風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

土の器のような私たちの内に、並外れて偉大な力を持つ方が

御使いがエリヤに触れて言った。
「起きて食べよ。」
彼は起きて食べ、飲んだ。
食べ物に力づけられた彼は、
40日40夜歩き続け、
ついに神の山に着いた。
列王記上19:5、8

 

私たちは
このような宝を
土の器に納めています。
この並外れて偉大な力が
神のものであって、
私たちから出たものでないことが
明らかになるために。
Ⅱコリント4:7

 

 ルカ13:10~17
 エレミヤ書19:1~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句10/21;水)

 


 私たちのからだ、肉体は、
素焼きの土の器のようにもろい、
壊れやすいものなのですね。

 

 けれども、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
その土の器のような私たちのからだに、
宝、ご自身のみわざを盛ってくださるのだそうです。

 

 力尽きて横たわっているエリヤに御使いを派遣し、
パンを食べさせ、水を飲ませて力づけ、
ついには、神の山ホレブ(シナイ山)まで至らせ、
これからすることを告げられたように。

 

 また、イエスが、

18年間、腰が曲がって
全く伸ばすことのできなかった女性に、
「女の方、あなたは病から解放されました」と言われ、
手を置いて、
その女性の腰が伸びるようにされたように。(ルカ13:10~17)

 

 

 天の神、【主】は、
エレミヤに陶器師が造った焼き物のビンをもって、
民の長老と年長の祭司数人とともに、
ベン・ヒノムの谷に行かせ、
そこで、そのビンを割って、
「万軍の主はこう言われる。
陶器師の器が砕かれると、二度と直すことはできない。
このように、わたしはこの民(ユダヤ人)と、
この都(エルサレム)を砕く」と
預言のしるしとされたように。(エレミヤ19:1~13)

 

 しかし、今、このように、すぐ、砕けてしまう
土の器のような私たちの内には、
エスの十字架刑での死と、
死人の中からの新しい霊のからだへの復活を通して、
【聖である霊】と呼ばれる神が住まわれるように
していてくださるのだそうですから。
 

 並外れて偉大な力、
測り知れない力を持つ方が内に住まわれる器と。

今日も。

 

 

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