう岸に渡ったのですね。

 

 それで、モーセの姉、女預言者ミリアムと女たちは
タンバリンを持ち、踊りながら歌ったのだそうです。
「【主】に向かって歌え。
主は威光を極みまで現され、
馬と乗り手を海の中に投げ込まれた」(出エジプト15:19~21)、と。

 

 それらは、作り話しではなく、
この歴史の中で実際に起こったこと、
あの人たちが実際に体験したことなのだそうですから。


天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」、
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、私たちを、
創造の目的から「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思い、
不法、不従順、不敬虔、けがれ、俗悪、
父や母、また、人を殺す(いなくていいと思う)思い、
あるいは、みだら、男色、誘惑、嘘をつく、偽証をする、
そのほか、健全な教えに反する思いから解放し、

 

 【聖である霊】と呼ばれる方によって
きよい心と健全な良心、
偽りのない信頼関係による愛の思いへと
導いてくださるのだそうですから。
祝福に満ちた神の栄光の中へと。(Ⅰテモテ1:4~11)

 

 神のことばを聞いている中で。
今日も。

 

 

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