風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

この世の無きに等しい者をあえて選ばれる、この方の御思いに思いを向けて

やもめ、みなしご、寄留者、
貧しい者を虐げてはならない。
ゼカリヤ書7:10

 

神は世の無に等しい者、
見下げられている者を
選ばれたのです。
Ⅰコリント1:28

 

 ルカ12:42~48
 マルコ7:1~15(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/15;土)

 

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
弱い立場の者、みなしごややもめ、
外国人で寄留している者などを心に留めておられる方。
だから、これらの人をしいたげないで
正しい裁判をするように、と言われるのですね。

 

 人間的にみれば、知者は多くはなく、
力ある者、身分の高い者も多くはいません。

 

しかし神は、そのような人を選ばず、
知恵ある者を恥じ入らせるために、
この世の愚かな者を選び、
強い者を恥じ入らせるために、
この世の弱い者をあえて選ばれ、
用いられる方なのだそうですから。

 

 ちょうど、主人によって、
その家の召使たちの上に任命された忠実な管理人が、
主人の思いのとおりに家の中を管理し、
食時時には召使たちのために、彼らに決められた分を与え、
主人が帰って来た時、主人に認められ、
主人の全財産の管理を任せられるように。


 多く与えられた者はみな、多くを求められ、
多く任された者は、
さらに多くを要求されるのだそうですから。(ルカ12:42~48)

 

 けれども、天の神、主は、
人間の側で、宗教として付け加えた「言い伝え」、
書かれた文字を人間の解釈で、
その解釈のとおりに忠実に守ることよりも、
ご自身の御思いを実現することを願っておられる方なのだそうです。(マルコ7:1~15)

 

 私たちも、自分の理性の判断は、
「的外れ」になっていることを認め、
神の御思いとはズレているかもしれないことを思って、
エスによって来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の御思いに心を向けていくことが必要なようです。

 私たちの思いとは違う、
弱い者、この世の無きに等しい者をあえて選ばれる、
その御思いに。
今日も。

 

 

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